特集 2021年7月27日

大井町駅前の通りは歴史を横断できる~考古学者と街を歩く

専門家と街を歩くシリーズの大本命、歴史に詳しい人と歩く編

専門家と街を歩くシリーズに甘い棒球が来た。東京の歴史に詳しい考古学者と街を歩く回であり、街歩き界隈垂涎ものの企画である。

今回は古代から現代にかけて通史的に東京の歴史を読み解くことをテーマとして研究している考古学者の谷口榮さんと大井町を歩く。ここに古墳群があったらしいが…その前にこの大井町駅の通りを歩くだけで歴史を横断できるらしい。

動画を作ったり明日のアーというコントの舞台をしたりもします。プープーテレビにも登場。2006年より参加。(動画インタビュー)

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> 個人サイト Twitter(@ohkitashigeto) 明日のアー

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考古学者の谷口榮さんが案内してくれるのは東急大井町線の大井町駅周辺
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かつてこの周辺に勤めていたデイリーポータルZウェブマスター林雄司(右)と3人で歩きます

1本で東京の歴史を横断できる道がある

谷口:大井町の駅前のこの道。これを1本下るだけで、品川、いや東京の古代から現在に至る時代を横断できるんです。品川の歴史を横断してみようということで。
林 :最高ですね。それは。この通りは昔からある通りなんですか?
谷口:これは新しいんだと思います。
林 :中世は品川の湊がすごい栄えていたと。日本中世史の谷口雄太先生から聞いていたんですけど。
谷口:さすがですね。大井町の周辺は歴史が埋もれているんです。

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大井町駅改札を出てこの道を左(東)に行くと歴史を横断して海に出る。

大森貝塚はどこにあるかわからなかった

大北:谷口さんはこの辺りに馴染みがあるんですか?
谷口:私は品川歴史館で昔仕事をしていて。大森貝塚も掘ったんですよ。昭和59年のときに。
大北:え? 大森貝塚ってその頃も掘っているんですか?
谷口:大森貝塚って実は昭和の59年まで場所がわからなかったんです。国鉄が民営化されてJRになったときに土地が払い下げられて掘ったら貝塚が出てきた。大田区か品川区かどっちかわからなかった。
林 :碑が両方の区にありますよね。
谷口:そうそう。
大北:あれあれ? エドワード・モースが見つけたんじゃないんですか?
谷口:モースが見つけて発掘したのですが、その場所がわからなかった。  
大北:ええ~!? そういうものなんだ!

※補足です、Wikipediaを要約した程度なのですが…
日本考古学発祥の地ともいえる大森貝塚は1877年明治10年にエドワード・モースが発見した。その後1929、30年に品川区と大田区が競うようにここが大森貝塚だと石碑を建てた。1984年にモースが発掘してたのは品川区だろうと結論が出る。

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谷口さんは地図を印刷してきてくれました

 

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それをめちゃくちゃ雑に把握したもの。まず黄色の道路にすぐあたります。ここが1つめのポイント。一番東にあるのは江戸時代の旧東海道。国道1号線は現在の東海道。

谷口:なにもへんてつもないこの道なんですけど、途中も所々開発されてしまっていますけど、このルートが古代の東海道の推定ルートなんです。

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駅出てすぐ、ここが古代の東海道だそう。古代の東海道ってなに??

大北:古代の東海道ってどのぐらい前の話なんですか?
谷口:良い質問ですね。今日のポイントです。この先に近世の東海道があるんですよ。
大北:北品川の商店街のところですね。

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ということで1号線の現在東海道、江戸の旧東海道、さらに前の東海道が出てきたことになります

谷口:そうそう。近世の東海道は1604年からあるもの。家康が日本橋を起点として整備したんですけど、その前には古代は畿内に都があるじゃないですか。平城京とか平安京とか。あそこが起点となって東に行く道を整備するんです。東だけじゃなくて全国各地7つの地域を結ぶ道を整備している。
※7世紀頃より日本は中国をモデルにした国家制度で国(の行政区分)を五畿七道に分けて実際に道を作っていた。ちなみに唐が中国を10の道に分けたのは627年。

谷口:東の方に行く道を東道といって、山伝いを東山道、海伝いを東海道。本来は東に行くから東と付いてるんです。本当は(東京の)日本橋から京都に行くのに東海道とは言わないんですよね。その矛盾にみんな気づいてないんです。本来の東海道というのはこのあたりとか、東京の下町をずっと通って今の千葉県とか茨城のほうに抜けていくんです。
林 :そうか、江戸が都じゃなかったら江戸を終点にする必要はないんですよね。
谷口:そうなんです。通過点です。当時の終点はどこかと言ったら常陸国の国府所在地、茨城県の石岡なんです。そこから延長されて、陸奥国の国府がある多賀城まで行くんです。そういう古代の交通事情がわかってないと、古代の東海道ってなに?ってなっちゃう。
林 :ちなみに東山道はどこにあったんですか?
谷口:今の長野県を通って群馬とか栃木に抜けていくんです。足利とか新田(群馬県太田市)とか向こうのほうかな。
林 :山があって辛い道ですよね。東海道、東山道ってひとかたまりの言葉だと思っていたけど、ちゃんとひとつひとつ意味があるんですね。

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古代東海道はおもいっきりアトレにぶつかってます。

谷口:あともう一つポイントがあります。古代東海道があって、近世の東海道があって、なんで中世の東海道がないのかっていうところ。中世の東海道っていうのは京都から鎌倉までなんです。そして鎌倉からこちら側は東海道って言わないんです。鎌倉に行く道だから鎌倉街道、鎌倉道(かまくらみち)っていいます。
林 :地図を見ていくと、現代にいくにしたがって大井町の東海道はだんだん海(東側)に近づいているんですね。
大北:アトレがどーんとありますけど、この道が古代東海道というのは確定なんですか?
谷口:かなり有力だと言われていて。
林 :平安とか平城とか。
谷口:特に平安時代は確実だと思います。
林 :へえ~! この道通ってましたよ、俺。

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北東側、この先東京の下町側を通って石岡まで行く古代東海道。幅は6mくらいだろうか
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古代東海道は広く立派だった

谷口:この道今はこうなってますけど、昔の古代の東海道とか国道は大体幅12、13mあるんです(※現在の片側2車線道路が幅12~14m程度だから自動車のない時代にかなり広い)。両側に側溝があってちゃんと道がわかるようになってる。基本的にまっすぐ作るんです。ほら、都は四角いでしょ。一番簡単なのは、地形に合わせるんじゃなくて役所と役所を直線的に結ぶのが1番楽なんですよ。短距離になるんで。そういうふうに作ってる。
林 :真っ直ぐな道が通ってた?
谷口:通ってた。がくんがくんがくんって。
大北:側溝っていうのはなんであったんですか?
谷口:いろんな要因があって、ひとつは道の幅をきちっと確定させること。そして路面を乾燥させる。側溝があることで水がはけるでしょ。それと側溝があることで工事のスパンを決めるんです。いっぺんに側溝を掘るわけじゃないからスパンを決めて掘っていく。工事を分担するのはあなたはここだよとか決めていく。そして側溝を堀りながら路面を整備していくんです。
林 :このまっすぐ道を引く技術も大変ですよね。
谷口:でも都の基盤を考えてみれば、あの碁盤の目に引ける技術を持ってるから問題ないですよ。
大北:へえ~、本物の東海道はこの道なんですね。
谷口:そう、大井の駅から東にいくこの道っていうのはおもしろいんだよ。

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今の車線でいうと4車線くらいあって側溝のある道だった(イメージ)

誰が使っていた道なのか?

林 :古代の東海道って近世の東海道よりも広かったんですか?
谷口:かもしれないね。国家的な事業で作ってるから。
林 :中世の人とか今の人が思う以上に移動してますね。
谷口:それと船の交通をすごく利用してますよね。
大北:古代の東海道を使う人はどんな人だったんですか?
谷口:基本的には役人だよね。古代の道を造るというのは支配するため、地方と都の連絡を確保するため。それ以外には税を国に収めてもらわないと困るのでその交通を確保する。
大北:あー、都とのやりとりのために道があるんだ。へえ~!

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16kmごとに駅があった(この写真は昔の馬屋イメージ)

駅伝という名の通りリレーしていた

大北:この旧東海道の先には何があったんですか?
谷口:基本的には役所でしょ。あとは16kmごとに駅を置く。
林 :16kmというのは1回で歩ける距離ですかね?
谷口:いや、もっと歩けるでしょ。そこで食事をとったりとか馬を乗りかえたりとか。
※かつては駅馬と伝馬からなる駅伝制というリレーでつなぐ交通・通信手段があった。16kmごとに駅があり、東海道にはそれぞれ10頭の駅馬がいて乗り継いでいく。駅には駅長、駅戸がいて馬の飼育や駅の事務をしていた。伝馬は各郡家に5頭ずつ。 

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つづいてのポイントにやってきました

 

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池上通りとあたるところです

いざ鎌倉が多すぎる

谷口:この池上通りが鎌倉街道。古代東海道と並行して、より東側を行ってるんです。
林 :鎌倉街道ってたくさんありますよね? 鎌倉に行ってるんだ。
谷口:あるあるある、何本もある。
林 :人によって言う鎌倉街道が違うなと思って。

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鎌倉幕府の時代に鎌倉まで通じる道がたくさんできてその一本。中世では東海道より大事な道

京都より鎌倉が大事になった

林 :鎌倉街道は鎌倉に馳せ参じる以外にちょくちょく使っていたんですか?
谷口:やっぱり鎌倉が東国の都っていうか東国の中心だから、武士なんかは鎌倉に出仕するというか、鎌倉に仕事に行く。御所の警備とか。
林 :戦じゃなくても仕事で。戦があったイメージがない割には道がいっぱいあるなって。

大北:するとさっきの旧東海道は鎌倉は通ってないんですか?
谷口:鎌倉は通ってる。時代によってなんだけど、鎌倉を通って、1番古いやつは鎌倉を通って三浦半島まで出て、三浦半島から船で房総半島に出て、北上して常陸国にいくんだよね。
※相模川あたりで船で三浦半島→上総国へ行く道と、陸で→大井町→下総国方面へといくルートに分かれる。都から近い順に上・下になって、ルート上では(直線距離では遠い)上総国が近いことになる。情報サイトはまれぽの記事「もうひとつの東海道、「古代東海道」ってどこを通っていたの?」などに図がある

船も道としてあり

林 :なんで船で行ってたんでしょうね。
谷口:ここから先の東京の下町がまだ部分的に陸化してなかったのもあるんだけど。交通としてはなかなか不便だったかもしれない。
※そもそも東海道は川が多く、当時は渡川技術がなくて大変な道だったそう

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ここは左側が仙台坂(1号線へ)、右側が旧仙台坂(海へ)

林 :日比谷が入江だったっていろんなところで読むんですけど、具体的にどんな感じだったのかな。想像がつかなくて。
谷口:日比谷が入江で、海が江戸城のそばまで来てるのは15世紀ぐらい、太田道灌のころで。戦国時代の後半というか、北条氏とか家康が入った頃って海はもう少し引いてる。
林 :どんな景色だったんだろう…
谷口:なんて言ったらいいかなあ…都市計画家徳川家康※って本を書いたので、それを読んでもらえれば。
※『都市計画家(アーバンプランナー) 徳川家康』MdN新書 著:谷口 榮

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向こう側は海、旧仙台坂で下がっていきます

谷口:この仙台坂トンネルってあるでしょ。昭和60年代これを整備するときに発掘調査をして縄文時代の遺跡が見つかっています。この辺は縄文時代の生活の場だったし、古墳時代の生活の場もわかっているんだけど、さらに古墳が2基確認されてるんです。ここに古墳があった。あとでまた訪ねますけど、この辺一体が実は古墳群だったことがわかるんです。
林 :古墳群の向こうは海だったということですよね。古墳が海から見えるように古墳を並べていたんですか?
谷口:おー!なんということを。すごいな!
林 :古墳の本を読んだので…。(その話は次回に)

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仙台坂トンネル
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品川の歴史としての味噌とレンガ

谷口:そう、それもまた後で。それと面白いのが、樽がありますけど、仙台坂って言われるぐらいですから仙台と関係があるわけです。ここに仙台藩の下屋敷があったんですよ。ここの味噌蔵も寛永二年だから1625年か。仙台から味噌家さんが来て味噌を作るようになって。仙台藩の人たちが使うための味噌なんだけど、江戸の後半になると一般の人まで流通するようになって。それが現代も生きている。
林 :仙台味噌?
大北:仙台は味噌が有名なんですか。

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仙台坂トンネルを指差し越しに樽が見える

文字通り埋もれた歴史

谷口:そんなこと言ったら怒られちゃいます。ここの発掘のときに味噌工場のあととかも見つかって。そこでレンガが見つかったんです。レンガの中でも白レンガってのがあって、窯とか作るときに使う耐火性のあるレンガなのね。その白レンガっていうのは実は品川の特産だったわけ。明治の20年代北品川の目黒川のところにレンガ工場ができて、そこで作ったレンガで窯を作ったりとかもこの発掘でわかった。

白レンガとは? 建築用の「赤煉瓦」とは別に、製造過程で必要な高温部の耐火煉瓦。1887年明治20年、芝浦にあった西村勝三氏の耐火煉瓦工場(明治8年創業)が品川に移ってきた。現在は品川白煉瓦株式会社から品川リフラクトリーズ株式会社という名前に変わっている。

大北:明治時代にできたものが埋まってた?
谷口:そうそうそう。そういう意味ではいろんな時代が重層的にここでは埋まってたのかって。
林 :古墳がありつつ、明治時代のレンガの窯のあとも出てきた。
大北:なんで埋めちゃったんですかね。
谷口:それは改築してくじゃなくて、新しく作っていくから。
林 :汐留の駅が出てきたり、高輪が出てきたり、昔の人って埋めちゃいますよね。

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味噌蔵、寛永をすぐ西暦に直せるのすごい…

大北:史跡が?
林 :これなんですか?

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仙台坂のタブノキ

谷口:この辺の時代の流れを見守ってきた木ですね。品川区の天然記念物になってるんじゃないかな。300年前だ。ここに仙台藩の下屋敷があったころからここの風景を見てるってことだね。そういう意味では仙台藩の屋敷の面影というのは、この木で想像できるのかもしれない。
林 :仙台藩の下屋敷、下屋敷ってもっと都会なのかと思ってましたけど。
谷口:上屋敷と下屋敷があって、上屋敷はもっと都会。江戸城に近いところにある。下屋敷はもっと外に。
林 :遠くでいいんですね。
※上屋敷は藩主と家族、中屋敷は隠居や世継ぎ、下屋敷は国元からの荷を揚げるための蔵屋敷だそう。なので下屋敷は主に水辺につくられた。

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でかい木があったのだろう。こういうものがあると当時の景色がわかる

大北:それにしても谷口さん、寛永二年だから1624年ってよく出てきますね。
谷口:1625年ね。
林 :換算できるんですか?
谷口:ポイント、ポイントで覚えていかないと(笑)。さ、今の坂をずっと行くと近世の東海道に行くんですけど、今回は古墳を見たいので脇道にそれていきましょう。 

 

取材にご協力いただいた谷口榮さんの新著はこちら

つづきはまた来週。品川にあった古墳群がなぜ海沿いにあったのかに迫ります。

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