特集 2021年8月3日

公園にある古墳を専門家と見る~考古学者と街を歩く

考古学者の谷口榮さんと大井町の古墳を見る

東急沿線の街を何かの分野の専門家と歩く記事シリーズ、今回はいよいよ古墳を専門家と見る回である。「ここ実は古墳なんです」と聞いて私たちは何を思えばいいのか。一体どう反応すればよかったのか。今日それらのふがいない過去をすべて精算するときがやってきたのだ。これからはもう、古墳、どんとこいである。

2006年より参加。興味対象がユーモアにあり動画を作ったり明日のアーという舞台を作ったり。

前の記事:大井町駅前の通りは歴史を横断できる~考古学者と街を歩く

> 個人サイト Twitter(@ohkitashigeto) 明日のアー

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谷口榮さんが案内してくれたのは東急大井町線大井町駅。駅前の道を歩き歴代の東海道を見て歩いてきたが公園に入る

前回の記事に引き続き東急大井町線大井町駅から一緒に歩いてくれているのは考古学者の谷口榮さん。前回は大井町駅前の道を歩くだけで、古代の東海道、中世の鎌倉街道、現代の東海道(第一京浜)、近世の東海道(江戸時代)と辿れることがわかった。

今回はそこから横道に入りやってきたのは公園である。

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公園に来ました。もうわかりますか

円墳あらわる

谷口:この高まりが古墳だと言われています。
林 :そうなんですか。
谷口:看板とか何もないけどね。
林 :そうですね。これはわからないですね。円墳ですか?
谷口:円墳と言われてるね。マウンドがあるのはここしかなくて。あそこに小学校があるんだけど、昔、前方後円墳があったの。

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公園の向こうにある小学校に前方後円墳があったそう。へえ…としか思えない私たちだが

谷口:ここから埴輪が出土しています。さっきの仙台坂のところも埴輪が採集されていて、その年代からここに6世紀後半の古墳群が出来ていたということがわかります。前方後円墳がこのへんの一番の首長のお墓で、まわりの円墳がそれに属するものだと思うんです。さっき※林さんが言ったようにそれらの古墳はランドマークのようなものなんだろうなと。
※古墳は海を移動する人から見えるように作られたとされる説を直前に林さんがしていた
林 :海から見えるように古墳があった。それってヤマト王権と支配というか関係があったんですか?
谷口:そうだね。そもそもヤマト王権との関わりの中で前方後円墳を造っている。興味深いのは出てきた埴輪を分析すると、地元で作ってるものだけじゃなくて、北武蔵(今の埼玉県)の生出塚という埴輪を生産した窯が鴻巣市にあるんだけど、そこで作った埴輪が出てるんだよ。
この地域と北武蔵が6世紀後半に関係があったことがわかる。視野を広げると房総半島の市原市にもここの前方後円墳と同じ生出塚の埴輪が出ていて、房総半島ともつながりがあったことがわかる。東京湾を介在してこの地域と内陸部というのが船で結ばれていたということを古墳から読み解くことができるんだよね。
大北:おお~! 古墳で示すつながり!
林 :鴻巣で作った埴輪を良いものとしてもらって埋めたんだ。
谷口:同盟関係でもらったのか買ったのかはわからないけど、それを並べて古墳を造っている。関係する地域間が対立ではなく、友好的な関係だったことがわかる。
大北:昔のどれぐらいの首長、政治力がどれぐらいの大きさだったんですか?
谷口:そこまでわかればすごいんですけどね。
林 :埼玉のほうの権力はヤマト王権とは別の?
谷口:もちろんヤマト王権とつながってる。ただこの地域と北武蔵は対立したこともあったようだよ。
林 :前に多摩川沿いにある古墳を記事で取り上げたんですけど。
谷口:多摩川流域は大きく見るとこの地域と同じ南武蔵という領域だね。
林 :同じ勢力と言うか同じ人達が。
谷口:南武蔵という領域を治める勢力を構成した人々の古墳と思うよ。
大北:ここらへんに古墳がある理由は海に近いギリギリのところだから?
谷口:じゃあそのへんこれから確かめますか。

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公園は高い場所にあり、ここからくだります

林 :国道のところに出るんですね。
谷口:そっちの道に比べてこっちは高いでしょ。テラスになってる。この地形に注目してください。後で説明するので。
林 :おおっ、伏線ですね。

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いちこくと呼ばれる第一京浜国道から少しだけこの地点は高い。

林 :テラスを降りた交差点のこの辺は完全に海だったところですか?
谷口:海がどこまでだったかは時代によって違うんです。この道は東海道だよね。近世の。

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旧東海道とも呼ばれる江戸時代の東海道

谷口:(交差点から東側を見て)明瞭には見えないけれど、段差があってずっと下がってるんだよね。下がってるところは江戸時代の海だったところ。ここはおそらく中世の段階では微高地で陸化してると思うんだけど、縄文時代は際までずっと海があって。縄文時代前期をピークにそれ以降どんどん海が後退していってるんだよね。
林 :へえ~。あそこのかすかに下がってるところですか? 今ゴミの収集車が下っていったあたり。

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信号の向こう側はさらに低くなります。そこは江戸時代の海​​​​

谷口:そうそう。見にくいけどあれを越えると下がる。僕の持ってきた資料を見てもらうと、みんな崖でしょ。ここも崖。ずっと崖なんだよね。

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この辺ずっと崖でしょ、と(カシミール3Dで地図作成)

谷口:なぜこれが崖になったかと言うと、さっきテラスがあるよねって話しましたよね。テラスのところまで実は台地が延びてたの。どういうことかと言うと、もともと武蔵野台地というんだけど、台地はもっと延びてて出っ張っていた。それが縄文時代に海が入ってくるでしょ。縄文海進っていうんだけど。入ってくるときに波で洗われるんですよ。この武蔵野台地の上部は関東ローム層といって軟弱な土壌なのね。そういうところは海の波で浸食されてしまって、下のところにある硬い岩盤は侵食されず残るわけ。そうするとこういうふうな崖が形成されて直下の侵食されずに残った岩盤のところにテラス状の地形ができるわけ。さきほどテラスのところが縄文海進の名残なんだよ。崖と合わせて。
林 :テラスの下は硬い岩盤?
谷口:硬い岩盤。

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こんな図でも作るのめんどくさいんですがこの記事ではライターがやってます。なので一枚でも少なくしたい。

大北:縄文時代はどういうところだったんですか?
谷口:縄文時代前期のころはみんな海だった(※上図の真ん中のもの)。台地はもっと出っ張ってるわけだ。早期のころは。削られて海がどんどん入っていて、中期のころになってくるとまた海が退いている。
林 :縄文時代と言っても、時代によって海岸が違うんですね。
谷口:そうそう、風景が違うんだよね。
林 :縄文時代だけ長いんですもんね。
谷口:長い長い。

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縄文海進で斜線部が海になっていた

大北:氷河期みたいな気候変化による海面の上昇ですか?
谷口:氷河期は旧石器時代で海面が下がってる。縄文時代は温暖化だから海水面が上がるんだよね。
林 :海水面が上がってどんどん陸地に来て、日本が小さくなると言うか、島が小さくなるんですね。
谷口:旧石器時代は海水面が下がるから陸域が広がる。そうそうここは海晏寺と言うんだけど、ここのところからも埴輪が出てるの。だからこのところからさっきの公園まで一体が古墳群なの。
林 :遠くから見ると海の凹みがわかりますね。
谷口:この道だけで(長い時代が)凝縮されてるんだよね。
林 :そうですね。面白い。

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トンネル側の土地は少しだけ高い台地になっています
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縄文時代のくらし

林 :ここだとみんなどこに住んでたんでしょうね
谷口:古代までは台地のところだね。
大北:田んぼを作ったりしてたんですかね?
谷口:田んぼは台地の上で作らないだろうね。谷とかの低いところだね。
林 :土器は暮らしてる場所から発掘されるんですか? 古墳から出てくるのは副葬品ってことですか?
谷口:そうそうそう
大北:この辺りならどこからでも土器が出てくる感じですか?
谷口:いやー、そんなに人口多くないと思うね
林 :久が原に行ったときに「久が原で工事をするとすぐ土器が出てきて止まる」って
谷口:久が原には弥生時代の大集落があったんだよね
大北:縄文時代と古墳時代だと発掘しても出てくるものはちがいます?
谷口:ちがうちがう。須恵器っていう朝鮮半島から伝わった焼き物が出てくるのは古墳時代だから。縄文時代や弥生時代には出てこない。陶器っていうのは基本的には古代末から中世。

貝ばっかり食ってたのか問題

林 :縄文の人たちはこの辺に住んで、貝とって食べてたんですかね。
谷口:貝だけじゃなくて、こっちには豊かな森があるわけだから獣をとって食べたり、木の実をとったりとか。ここのところは大きな貝塚がなくて、大崎のところに貝塚があるんだよね。
林 :このへんで貝塚が出たと言っても貝ばっかり食べてたわけじゃないんですね。
谷口:そうそうそうそう。飽きちゃうよね。
林 :俺も飽きちゃうんじゃないかと思ってた。貝ってあと、お腹いっぱいにならないんじゃないかってずっと思ってたんですよ。
谷口:スープにしたりとかさ。貝だけ食べてたらそりゃ。

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わかりにくい写真ですが、お寺の正面は第一京浜側にあります。街道があったから

品川は昔からターミナルだった

谷口:こうやって見るとお寺さんがどっち向いてるかと言ったらこっち。第一京浜側。街道がこっちだから。
林 :この辺お寺多いですよね。
大北:お寺がこの辺にあったのも、古墳と関係してるんですか?
谷口:それは中世の港町だから。人や物資の集まる都市的な場だったんですよ。中世において。
林 :品川が。
谷口:そうそう。
大北:中沢新一さんの『アースダイバー』に岬にはお寺があるという話がありますね。
谷口:岬的な地形は聖地だったりするし。それはいろんな意味があって、単なる聖的な場というだけじゃなくて、領域を支配するための見張りの場でもある。それが可視化される形としては神社だったりお寺かもしれないけれどそれだけじゃないってことですね。
林 :江戸の港ができるまでは品川から船が出てたんですね。
谷口:品川がそういう面ではターミナル的なところです。
大北:昔からそうなんだ。そこから内陸側に行く川とかあったんですか?
谷口:目黒川があったりとか。
大北:それも水運で使ってということ?
谷口:でもここから目黒川を遡って内陸部と連絡するだけじゃなくて、今の東京湾の喉元にある東京下町を流れる河川と連絡することも重要だったと思う。

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どの時代もこの方向で道ができている。今は新幹線もそう

谷口:今の東京湾が終着地ではなくて、さらに内陸と結ぶ場のひとつとして品川が重要だったんだ。
それと今日西から東に向けて歩いてきて確認できたと思うけれど、大井町の駅のある台地から低地を結ぶように幹線道路が通っていて、古代から中世、そして近世もこの台地が低地と行き来する場所として使われているということ。
ここを下っていくでしょ、みんな。ここの台地のところで降りて東にある低地に至る、同じような方向で降りてるっていうのが重要。
大北:重要?
谷口:人の動きがいつの時代も同じでしょ。台地から低地へ東西方向に移動している。
大北:どの時代も人の流れが一緒なんだ…
谷口:つまりここは変わってないってことだよね。古代、中世から。そういう風に言えるでしょ。この場所のもつ歴史的な特性と捉えられる。

死ぬ場所は都市から離す

林 :昔は海運がメインで歩かなくていいしスピードもあって…そうすると島流しっていうと孤島みたいなイメージですけど、実際はわりと近かったんですかね。
谷口:いや、それはひとつ注意しなくちゃいけないのは、地理感。それも今私達の地図を見ている地理感とは違うんだよね。実際距離が近くても当時の地理感からすれば遠いってところもあるわけでしょ。
林 :今とは違う世界の見え方があった。
谷口:それから都を中心として見た場合、都と外の世界を隔てる境界を越えた場所、今の生活の領域から外れることが一番怖いことなんで。そういうところに流罪になった人を追放したりする。
林 :昔の感覚で都市の外れみたいな。
谷口:そうそうそう。ケガレを嫌うんだよ、都市はね。この先に鈴ヶ森ってあると思うけど、鈴ヶ森の刑場は江戸という都市と郊外の境界地域にあって、ケガレを中に持ち込まないっていうことなんだね。千住の刑場も同じことで、都市と郊外の境っていうことなんだよ。そういうところでケガレを除去する。それとあと見せしめにもなるわけでしょ。江戸に入ろうとしたときの、江戸に入って悪いことをするとこうなっちゃうよっていう。
林 :入り口にあるわけですね。
谷口:中心から見れば外だけど、外から来る人からしたら入り口なんだよ。
林 :すごい嫌ですね。入り口に処刑場あるって。
大北:お墓とかはケガレにはあたらないんですか?
谷口:あたるあたる。あたるけども、都市的な生活をしてたらしょうがないじゃん。それよりは死の場面っていうかそういうところをけがれないようにする。あと火葬場も外に外に行くわけ。
林 :火葬場を外に外にって、今もその感覚ありますよね。
谷口:あるよね。
大北:外国だと処刑する場所は都市の中にあったってことですか?
谷口:あるんじゃないかな。広場でやってんじゃん。

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見せたいものとして古墳

大北:古墳はそもそもどういう場所にあるんですか?
谷口:見せたい場所に。
林 :たしかに見せたいですよね
谷口:あとは災害にあわないようなこともあるだろうね
大北:たしかに。せっかく造ったものだし
林 :中世の人も古墳を見て墓っぽいなーと思ったんですかね
谷口:それは思ったと思うよ。人工的なものなんだろうなって。

谷口:ここはでも「古墳が集中してある」っていうことが重要だよね。これだけ集中してるってことはないじゃん。今日歩いた台地のところは大体古墳群でしょ。
林 :なんでもないところに古墳はない?
谷口:なくはないけど、古代から重要だった場所ってことだよね。

大北:古墳時代って関東と近畿で色々雰囲気変わりますか?
谷口:変わらないっちゃ変わらないけど、向こうは大王の墓があるからね。求心性がある。求心性の裏付けはなにかというと最先端の技術を持っていたりすること。たとえば鉄は当時製鉄技術は朝鮮半島が最先端で、朝鮮半島から直接鉄を入手できるのがヤマト王権で、「もの」だけじゃなくて哲学、思想もふくめて渡来文化というものをヤマト王権は確保している。
林 :それに憧れて?
谷口:分けてほしいわけだよね。それは財力にもなるし権力にもなる。その示しが前方後円墳だよね。私はヤマト王権の序列に入ってますよという示しだよね。
大北:前方後円墳って日本のどのあたりまであるんですか?
谷口:福島だね。

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前方後円墳の形の変遷。この図、好きに使ってください…ところで左側が「前」です。

林 :古墳ってそもそも横から見るものなんですよね
谷口:形も変化してるんだよね。もともとは發(バチ)型っていって、王位継承のためのステージ、そこで儀式をやってたのだろうと言われていて。儀式をやってるような形で埴輪を配置して演出して。それがだんだん変わってくるわけ。三角形になってくる前方部が、そうすると本来の意味は形骸化してしまって
林:まあそうですよね。古墳時代が2~300年あれば変わってしまいますね
谷口:変わっちゃうよね
林:文字はなかったんですかね?
谷口:文字が普及するのは7世紀だけど文字はあったよね。鏡なんかには文字が表現されているし。識字は一部の人だけかもしれないけどね。

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復元された葺石で覆われた五色塚古墳(神戸市)の後円部 photo by 663highland 

大北:古墳ってそもそもお墓ってことでいいんですよね。
谷口:お墓だけどお墓だけの意味じゃないですからね。ランドマークにもなるし、お墓を作ること自体が共同体というか、絆ができるとかさ。地域のコミュニティや権力をうまく維持するために必要だったんじゃないですか。
大北:お城みたいな意味もありますか?
谷口:それはないと思う。防御とかそういう意味はないし。見せつけるということはあるけれど。
林 :今で言うお墓みたいなものだけど暗い雰囲気ではないんですよね。みんなで造って、それにランドマーク。
谷口:皆さんもよく知っている大仙古墳(仁徳天皇陵古墳)とかあるじゃないですか。今だから森になってるけど、作った時は石がみんな葺いてあって。太陽にあたって白く光ってるんですよ。人工的な構造物ってすぐわかる
林 :エジプトのピラミッドは木が生えないのはあのへんの気候?
谷口:気候というよりも、石が反射して光ってたわけでしょ。

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ギザのピラミッドを白っぽくしたイメージ図。古墳も石を貼ってたので白かったそう

古墳は当時の最新の演出

大北:副葬品ってお葬式で遺品を入れるみたいなことなんですかね?
谷口:まあそういう部分もあるだろうね。
林:鉄剣とか銅鏡とか入れたって聞きますが
谷口:入れる儀式とかさ、銅鏡によって神代の国に連れてってくれるとか呪術的なこともあるから。
大北:埴輪をならべる意味ってどういうことなんですかね?
谷口:埴輪もいろんな意味がはじめにあって。埴輪を並べることによって聖域を作る、外から変なものが入らない空間を作る、という意味がほんとはある。それがだんだん儀式をまねた形にしたり。はじめから人物埴輪があるわけじゃないんだよ。
林 :埴輪の形が変わったり、古墳にはその当時の最新があるんですね
谷口:当時の最新の演出だよね
大北:埴輪やめよっかなーっていうタイミングはいつなんですかね?
谷口:それはもう仏教、仏教。仏教が入ってきて、埴輪やめて古墳造るのをやめた

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日本最初の寺飛鳥寺復元図。こんなのが来たら埴輪が古く見えてしまうだろうな…

林:大化の改新?
谷口:よりちょっと前。見せ方として古墳から寺院へ変わっていく。
大北:古墳は宗教みたいなものですか?
谷口:というより死生観といったほうがいいかな。死んだあとの世界がどうなんだってことで変わってくる。じゃなかったら捨てておけばいいんだから。
林 :どこの国にもお墓はありますよね
谷口:あるけども、ピラミッドは再生。でも日本の古墳はあの世へ送り出す装置だよね。戻ってこいとは言わないじゃない。
大北:古墳時代も神様ってあったんですか?
谷口:ある。太陽神的なのがあるよね。神話とかもあって。でも今の私たちがイメージしている宗教と同じようにとらえていいのかっていうのがあるけども。同じ先祖観とか同じ神話を持ってるとか。そういうのかもしれない。

取材にご協力いただいた谷口榮さんの新著はこちら

歴史を重ねて見えてくるのがおもしろい

大北:谷口さんは通史的に詳しいわけですが、個人的にはどの時代がおもしろいんですか?
谷口:時代よりも地域だね。やっぱり時代は重ねるとおもしろいんだよ。古代だけ見ててもこれ見えてこないよね。中世も重ねて、あ、この方向にみんな行き来してるんだなとか見えてくる。そういうのがおもしろいと思う。そこにその土地のもつ歴史的な特性が見えてくる。

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