はじめに
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西村まさゆき
ファミコンショップの店が一口たいやき屋に
鳥取県倉吉市「りんりんや」
生まれ故郷の鳥取県倉吉市に、江戸時代から明治大正にかけて建てられた古い商家の土蔵群が、玉川という小川沿いに建ち並ぶ白壁土蔵群の町並みという場所がある。
僕が中学生のころは「あるな」というだけで、特に観光地というわけでもなんでもなかったが、その白壁土蔵群の町並みのすぐ近くに、りんりんやという、駄菓子屋を兼ねたファミコンショップがあった。
店内では新品と中古のファミコンソフトを取り扱っている他、ストリートファイター2などのアーケードゲームの筐体もあり、中学生のたまり場となっていた。
夏休み前のホームルームで「そういう場所に行かないように」と、釘をさされるほど、地元の子供達の間では有名な店舗であった。
当時、僕はのし梅さん太郎にドはまりしていたころで、100円、200円といったまとまった金が手に入ると、りんりんやに出向き、全財産を使ってのし梅さん太郎を買っていた。
りんりんやは、当時40歳ぐらいのおっさんが一人でやっていた。りんりんやのおっさんは、東大を卒業してりんりんやをやっているという噂があった。たしかに、インテリっぽい雰囲気はあったが、いったい誰がどういう意図で流した噂なのかわからないが、たぶんガセだろう。
りんりんやのおっさんは、子供相手に商売をしていたけれど、子供に対して特別に優しいとかそういうこともなく、店で騒ぐ子供がいれば普通に「静かにしろ」と叱るような、まっとうな大人であった。そういうわけで、りんりんやは中学生のたまり場であったものの、治安が悪いというわけでもなかった。
いちど、学校帰りにりんりんやに寄って買い物をし、帰ろうかと店を出た所、店の向かいの自販機の前で初老の男性が仰向けに寝転がっている場面に遭遇したことがある。
僕は男性にかけより「大丈夫ですか?」と声を掛けたところ、意識が朦朧としているようだった。そのとき、ちょうど通りかかったお姉さんに「林のおじさん呼んできて!」といわれ、僕はりんりんやに戻り、店の中で談笑していたおっさんに人が倒れていることを伝えると、おっさんは顔つきがサッと変わり、店を飛び出し、倒れていた男性の救護に向かった。このとき、僕はりんりんやのおっさんが林という名字であることを知り「だからりんりんやか〜」と妙に納得したことを覚えている。
次の日学校に行くと、耳が早い友達の小坂くんが「昨日りんりんやで倒れとったお爺さん、病院で亡くなったらしいで」と僕に教えてくれたが、真偽は定かではない。
僕は1996(平成7年)年に上京したため、それ以降、りんりんやがどうなったのか、知る由もなかった。
1998(平成10)年、白壁土蔵群が伝統的建造物群保存地区に指定されると、りんりんやを含む白壁土蔵群の町並み一帯は観光地として再認識され、僕が住んでいた頃からは想像もつかないほど観光客が訪れる場所となった。
最近(といっても10年ほど前だが)久々に帰省した折に白壁土蔵群の辺りに行ったところ、そのなかにりんりんやが「一口たいやき」のお土産屋として残っているのを発見した。驚いて店にかけよると、中からりんりんやのおっさんがぬっと出てきた。
「あ、林のおじさん……僕、昔ここでファミコン(のソフト)買ったりしてたんですよ」というと、林のおじさんは「あぁ、ファミコンはな、もうだいぶん前にやめて、今はたいやきうっとるだに」と、静かに教えてくれた。
せっかくなので「一口たいやき」を幾つか買って帰り、食べた。味は美味かったが、懐かしいという気にはまったくならなかった。懐かしい店で買ったのに、まったく懐かしくないという、じつに不思議な体験をした。
終わって解説です
昔、駄菓子屋兼ファミコンショップだった店が、一口たいやき屋になっていました。店主さんに会えたところが、うっかり感動的な話になって良かったです。
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