百字劇場は5冊発売中
北野さんがテーマを文章にできるのであればそれを書いているという通り、ほぼ百字小説の魅力を簡単に言うのは難しい。
ただ確かなのは北野さんが拾ってきた珍しい石、それを200個浴びるように読めるのはこれまでにない読書体験だったこと。
百字小説の世界は読み終わっても身体のまわりにほわほわと残っている。
そんな本はネコノスから5冊発売中!!
本人が「売れへんなって思うんですよ」と言ってるけど発売中です。
ほぼ百字で完結する小説がある。
書いているのはSF作家の北野勇作さんだ。
まずはいくつか作品を見てもらおう。
高齢化と人口減少により、町内の餅つき大会にこれまではタブーとされてきた自動餅つき機が導入されたのは五年前。しかしそうなってしまうともう歯止めは利かない。ついに今年から、自動餅食い機が導入されることに。
北野勇作 ありふれた金庫 (シリーズ百字劇場) (p.104) ネコノス
これって何のスイッチなの、と妻が言って、壁のスイッチをぱちん。途端に、何も無くなってしまった。仕方がないから手探りで壁沿いにスイッチを探して、ぱちん。妻と世界が戻ってきた。あ、壁だけはずっとあったな。
北野勇作 納戸のスナイパー (シリーズ百字劇場) (p.14) ネコノス
亀がこっちを見上げている。まっすぐ見つめてくるから目をそらすことができない。何か言いたそうだな。そう話しかけたあと、何も言いたがっていないとわかる。足の甲に乗り上げてきた甲羅の冷たさで、それがわかる。
北野勇作 かめたいむ (シリーズ百字劇場) (p.120) ネコノス
亀の甲羅は肋骨で、だから亀だけは肋骨の内側に肩甲骨がある。亀は進化の過程で骨格を裏返したらしい。裏返った亀の外側にあるものはすべて亀の内部だから、亀の甲羅に世界が載っているというのはそういうことかも。
北野勇作 かめたいむ (シリーズ百字劇場) (p.78)ネコノス
ネコノスから刊行されているシリーズ百字劇場にはそれぞれ200本の作品が掲載されている。ほぼ百字小説は北野さんが10年前から毎日Twitterで発表しており、作品は累計で5000本を超える。
作品集を読んでいると1本1本が完結した作品でありながら、全体で世界を感じられる不思議な作品集だ。短編だけど長編でもある。
この唯一無二の作品はどのようにして生まれたのか、著者である北野さんに話を伺った。
「交差点の天使」のはじめのが最初ですね。あれを書きたかったんです。あれ、ほんまにあった話なんですよ。
娘とプールに行った帰り道、巨大な天使が更地に落ちていた。家に着くなり妻に娘を渡し、カメラを摑んでまた自転車に飛び乗った。どうしたの、と叫ぶ妻に、天使っ、とだけ答えて自転車を漕ぎながら見上げる空は、赤。
北野勇作. 交差点の天使 (シリーズ百字劇場) (p.5) ネコノス
もともとスパワールドの隣にフェスティバルゲートっていう遊園地があって、そこが取り壊されて、天使の大きい石像が残ってた。それをたまたま見つけて「うわあ」って思って。子ども連れて自転車で帰って、妻に子ども渡して、やっぱあれ写真撮っとかな後悔すると思って、また見に行った。
っていうのがあの話なんですけど。
でも、説明を全部抜きにしてあったことだけをただ書いたら面白いんちゃうかって。
最初のやつをツイートしてから、面白いから2つ3つとってやっていって、なんかもうずっと毎日書くようになって、そのままずっと続いてるみたいな。
— 説明を削った作品だったんですね
たぶん、僕は昔からこういうことが、この、ちょっとしたことが書きたかったんですね。ちょっとだけ、変な倒れ方をするドミノとか。そういう3個だけでできてるドミノみたいなものをね、書きたかったんやと思うんですよ。
それだけやと小説として読んでくれへんから、これまではストーリーみたいなものを組んで、そこにはめ込んでいってたんやと思うんですけど、そのはめ込んでいってた部品みたいなものが百字やったらいけるっていうことが分かったんですよ。
— ドミノですか?
僕は小説ってドミノ倒しやと思ってるんですよ。文章でできてるピタゴラスイッチ。
最初の文章が次の文章を倒して、その文章が倒してて、そのパタパタって倒れ方がすごく面白い。
まっすぐ倒れるだけやったら面白くないじゃないですか。枝分かれしたりとか、変な仕掛けがあって上に上がったりとか、そんなことをするのが小説やと思ってたから、だから百字小説はそれのいちばんちっちゃい単位ですよね。
長編やったら何十分もかかるようなドミノ倒しみたいなもんやけど、3つぐらいで面白い倒れ方をするようなものをできる、って思ったのかな。
—ストーリーがドミノ倒しではなく、文章がということですよね
文章なんです。
1文目が来たら、2文目はどの方向に来るかっていうのを想像するじゃないですか。でも、それがちょっと違ってたら面白い。
それがあまりにも遠いと倒れない。だから倒れんねんけども、そのギリギリのとことか、当たるはずないのに当たって倒れるみたいなことが。面白いと思うんでしょうね、僕は。
空が広いところを歩いていて、月が二つあることに気がついた。ではここは火星か、あるいはここを火星と思わせたがっている狐か狸の悪戯か。そんなことをぼんやり考えていると、いつのまにやら月は三つに増えている。
北野勇作. 納戸のスナイパー (シリーズ百字劇場) (p.5) ネコノス
「空が広いところを歩いていて、月が二つあることに気がついた」
って1文目はそういうことが起きたんやって思うじゃないですか。
「ここは火星か、」って火星をいきなり出して、そのあとに「火星と思わせたがっている狐か狸の悪戯か。」っていうのが来る。火星には月が2つあるし、狐狸に化かされる話で月が2つあるのもあるんですよ。だから1文の中に火星と狐と狸を入れる変な形のドミノですよね。
こんな話やったら、なんで月が2つあるかっていうことが明かされると思うんですよ。
でも、そこに行かずに、「そんなことをぼんやり考えていると、いつのまにやら月は三つに増えている。」
何の解決もしてないねんけども終わった感じにする、みたいなことをやろうとしているんですよ。
— 3つ目の文の倒れかたがへんですね
落語家の桂枝雀さんの理論で、落語のサゲの種類は4つしかないっていうのがあって。「どんでん」と「謎解き」と「へん」と「合わせ」。
「へん」はさらにへんな方向に振るってことですね。
オチでさらにへんな方向に行ったら終われるっていうんですよ。
月が3つになってるっていうのも「へん」です。そっちに振ったら解決してないねんけど、お客さんが終わったって感じる。
星新一の作品も「へん」はようけあります。どんでん返しばっかりやって思われてるけど。
どんでん返しはパターンあるからそれじゃあそんな数かけないですよね。やってる方も面白ないし。
読み始めたらやめられないものっていうのが、僕はとって理想やと思うから。
ストーリーとして意外なことが起こってなくても、すごい不思議な比喩が出てきたりとか、全然違う描写の仕方をしてたりとか。
ちょっとずつ軌道が変わっていく、意外やねんけども納得できるところに持っていってるっていうのが小説やと思うんで。
— 読んでるときの楽しさ、ですね
僕にとって小説のいちばん面白いとこっていうのは、長いやつ読んでるときでも多分そこやったんですよ。
それをもっと純粋な形に、そこだけで遊ぶみたいな形にできるのが百字小説なのかな、っていうのは、ずっと書き続けてきて思ったことですね。
— 推理小説を読んで、途中の描写だけ妙に覚えていることがあります
そうですよね。ストーリーは読み終わったら面白かったって思うけど、読み進めているエンジンになってるものは1個1個の文章のはずやから。文章を読むっていうこと自体が喜びになってないといけないですよね。
それは別にきれいなこととか、ええことが書いてあるとかじゃなくて。こっちに行くと思ってんのにこっちに行ったとか、丸いもんや思ってたのによう見たら四角かったとか、なんかそんなことの連続でもっていってるものやと思うんですよ。
そういうのが僕にとっては理想の小説なんですね。
ストーリーは読みやすくするためには、ものすごく便利な道具。
でも、道具やからなーとしか思わへんし。それを考えんでもいいっていうのが、この百字小説っていう形式やなって自分では思ってますね。
ストーリーは使ってもいいし、使わへんかってもいい。こうじゃないとあかんっていうことはないから、その分の自由度がものすごく高くなるね。
百字だったら分からなくても読んでもらえる。
— 百字小説は発明ですね
小説はわからなくてもいいと思うんですよ、僕は。別に読めればいい。読めなかったらあかんけど、読めれば別にわからなくてもいい。それが面白いと思う。
— わからなくてもいい
この小説はこういう意味で、こういうテーマになっているんだみたいなことをよく言うけど、実際は読んでる最中の体験そのものが快感なわけで。
うわ、面白い形の石があって、形面白いし、触ったら手触りも面白いし、色も綺麗やなーっていうのが小説やと思います。
拾ってきた自慢の石を見せられてるみたいなもんですね。200個こうやって順番考えて置いてるから、それは何かがあるけど、でもそれは言葉では説明できない。
その石をただただ見てくれたらいい。
でもね、世の中の動きが完全にそれと逆やからだから百字劇場は売れへんなって思うんですよ。
— ストーリーがなくていいなら伏線回収もない
現実で伏線が回収されないからおかしいとは誰も思わないじゃないですか。
なにも無駄がないもんやと思っているんですね。無駄があったらあかんって。
でも小説なんか無駄なものやし、現実も無駄なんですよ。
生き物なんかみんな無駄なわけやから。
進化も行き当たりばったりで、全然効率よくなってないし、たまたまですよね。
だから変なんですもん。人間の構造とかも。物食べるのと息吸うのが同じとこやとかいうのは、もう完全に設計としておかしい。
— 確かにそうです。だから危ないんだ
これは養老孟司さんが書いてたんですけどね。
明らかに設計としてはミスで、実際に死ぬ人が何人もおるわけやから。
— ひとつひとつが短編になっていて、200本まとまってまたひとつの作品になっているように感じました
僕というひとりの人間が見てる世界やから、バラバラに見えてても、統一性はあるんですね。
子どもの頃は落語が好きで、で、ウルトラマン好きやったんですよね。変な不思議な話とか、面白い話への衝動みたいなものがあって。僕にしたら、落語もウルトラマンも同じようなものやったんですよ。
ほぼ百字小説っていうのは、自分の中から掘り出した化石みたいなもんなんですよ。
博物館でいろんな化石を順番に見ていったら、その時代の生態系がだんだん見えてくるみたいな感じになったら面白いなっていうのはありますね。
— 落語もウルトラマンも同じですか?
うん、どっちもアホな話。お笑いってものすごい予想外のものが出てくる面白さじゃないですか。ウルトラマンかて、怪獣なんかもう思ってもないものが出てくる。
手がはさみの宇宙人が現れて、分身の術使ったりとかする。
ウルトラマンも見てもそんなアホなって思うし、落語聞いても、そんなアホなって思う。
SF的な話も落語にはいっぱいあるし、落語に出てくるアホな人ってそんな人おれへんやんって思うけど、宇宙人とかとまあ言うたら一緒で。
ウルトラマンも人間がバーンってでっかなって、3分しか戦われへんって。何それ?っていうような話じゃないですか。
かなり落語の発想ですよね。めっちゃ力あんねんけども、ちょっとしかできへんとか。
そんなアホなっていうのは、たぶん「センスオブワンダー」ですよ。
センスオブワンダーって、「そんなアホな」って訳したって全然おかしくないから。
それを好む欲求みたいなのはSFと落語も一緒なんちゃいますかね。
— 納得しました。百字小説は北野さんの断片
ナイトスクープのパラダイスですよね。変なテーマパークみたいなパラダイスを作ってんねんけど、あれって結局その人の頭の中じゃないですか。
その人の頭の中が外に展開されてるようなものやと思います。
— 現実をベースに想像を膨らませるのかと思ったんですが、フェスティバルゲートの話を聞くと逆なんですね
現実はやっぱり面白いんですよね。頭で考えたことじゃないから。
アフォーダンスっていう言葉があって、生き物の視覚とか知性、意思みたいなものは、脳の中だけじゃなくて、現実世界の中に埋め込まれてるっていう考え方なんですよね。
現実世界があるから世界が頭の中にも構築できる。小説も僕はそうやと思うんですよね。
現実にあることを、こっちにあるもので受け止めて、投げ返したりとかしてるようなものっていう感じはしますね。
あるときから、ようさん書くようになったら、もうほんまに考えてたって出ないんですよ。だから家族に「もうなんでもええから、なんか言葉いうて」とか言って嫌がられたりとか。
見たもの、実際起こったこと、ニュースとか、そんなことと自分との相互作用、なんかそういうのを書くことが面白いんとちゃうかな、みたいなことは思いますね。
— 外に現実、内にファンタジーといった分け方ではない
リアルなこの物理空間を僕は小説というか文章みたいな道具を使って相互作用しているということがやりたいんとちゃうかなって自分では思ってるんですけど、あんまわからないですね。
そんなことね、他にしてる人おれへんから。
北野さんの作品のなかには不思議な話のあいだに、ほぼ私小説がはさまることがある。そこが不思議だったのだが、現実の世界を北野さんの視点で構築しているのだと考えると腑に落ちた。
妻と娘がリュックを背負って出発。見送りながら、途中で正体をあらわしてそのまま消え失せてしまうのでは、などと思ったりもするが、妻と娘のままで駅の方へと歩いていった。ひとり残った私は、子供会の公園掃除へ。
北野勇作 交差点の天使 (シリーズ百字劇場) (p.137) ネコノス
— 小説の書き方を教えているそうですね
最初はもう何も考えずに、最初の3文を書いてみてくださいっていうところから始めて。
わりと書けるんですよ、3文ならね。別に最後のオチとか、そんなこととか、そのストーリーとか考えなくても書けるでしょって。
テーマとかね、アイデアとかは別にいらんってずっと言って。手を動かせば大体なんとかなる。
— テーマは求めない
テーマとかって言われてもね。テーマはこれこれって文章にできるのやったら、その文章書いてるから。それで済むんやったら、それ書くわって思うよね。
北野さんがテーマを文章にできるのであればそれを書いているという通り、ほぼ百字小説の魅力を簡単に言うのは難しい。
ただ確かなのは北野さんが拾ってきた珍しい石、それを200個浴びるように読めるのはこれまでにない読書体験だったこと。
百字小説の世界は読み終わっても身体のまわりにほわほわと残っている。
そんな本はネコノスから5冊発売中!!
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