特集 2020年6月14日

日本史研究者と街を歩くとどれだけへぇへぇ言わされるのだろう?

へぇと言いたい。中世日本史の研究者谷口雄太さんと世田谷城を歩きへぇへぇ言いまくる

街を歩いて相手をへぇへぇ言わせる、『ストへぇ』という動画シリーズを撮っている。舞台が東急沿線なので歴史の話題になると世田谷の土地を治めていた吉良氏の名前が出てくる。

一度この吉良氏を専門にする人を呼んで一緒に歩いてみたい…吉良氏の研究で検索してメールを出してみたところOKが出た。

動画を作ったり明日のアーというコントの舞台をしたりもします。プープーテレビにも登場。2006年より参加。(動画インタビュー)

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> 個人サイト Twitter(@ohkitashigeto) 明日のアー

今回は日本中世史が専門の研究者、谷口雄太さんと上町の近くに住むデイリーポータルZライターのべつやくれいさんと歩く。本気の日本史研究者と街を歩くとどれだけへぇへぇ言わされるのだろうか?

※元となった動画はこの記事の最後に。記事で大事なところを紹介するのでネタバレしたくない方は先に見てください。 

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左から審判の林雄司さん、日本中世史の研究者谷口雄太さん、上町の近くに住むべつやくれいさん。谷口さんは大学講師としてもご活躍中の本気の方

吉良家のお膝元上町駅を歩く

東急世田谷線上町駅からスタート。日本史の先生と歩く!とはいえ地元知識のべつやくさんもだまってはいない。

べつやくさんから出た知識は「東急世田谷線の忘れ物センターは始点の三軒茶屋と終点の下高井戸にくわえてここ上町の3つ」というもの。渋すぎる地元知識でへぇゲット。

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へぇ~と審判が言うとへぇ獲得

 谷口さんに「中世っていつのことですか?」と聞くと「それも非常に良い質問なんですよ」という池上彰ばりの返しが。今日は濃い回です。

日本史における中世とは「武士が天下をとっていた時代」であり鎌倉時代~江戸幕府が始まる前まで。とはいっても定義はあいまいだそう。

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室町ブームはまさに谷口さん界隈

 中世といえば今は応仁の乱の本が売れたりちょっとした室町ブーム。谷口さんの界隈がまさにそこ。とにかくアナーキーでクレイジーな人たちがいたという室町時代だが近年では新たに分かったこともたくさんあるようだ。

たとえば当時の戦争には大名が野心を持って攻めに行くというパターンももちろんあるが、農民が隣の村に攻めちゃって、なんとかしてくれと請われて仕方なく戦国大名が攻めたというのもあるそうだ。

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上町から世田谷城に来ました

「ヤクザそのものです」と断言する谷口さん。頼まれたら沽券に関わるので解決しないといけない。戦国大名はそんな地廻りのヤクザみたいなもの。谷口さんによると戦国大名=ヤクザという学説があるそうだが…

「コロナ禍で強権を求める民衆の姿みたいな」と林さんが言うと「下から強権発動してほしい、そういう要素は日本史でかなりあります」と谷口さん。

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谷口さんレジュメを作ってきてくれてました。すげ~!

お城は文字通り土のもの

上町からほど近い世田谷城址公園へ。

世田谷城は吉良氏が中世に持っていたお城。とはいっても天守閣はない。天守閣のあるお城は主に江戸時代のもので、中世のお城は「土が成る」と書く城の文字のように土をぼんぼんと盛った土塁が主流だそうだ。 

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足利義氏の子供たちが吉良氏になった

 吉良家というのは愛知と関東の2つあって愛知の末裔が忠臣蔵に出てくる。どちらも室町幕府の将軍足利家の兄弟の家柄。戦国時代は下剋上といってもがっちり強固な身分制度のある社会なのでこの「家柄が良い」というのは大変な価値があったようだ。

ところで室町幕府って全国治めてたわけではなく西側(45カ国)だけで、東国(12カ国)である関東は鎌倉府という別の組織があってそこが治めてたそうだ。

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世田谷城は豪徳寺を含んだ大きさ。でっかいなー

関東の吉良氏が治めてたのは世田谷レベルで小さい場所だったので力はないけど家は良い。貴族みたいな珍しい武将だったらしい。

勢力の小さい吉良氏は強力な北条家にくっついていた。武田や上杉といった戦国大名は有名だが、一番強い戦国大名として学者が挙げるのは北条氏が多いそうだ。官僚や行政など組織がしっかりしていて手堅く強いらしい。なるほど…!!

 そんな北条家勢力の最前線として世田谷城は位置していて実際に攻められたりもしていた。なので強固な土塁が見られるけっこう大きなお城。そんなものが世田谷の住宅街で見られるとは…!!

そもそも研究ってどうやってするんですか? と聞いてみたところ、たとえば吉良氏なら全国に吉良氏関係の資料が眠っているので探して集めて復元してストーリー化するという地味な作業だそう。

新たな資料というのは今でもバンバン出るらしい。どんどん塗り替えていくのが歴史学なんだそうだ。

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城の中を歩きます

土塁ってこわい

世田谷城址公園を行く。土塁がかなりの高さだ。見えている石垣は公園を作るときに作っちゃったものだという。そういう「なんちゃって」なものもあるらしい。

城を攻めるってそもそもどういう意味があるのだろう。谷口さんによると城はそもそも政治や技術の拠点であり経済の重要地点でもある。そこを奪われると大ダメージだという。

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アップダウンあり、土塁なのか公園用に作ったものなのか

 ところで攻城戦における籠城(たてこもること)って絶望的すぎやしないですか。そんなイメージがあったが籠城とは「後詰作戦」ともいって、援軍と挟み撃ちすることが前提の作戦なんだそう。だから籠城は案外強いのだという。

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ここはお堀だそう

 ここは見ものだという土塁を濠から見る。これがかなりの高さ。ここから矢でも落とされたらそりゃやる気なくしますね、とみんなで話す。主に飛んでくるのは矢だが、石や煮えたぎった油や糞尿などいろんなものが飛んでくるそうだ。糞尿って「嫌だなあ」以上の意味あるんですかね??

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これが見ものだという土塁。かなり高い。こりゃ退散するわ…と絶望的な気分に

世田谷城は今も発掘中だそう。日本史において10年あれば研究は進むそう。20年前のものはもう古いと感じるという。とはいえ100年前の研究がムダになったりはしないそうだ。

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考古学プロパー、城プロパー、というように専門分野が分かれているそうだ

 谷口さんは「文献プロパー(専門の人)」というが、他にも城プロパー、考古学プロパーなど日本史研究の中でも専門がそれぞれあるそうだ。たとえば城プロパーはグーグルアースで新たな城を見つけたりするらしい。各々が新たな発見をして研究を塗り替えていくそう。

日本史研究者でもともと日本史が好きだった人は多い。突き詰めて物を集めるマニア気質、オタク気質の人がむいているらしい。

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これだけ長くつづいたらこの時代が永遠に続くと思うだろうと

 吉良氏がこの世田谷城にいたのは200年くらい。「200年もあったら住んでた人は永遠だなと思ったことでしょうね」と林さん。「ほんとにそう。住んでいる人からすれば、全ての時代は永遠に続くと思っている」と谷口さん。

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このあと豪徳寺へ。へえへえ言わされっぱなしですがつづきます

その後上町から豪徳寺に移る。ここも世田谷城の続きなのだそうだ。城主は吉良家から江戸幕府の井伊家に変わって後編は再来週に。

 これがこの動画に収まってる。へぇへぇ言いすぎて疲れる…

以上の内容、そしてそれ以上のへぇにつぐへぇが今回の対戦型街歩きストへぇの動画に収まっている。完全に識者にへぇへぇ言わされっぱなしのストへぇ。

次回は地元知識の巻き返しなるか!(ならない!!)

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