特集 2021年9月21日

路上飲み対策にも恋愛の南京錠をかけるのも民俗。民俗学者と街を歩く

民俗学ってなんなんだ? 民俗学者室井康成さんと渋谷を歩いて民俗を探した

2021.10.4追記
この記事について、林の発言部分に誤解を招く表現があると判断しましたので該当箇所を訂正いたしました。関係者、読者のみなさまにお詫びします。(編集部 林雄司)

街を専門家と歩くシリーズ、今回もガチガチの鉄板回といえる学問系です。好きでしょう、学問を柔らかく教えてもらえるの。それも民俗学。はい、来ました。

妖怪とか民話とかおもしろそうな匂いもするけど今ひとつなんのことか分からない民俗学。そろそろ実態を知るときかなと思ってました。

渋谷の街を歩いて民俗ってなんなの?というところから教えてもらった。そしたらもう民俗だらけです。ではどうぞ!

動画を作ったり明日のアーというコントの舞台をしたりもします。プープーテレビにも登場。2006年より参加。(動画インタビュー)

前の記事:たまには私のクッキーも受け入れてほしい

> 個人サイト Twitter(@ohkitashigeto) 明日のアー

今回は民俗学者の室井康成さんと東急東横線・田園都市線の渋谷駅周辺を歩く。民俗学という名前はよく聞くのだが実態はよく分かっていないのでまずはそこから教えてもらうことにした。

室井康成さん(左)デイリーポータルZウェブマスター林さん(右)とめぐりますよ

民俗学って昔話とか?

大北:民俗学、よく名前を聞くんですがなぞの学問でした…

林 :民俗学って、昔話を知るだけでなく今起きてることも全部対象になると聞いたことあるんですが。

室井:むしろ、今の研究ですよね。昔というか「前の時代が拘束している現在」ということになります。何年前とか、昔のことをそのまま研究するのは歴史学の世界で。今生きている過去の記憶とか、拘束性と僕は呼んでますけど。

大北:へ~、今のことなんですね!

林 :過去のことに影響されて今みんな行動しているようなことですね。社会学とは違うんですか?

室井:日本の社会学は民俗学の影響をかなり受けてます。社会学は数字を使ってやる調査が主だったんですけど、今は質的調査と言って、必ずしも数値データだけではなくフィールドワークも使いますね。昔の、大学で教える社会学はそういうことやらなかったんです。社会学がやりはじめて民俗学の存在感が薄れてきたっていう感じですね。

大北:学問にも存在感が薄れるとかあるんだ…!

室井:民俗学って学問的じゃないところがあるんですよ。自分の経験に根ざしたこととか一般化できないこと。そういうものが(世界に)あるのは事実なので、学問として認められていたんですけど、今社会学はかつて民俗学がやっていたような分野に出てきたってことですね。
歴史学も同じで、歴史学はもともとは政治史か経済史。なので、偉い人がやったことを調べていく。名もない人々の歴史というのは民俗学がやる分野だったんですが…。他の分野からいろいろ重なってきてますね。

大北:なんと、民俗学どんどん削り取られる危機…!!

ハチ公前広場から民俗学とはを語りながら歩く一行、民俗学が削り取られていく…

大北:海外でもそういう学問があるんですか?

室井:あります。フォークロア(folklore)。日本の民俗学はイギリスから概念を持ってきたのでオリジナルではないんです。民俗学とはフォークロアを訳したもの。フォークロアは民俗全般を指すので、民俗学は複数形を付けてフォークロアスタディーズ(folklore-studies)とも言いますね。

林 :海外にも一般的にあるんだ。

室井:あります。国民国家の形成と関係があるので、近代になってからですね。国民のアイデンティティっていうのを求められて出てきた学問ですので、ナショナリズムと親和性があるんですよね。

大北:へえ~、日本とは何か、みたいなところが出自なんですね

室井:でもそういったことをなかなか今言えなくなって来ましたね。日本のコアな文化だと思っていたものが実は違うということがわかってきたりして。現実的にこの渋谷を見ても、これだけ海外の文化の影響を受けていて、海外からの方もたくさん住んでいる。その中で、これが日本人の文化だと言うのはなかなか蓋然性がない(たぶんそうはならない)ですよね。ひと時代前の村の社会だったら言えたけど、なかなか言えない。

大北:民俗学、よく危機にさらされるな~

スクランブル交差点を見ながら民俗を探す

今はファッションが画一化している

室井:このスクランブル交差点というのは渋谷の象徴ですけど、民俗学というのは世相の移ろいを調べていくんです。移ろいを調べないとどの過去が現在を拘束しているかがわからないじゃないですか。

ですので、髪型の変化だとか服装の変化。私の経験に即して言うと、学生時代を送ったのが90年代の終わりなんですね。あの頃に比べると今のほうがファッションだとか、髪型の統一性が高い。どっちかというと黒っぽい服を着てる人のほうが多いんですよ。

大北:あ~、たしかにそうかもしれない…!

室井:90年代の終わりというのは、人によってそれぞれだったし。今はまず新入社員の服装がみんな黒じゃないですか。昔はグレーを着てたりとか、青っぽいスーツの人もいたんですよね。ドラマを見てもそうですけど、今はほとんど黒なんですね。

大北:今の就活生のスーツは黒!

林 :それはどこに拘束されて、どういう影響があるんですか?

室井:今なぜ統一されているのかは、逆に言うと拘束されてないということですね。今は同調圧力が強まっているけれど、国民が右に習いたいという気持ちがあるんじゃないか。一人ひとりの自信のなさ。コロナが始まる前からそういう傾向があったと思いますけど、私は経済的な要因があるんじゃないかと思っています。

大北:あ、そこは民俗ではなく、経済の影響かと。でも調べるからわかるんですよね、なるほど…!

90年代に比べて就活用スーツが全員同じになっているという

民俗と経済は切り離せない関係

室井:柳田国男という人物が日本の民俗学を作ったと言われていますけど、彼はもともと農政学の人、柳田は「経世済民の学」と言ってますが、農商務省(現在の農林水産省と経済産業省を合わせた組織)の高級官僚だったんですね。そこで経済政策を担当する人だったので、国民の暮らしがいいか悪いか調べるために民俗学をやったんです。

大北:経済政策のために民俗学!?

室井:ぼろっちいものを着てれば貧乏だし、見栄を張っていいものを着たりすることもある。実際には貧乏だけど生まれが良かったので無理して良いものを着たら実際の経済生活は破綻しますよね。なんでそういう気持ちになるのかと言ったらその人の過去の拘束性が、つまり民俗に拘束されている。こういうことです。

大北:うわ~、見栄っ張りも民俗なんだ!

林 :今民俗学ってイメージでいうと。妖怪みたいなサブカルチャー発のみたいなイメージがありますけど。

室井:パブリックイメージですね。王道は社会学とかにとられちゃったので。

林 :経済について民俗学が調べる方法として有効だったというのは、すごく意外性がありますね。

室井:経済からしか本当は調べられないはずなんですよ。たとえば民俗学は年中行事とか人生儀礼を対象としますよね。だから七五三とか成人式なんかは昔は誰もできなかったんです。金持ちしかできなかった。

林 :ああ、あれは金持ちのものだったんだ!

七五三は平成に入ってからのもの

室井:それが行われるようになったのは高度経済成長期に2つの理由があって、まず所得が上がって一般のサラリーマン家庭も金持ちの家と同じことができるようになった。もうひとつは農業の機械化が進んで、田んぼが早くできて、農家でも土日に休めるようになった。昔は土日も農家は働いてなければいけなかったんですね。

林 :お金と時間ができた。

大北:トラクターが七五三を生んだのかよ…

室井:七五三は昔からの伝統に見えて現代的ということになります。

林 :伝統って言われてるものが実は新しいというのはよく聞きますね。

大北:このシリーズ中世史の回の豪徳寺の招き猫伝説でありましたね。

室井:七五三が全国化したのは平成に入ってから。(※たとえばダイエーが催事として事業開始したのは1980年からだそう 参考 開智国際大学紀要『七五三の全国的な広がりとスーパーの役割』田口 祐子著

林 :平成ですか!

室井:全国に普及したのは。まだ2〜30年の歴史しかない。

林 :僕が大人になってからだ。

室井:それはどういうことかというと、七五三はもともと東京都心部の富裕層で行なわれていた行事だったんです。関西なんかは十三参りという13歳の時のお祝いを重視していた。今は関西でも七五三をやるんですけど、数十年を経て東京起源の流行が関西に到達した。

大北:関西から席巻した恵方巻の逆だ!


ここから七五三について反響があったのでちょっと喋りましょうかと三人で集まったので追記です
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反響があったので三人で集まりましたよ!

大北:七五三の話題が盛り上がりましたが

林 :そうですね

大北:「七五三は平成に入ってからのもの」という見出しがよくなかったですね。でもそういう話なのかな~と勘違いしてたんですよね。関西出身の僕は七五三やったけど全体としてはそうなのかな~と。そもそもそんな話はされてなかった。

室井:僕もゲラのときに気づけばよかったんだけど

林 :編集として気を引こうという気持ちはありました

大北:室井さんは七五三についての論文があったのでそちらにリンクを貼ればよかったんですが

参考:『都市文明史としての民俗学・再論-「七五三」の普及と定着を事例として-』東海大学教養学部紀要

室井:七五三は平成から始まったという風に受け止められてしまったんですね。七五三が企画のテーマじゃなかったから、僕も注意を払わなかった。

林 :くわしく知りたい方はこちらをご覧ください、とリンクすればよかったですね、すいません。

室井:この論文を読むと昭和30~40年代にはもう行われていて、平成の初期になってそれまでなかった関西の新聞記事でも盛んに取り上げられるようになるんですよね。「4.地方的受容の~」のところ参照してください。

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「ここに書いてあるとおりに…」論文まで書いてるのにすいません!

大北:私は何年生まれだけど七五三をやりました、という声をたくさん寄せていただきましたが

室井:経験に即して、とするならもう蓋然性としか言えないんですよね。たとえば『かつてこの地域では、●●の行事は盛んではなかった』と言っても、まったく無かったわけじゃないから。

大北:室井さんのお話、こちらが間違って受け止めてたのが大きかったと思うんですが、これでは七五三が平成以前にないとも読めますね、誤解を与えてすみません。正しくはどういうことだったんですか?

室井:七五三とかは人生儀礼っていいますよね。七五三は江戸の言い方ですが、似たような儀礼は全国各地にあって儀礼のやり方や年齢・名称などは地域によって違ってたんです、また長子のみで次男・次女以下はやらないとか。

その東京でも明治の頃は『七五三』という名称は一般的ではなかったようで、たとえば千葉や埼玉といった東京近郊のエリアでも、戦後も「七五三は東京風の行事」という認識があったという記録があります。同じ東京でも、類似の儀礼は「帯解き」とか「帯祝い」と言っていたようです。
これが明治の半ばごろから東京を中心に現在のスタイルに統一され、やがて全国に広がったとみられます。その受容のあり方や時期もまた地域によって違うようです。

林 :明治にいまのスタイルができたけどまだ全国区じゃない

室井:地方の都市の人と村の人、またはその村の名士とそうじゃないか、経済的な余裕のあるなしでもちがってきますからね。記録をみていくと、東京風の流行は、まず地方の中心的な都市に伝播したようです。その地方都市でも、戦前には七五三は『一部の富裕層のもの』という認識があったようです。
たとえば東京の世田谷区でも、戦前から鉄道駅があって街場が広がっていた下北沢では、七五三は戦前から行なわれていたという証言がある一方、高度経済成長期まで農村然としていたエリアは、やはり昭和30年代から広まったという記録があります。

まず東京で成立したスタイルが全国へと普及したのは商業ベースなんですよ。七歳、五歳、三歳という年齢で固定していった。

林 :東京でも地域差があったんだ

室井:論文の表を見ていただくと分かるように、『七五三』と似たような行事を何歳の時にやるかというと、各地バラバラなんですよ。男はやらないとか9歳とか8歳とかいっぱいあるんですけど、これが商業ベースになって一つの形に収斂していったわけですよね。

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論文には七五三年表があります。昭和55年「関西地方で七五三が広がり始める」というのは先行研究によるもの(室井 康成 2020「都市文明史としての民俗学・再論―「七五三」の普及と定着を事例として―」より引用)

室井:七五三という言葉自体は江戸時代にあるんですけど、これが今の七五三と同じものなのかはわからないんです。「七五三」という名前での行事は、東京で明治になってから流行るんですよ。そして明治時代の半ば以降に徐々に全国の都市へと広がり始める。三越とかがキャンペーンで始めるんですよね。大正時代のダイレクトメールが資料としてその論文にありますね。昭和初年に一度、三越の大阪の支店がキャンペーンを行なったんですが、戦局の悪化などもあり、あまり振るわなかったらしい。戦後になって徐々に定着し、昭和後期から平成初期にかけての時期に、全国的に行なわれる行事として確たるものになったという理解です。

林 :明治の東京で始まったスタイルが平成初期に全国隅々まで制覇した。

大北:なるほど。

室井:なぜそんな七五三が豪華な晴着を着てやるものになったのかというのも、明治時代になってから江戸の文化がなくなっていくことへの反発もあったと考えられています。それに加えて、日清・日露の二つの対外戦争に勝ったことで、近代国家としての自信を深めてきた日本が、かつての日本の良さ、文化も見直していいのではとなったのもあるのではと思います。
しかし、年々華美になっていく七五三は結局は親の財力競争ではないかという批判が、すでに明治時代の終わりには出てきました。

大北:へえ~、なるほど。やっぱりおもしろいな~

室井:全体としては論文にある七五三関連年表を参照していただけるとわかりやすいと思います。七五三が現在のスタイルにまとまっていくきっかけは、1970年に塩月弥栄子さん『冠婚葬祭入門』が出たのが大きかったんじゃないですかね。続編を含め700万部も売れたらしいんですよ。この時代に、百貨店などのキャンペーンも大々的になって。

大北:めっちゃ売れてる…!!

室井:戦後を代表するベストセラーです。各種の行事のスタイルが似たようになっていったのはこれが大きかったのではないかと。昭和55年の「関西地方で七五三が広がり始める」は先行研究が指摘するところです。
ただ、どこでも例外があって、関西でも戦前から「七五三」と称して行事をやっていたという地域はあるようです。各地の報告をみていくと、「広い地域で多くの人が関わる行事」となったのが、だいたいその年代だろうということですね。「盛ん」か「盛んではない」というのはあくまで傾向であって、例外は当然あるでしょう。

林 :室井さんは成人式についても論文ありますね

参考:現代民俗の形成と批判 : 「成人式」問題をめぐる一考察 

室井:成人式って戦後にはじまったというのが定説だったんですが、昭和8年にすでにやられてたというのがわかってきたんですね。さっきは七五三が広がっていくうちに7歳5歳3歳に統一されていったという話をしましたが、明治の半ばに民法が制定されても20歳が大人だっていう意識にはなかなかならなかったんですね。この論文にあるのはこの地域では主に戦前は何歳で大人だと思ってましたかという表で、男性は15歳前後からとか、女性は初潮を迎えると大人とみなされることが多かったり、色々なんですよ。

林 :今だと2分の1成人式とかありますね

室井:戦前は個人の発育具合をもとにしてたんですよね、男だったら大きな石を持ち上げられたら大人とか、女の子の場合は子どもを産めるようになったら大人。これも、あくまでそういう傾向を示す地域が多いというだけで、例外はありますから。詳しくは表をご覧いただければと。

林 :当時の平均寿命から考えると遅いですよね、二十歳って

室井:私が調べたところでは、各地で大人とみなされたのは、男の場合はだいたい親の仕事を手伝える年齢。農村部は比較的早いですが、それに比べると、仕事の危険がともなう漁業の家や、商家が多い都市部では遅い傾向にあります。
女子の場合は出産可能性に加え、家事や農事のスキルが身についた段階とか。民法の成人規定年齢が広く定着するまでは、何歳で大人とみなすかという基準は、家や地域によっても違っていたのではないかとみられます。

大北:へぇ~、危険のあるなしで!

どこが宇田川だったのか?

大北:もう一点、渋谷は元は川だったので歴史的に断絶しているということで、反論が来てました。「ここに川は通ってなかった」という反論がまずあったんですが…

林 :宇田川交番の横の通りが宇田川だったんですよ

大北:でもそこもセンター街なんです。センター街って広いんですよね。ただ、写真があれしかなかったのでたしかにそこに写ってる道は川ではないんですが。

室井:交番のあたりから撮ればよかったですね

大北:写真のミスリードは(まあ場所はちがうけどな)で流してほしい…

林 :写真の位置について公開前のチェック漏れです。センター街のメインストリートは宇田川ではありません。訂正します。

この写真ならあるがここはもうセンター街ではない

大北:もう一点、円山町が進駐軍によってできたというのは間違いだ、と。円山町の歓楽街自体はあったようですね

室井:もちろん旧大山街道沿いですから先にあって、進駐軍の話は渋谷の街全体が繁華街化するきっかけの一つですね。それから昭和40年代に東急百貨店本店やパルコが進出することで、商業地としてさらに発展した。
私の家業も、かつて道玄坂の上あたりで養鶏業をやっていたと聞いています。たぶん大正の終わりごろでしょう。その後、建設関係の仕事に転業して、東横線の駅のすぐ脇、明治通りから少し入ったあたりに長らく事務所がありました。その頃の渋谷の街の様子は、私自身が親や祖母から聞いています。

大北:戦前は何もなかったというのは乱暴だといった意見がありましたが…

室井:記事では戦前ではなく前近代って言ってたんじゃなかったな。前近代って近代の以前だから江戸時代ですね、中世も入るかもしれませんが。

林 :その直前に吉原との比較の話をしてたんですが、記事ではそこがありませんし。言い訳です。

大北:今読んだら「戦後進駐軍のための兵舎が立ってその人達のための歓楽街ができて」という言い方になってしまってました。こちらの認識が違ってたので直せなかった

室井:私の話し方に問題がありましたね。読者の皆さんに誤解を与えてしまいました。

林 :いやいやこちらのまとめかたも不十分でした。

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林 :歌舞伎町渋谷は東京の東側の街と違って江戸時代と断絶されている、歌舞伎町には池、渋谷は川っていうことですかね

室井:へえ、池があったんですね

林 :よく行ってた居酒屋の横が弁天様でした

室井:短い言葉で真意を伝えるって本当にむずかしいですよね。はっきりしたことってほんとは言えないんですよね。はっきりしてもらったほうがわかりやすいんだけども。

林 :私も分かりやすくと思ってはっきりした文にしてしまったので…

室井:さっきからまたフォロワーが増えている

大北:申し訳ないです、こちらの書き方で室井さんに影響を与えてしまって

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非常勤講師を務める大学での連絡用でしか使ってなかったアカウントにフォロワー数が増えてしまった室井さん(普段は都内の会社で働いており、この日は仕事用の作業着姿で会った)

室井:いえいえいえ、では、仕事に戻りますね。

以上、追記の座談会でした。引き続き記事に戻ります

聖地とはなにか

林 :今は少ないですけど、外国人の観光客が多くて、外国人にとっては渋谷のこの交差点が有名でその視点が逆に日本人側に入ってきてる。

室井:インスタ映えもあるでしょうね。インスタグラムが出てきてから急に人が多くなったところっていっぱいありますから。京都で言えば伏見稲荷とかは修学旅行のスポットで外国人が行くようなところではなかった。今で言えば聖地巡礼の聖地。社会学で言われていますけど、そこだけ周囲と切り離されて物語が完結するようなところ。ここを聖地と言ってます。

大北:アニメの聖地の駅とかも周囲から切り離されてますね。そこでだけの物語があるってことかな。聖地の定義があるんだ。

室井:ありますあります。最近だと中公新書で出ている岡本亮輔さんの『聖地巡礼』という本に。そういう概念も更新されていきますからね。渋谷全体で聖地じゃないですからね。細々としたスポットがあって。

大北:聖地といえばセンター街にはプリクラのメッカがありますね。

室井:今もあります?

渋谷はプリクラの聖地でしたが、今はプリクラのメッカという店名のプリクラ店があるのみ

林 :メッカの言葉遣いが問題なので。メッカまだあるのかな。

大北:笹塚にメッカという居酒屋があってお酒出してるんですけど。

林 :そういうメッカって言っちゃいけないんだよみたいなのもここ何年かですよね。

室井:宗教用語ですからね。

大北:宗教はあまり研究対象ではないですか?

室井:民俗学が研究対象にしてきたものはほとんど宗教だと思いますよ。でも宗教というか、民間信仰ですね。新興宗教も当然入ってきますけどね。センター街方向に行きましょうか。

渋谷は過去の拘束がないから文化発信の場になった

室井:やっぱりスクランブル交差点が表の顔だとすれば、センター街が本部というか玄関で内部という感じですよね。渋谷発のカルチャーってセンター街ともう一つ、これは90年代以降ですけど、裏原宿に通じる宮下公園方向の、2つに共通しているのがもともと川なんですよ。センター街の方は宇田川という川で。渋谷川の支流なんですね。宮下公園の下は穏田川という川で、そのまま原宿までさかのぼれるんですね。東京オリンピックの頃に蓋をしたわけです。それまでは川が流れていて、ということは昭和以前に歴史が遡れないところですよね。

大北:うわ~、なるほど!

林 :そこには何もない。

センター街から宇田川町、そして原宿方面への通りも昔は川だった

室井:歴史的連続性がないんですよ。それが特徴。他と違う。遊郭から発展した街とかあるじゃないですか。江戸時代に人が集まるところだったとか。新宿の歌舞伎町もできたのは戦後ですけど、新宿自体ちょっと離れたところに宿場町があったから人が集まるところだった。でも渋谷は何もないんですよ。

大北:前に何もない街、渋谷。

室井:渋谷は人が集まるようになったのは円山町の遊郭なんだけど、あそこはもともと進駐軍相手。今の代々木公園のところに戦後進駐軍のための兵舎が立ってその人達のための歓楽街ができて、それ以前は何もなかったんです。前近代との歴史性が全く断絶されているというところが、他の東京の盛り場と違う。

大北:背景に何もないから広告とかファッションが映えて大きくできるんだ、なるほど~!

林 :歴史がそこで途絶えてるのが面白いですね。

室井:遡りようがない。過去の拘束が全くないかはわからないけど、断絶しているからエキサイティングな文化の発信になっている。それを象徴していることはたしかだと思います。

戦争で死んだ人はだいたい願掛けになる

大北:渋谷の街で民俗学としてすでに研究対象になったものってありますか?

室井:NHKのところにある二・二六事件の慰霊像とかですね。幽霊の話がありますからね。

林 :二・二六事件のあそこは女子高生の恋が叶うスポットになってるって聞きますけど。

室井:そうそう。それは民俗学の中で転換型怨霊観と言って、私の書いた本にもあるんですけど、戦争で死んだ人とかはだいたいなんでも願掛けの対象になる。悲劇で死んだ人ほどね。普通に死んだ人は何も思いを残さないからパワーが弱いって。

大北:へ~え! 菅原道真が学問の神様みたいになってますが、あれ大体なんでもなるんですね!

林 :それ面白いですね。

都市伝説も重要な研究対象

室井:恋愛スポットの話は僕聞いたことがあるんですけど、実際に女子高生が行ったりするんですか?

林 :僕も聞いた話なんですよ。

室井:都市伝説ですね。

林 :そうか、それ自体も嘘かもしれない。

室井:民俗学ではナラティブって言いますけど、都市伝説が成立するというのが面白い。

林 :ナラティブっていうのは?

室井:語り、ものとか場所を巡る語りです。ナラティブって捉え方広いんですけど、昔話とか伝説とかも入ってきますね。

大北:話で語り継いでく口頭伝承みたいな意味ですか?

室井:口頭伝承もあるし、文字で書かれた。だからチェーンメールで回るうわさ話もナラティブ。ものを巡って何かを語られるもの。それをナラティブ。ものとか出来事とか。ひとつのテーマ性を持って、それについて語られる伝説。いろいろありますけど、それをひっくるめてナラティブと呼んでます。

クラブの入り口に前に立って写真を撮る用の看板がある。インスタ用だろうか

インスタ用の壁も民俗学

林 :あの羽根、インスタ映え用の壁じゃないですか。ここなんなんだろう。

室井:クラブっぽい。ですよね。

大北:学生がこういうインスタ映えについて研究したいんだってなったら、どういうテーマになるんですか?

室井:場所と語りということになるんでしょうね。どういうところにこういうインスタ用の壁が置かれて。これがあっても撮りに行かないところもあるでしょうし。その違いが何かというのを分析していくとか。そうなると社会学とあまり変わらなくなってくるんですけど。

大北:場所というのはクラブの入り口にあるかとかですか?

室井:とか、メインストリートに面しているとかね。それは仮定の話で、実際にそうなってるかはわからない。

大北:なるほど、そういう風に調べていくんだ

学校で習うこと以外の知識は民俗

林 :昔のものに規定されるといっても、たとえば若者は常に入れ替わっているじゃないですか。それが前の文化に拘束されることはあるんですか?

室井:伝承と捉えていますので。民俗学の民俗というのは簡単に言うと公教育(学校教育など)以外で身についた知識ということになります。ですので、知らず知らずに身につく知識ということですね。家に帰ったら手を洗う人と洗わない人がいるじゃないですか。誰かから教えてもらったのかもしれないけれど自然に身についた知識ですよね。民俗というのは微細に見ていくと個人によっても違う。どういうものを好むかというのは公教育以外の場所で身についてきた知識に基づいていろいろ選択している。

林 :確かに爪の切り方って誰に習ったわけでもないから、他人に会うとそんな切り方するのってのもありますよね。

大北:爪の切り方も民俗!

室井:だから偏見とか先入観も民俗なんです。あれも自然に身について、誰それを差別しろっていう教育は誰も受けてないはずですよね。そういう差別的な言動を知らず知らずのうちに聞いて。

林 :家で聞いて、そういうものだと思ってしまう。

大北:あ~、家のおじいさんおばあさんがバリバリ差別的なこと言ってましたね。そう考えると学校ちゃんとしてたな~。

室井:年が若くても誰かからもらって前近代的な意識はあると思います。若い人でも家柄を重視する人とかいますからね。

大北:いるいる!!

林 :その人が育った中で。

室井:家庭環境もあったかもしれないし、友達関係かもしれないし、それはわからないですけど、自然に身についてきた。

大北:公教育以外の知識だと、もうもうもう、幅広いですね。

室井:フォークロアのロアは知識って訳すんですね。フォークはフォークソングのフォークなので民間の知識。

知識は我々ノーレッジ(knowledge)って言うじゃないですか。ノーレッジとロアの違いはノーレッジは科学的な根拠のある知識。学校で教えてもらう数学とか英語とか社会科はノーレッジですね。

それに対して家に帰ったら靴をぬぐときに揃えてから上がるとか、手を洗うとか、爪をこうやって切るとかこういう知識は学校で教えてもらったものではなくて、自然に身についたものなのでこれはロアと言います。民俗学はフォークなのでその土地に根付いたものに注目します。

大北:そういうことですか、関西人が手のピストルで「バーン!」と撃たれたら倒れるのもフォークロアだ…

この先あたりに渋谷の旧日本軍施設の跡の碑があったり
いったん広告です

路上飲み対策に恋愛成就祈願しちゃう民俗

大北:この辺になにかの碑がありましたよね。

林 :最近高田馬場に路上飲みしないように鉄の柵ができて、そしたらそこに錠前を付け始めちゃって

大北:え~!? そんなことが(笑)

室井:恋が成就する、ね。あれはほんとにナラティブですよ。

林 :あれは可笑しいですよね。なんでもいいんだって。

室井:でも分析していかないと。民俗学っていうのは歴史の拘束性に注目しますから。そういう考え方がある程度過去にもあった。なら実証しなければいけない。

錠前を付けてカップルがそれをやって、恋が成就するみたいな話はけっこう昔からあるんですよ。昭和の時代から言われているのは、大磯と平塚の間に鉄塔があって、あそこから拡散したフォークロアじゃないかと。その一点だけ見れば少なくとも昭和時代から続いてる観念が今あるという形ですよね。錠前で恋が成就って科学的じゃないですよね、フォークロアですね。完全に。

大北:もう出自が分かってるんだ! そういうのって「結ぶ」っていうのも関係あるんですかね?

室井:たぶんあると思います。ネクタイと一緒で。あれも女の人が男の人に浮気しないように縛ったとか、プレゼントでくびったけとかいう意味で使われますね。

落書きも民俗学の対象なんだろうか?

落書きも民俗学なのか

大北:街の落書きとかも研究対象ですか?

室井:落書きばっかり集める研究の人いましたね。これ考現学っていう分野なんですけどね。

大北:デイリーポータル周辺では街歩きで写真を撮る人が多いので、考現学人気あります。

林 :みんな今和次郎が好きなんです。

室井:やくみつるの吸い殻集めるとか、ああいう感じですよね。なんらかの世相の変化を。落書きの中でただ漫然と集めるんじゃなくて傾向を読み解いていくのが民俗学的な考え方。最近だとメッセージ性がないとか、ただのほんとの汚しただけじゃないかっていう、よく言われますよね。でも最近は落書きをあまり見ない。監視カメラが増えているのもありますけど。器物損害ですからね。

林 :監視カメラが増えて落書きが減ってくというのも民俗ですか?

室井:世相の変化。だって、江戸時代は江戸時代で法律が厳しくて、自由が制限されていて、その中でできた文化は当然あって。身分もそうだし。その時どきによって、文化っていうのはそこそこ拘束を受ける。……役に立ってます?この話。

役に立ってます、ようやく民俗学がなにかわかってきたところで後編では渋谷の2大民俗学的スポット、二・二六事件の慰霊像と道玄坂地蔵(泰子地蔵)を訪ねます。

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テーマ:植栽 場所:渋谷 ゲスト:赤尾正俊さん
木の寿命は葉の量と幹の太さで決まる~樹木の専門家と街を歩く
建造物に植物があると街になじむ~樹木の専門家と街を歩く
テーマ:民俗学 場所:渋谷 ゲスト:室井康成さん
路上飲み対策にも恋愛の南京錠をかけるのも民俗。民俗学者と街を歩く

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