東京アラートを見に行く
都庁やレインボーブリッジを赤くライトアップするとは実際にどういうものなのだろうか。東京アラートが初めて発動された日の翌日、6月4日に見に行ってみた。
そもそも都庁がどんな色だったかも思い出せないが、たしかにこれだけ大きなものが赤一色になるとぶっそうな印象もある。
しかしこれを「ロマンチック」「かっこいい」「私のラッキーカラーだ」と思うかもしれないし受け止め方はさまざまかもしれない。赤く光らせることに効果はあるのだろうか。他の例を見てみよう。
比べてわかった東京アラートの効果とは?
たとえば都庁のそばにあった郵便ポストであるがこれを赤く光らせて「東京アラートが発動されました」と言ってもいいわけだ。
郵便ポストを東京アラートしてみたところ、やはりサイズの小ささによるインパクトの低下は否めない。それでも非常事態感は出てきた。(何か大変なことが起こったのだろうな、はがきの代わりにあっつあつの厚揚げを投函されたりだとか…)といったような思いがわく。
一方、予期しない結果ではあるがセクシーさも醸成されつつある。
これはいけない。都知事の話ぶりだと「夜の街」は「東京アラート」の対に配置されてそうな概念だ。東京アラートに"ちょっとだけよ感"は要らない。
人の東京アラートは可能なのだろうか
もちろん都内のポストや自転車をすべて赤くライトアップするなんて手間だ。ここは遠くからでも見える都庁やレインボーブリッジを赤くライトアップするのが現実的だろう。
それでもレインボーブリッジは東京の外れだし、都庁は新宿高層ビル群がそばにあり見えないことも多い。
たとえばこの東京アラートを人で置き換えることができたなら、各々が自発的に東京アラートとなり注意喚起し合うことも可能である。
東京アラートが人でも可能なのか。人を赤く光らせることでどういう効果があるのかを見ていこう
安藤さんを赤くしみてると、おお、これは大変だ。人の東京アラートにおいては大事(おおごと)感はむしろ都庁よりも増したかのような印象を受けた。
だがここで注意すべきこともある。この場合の人は何もせず立っているだけだが、人はだいたい何かをしているはずだ。他の状況下での東京アラートを見てみよう。
アラート以外の意味が出てきた
パソコンをしてる人に東京アラートが出ると「何かミスってしまったんだろうな」という別の意味が出てしまった。
それもミスの中でもお母さんと取引先を間違えてメールを送ってしまったりだとかそういうIQの低そうなやつである。頭に光る物体がついてることがそう思わせるのだろうか。
たとえばそれが何か人に薦めてるような状況だとどうだろう。
動画だと顕著だ。 あ、辛かったのだな、と東京アラートが別の意味を帯びる
動画で見るとそのトイレ失敗感がよくわかる
このようにいくつかの状況下では東京アラートを人に適用すると別の意味が立ち上がってしまうことがあった。それは例えば赤くなった都庁を見て「燃えてるのだろうな」と特定の意味づけをするようなことでもある。
東京アラートのことを知らない人が、実際に都庁の赤い光だけを見て「感染拡大した」と直接的に分かってしまうとする。それはトイレの前で私たちの東京アラートが発動するのと同じようなことなのだろう。
参加しよう(とは言われてないが)、東京アラート
とはいえ、トイレの前でなくただ突っ立ってるだけなら人でも東京アラートとなることがわかった。実際に私たちも東京アラートをやってみよう。
ところで人として東京アラートが有効であるなら、これは回転灯なのだからパトランプととらえて警察に限定してやってもらうという手はどうだろうという意見が上がった。
ちなみにこれは自警の警察官の東京アラートに触発されるように本当の東京アラートが起こった瞬間である
赤く光ってどうなる??
都庁が赤く光る!? それでどうなるの?? と思われた東京アラートであったがもちろんそれでどうにかなるわけではない。赤く光るだけで感染拡大が伝わるわけでもない。
赤い光だけで感染拡大が伝わってしまえばそれはトイレの前で東京アラートしているようなものなのであろう(この文章はなんだろうか)。ブルーインパルスが空を飛んでるだけで「医療機関の人たちへの感謝だな」とは思えないのも同じことだろう。ブルーインパルスにおしっこ漏れた感じを与えてはいけない。
じゃあ別に都庁でなくても赤くなくてもいいじゃないかという意見もあるだろう。たしかにたしかに。郵便ポストをまっぴんぴんのどピンクに照らすかどうかはあなたの自由だ。
咲かせてやろう、ポストの華を。真っ赤なあいつで夜の街を彩ってやれ!