初めての新勝寺
新勝寺は誰もが知るお寺だ。1901年に成田と我孫子を結ぶ鉄道が整備され、1926年には京成電鉄が開通し、全国で最も初詣者を集める寺院になった。成田駅から新勝寺までの約800メートルは参道も形成されている。

私は今回が初めての新勝寺だ。もちろん存在は知っていた。成田空港には何度も行ったけれど、そこからすぐの成田駅に降りたことはなかった。しかし、いろいろな偶然で成田駅に降りることが叶ったので、それは行かねばと新勝寺に詣でることにしたわけだ。

新勝寺が広く知られるようになったのは、江戸時代になってからだ。1700年に新勝寺の貫首(住職)になった照範上人が深川でご本尊を一般公開する「出開帳」を行い、同時に初代市川團十郎が「成田山分身不動」という歌舞伎を披露した。これにより新勝寺の名が知られるようになった。

今回新勝寺に来た目的は歴代の本堂を見るためだ。もちろん開山から全ての本堂が残っているわけではないけれど、4つの本堂が移築保存されている。最古は1655年に建立されたもの。ゲームボーイアドバンスが発売される346年前。かなり昔だ。

1655年の本堂
「新勝寺に着きました!」と書いたけれど、今回訪れる最古の本堂は参道にあるので、少し戻る。本来ならば、新勝寺に向かう途中や帰る時に行けばいいと思う。現在は薬師堂になっている。


建立された当時は現在の本堂の辺りにあった。その後に別の本堂(現在の光明堂)を建てる際にその背後に移築され、さらに別の本堂(現在の釈迦堂)を造る時に現在の場所に移築され、薬師堂に名前を変えた。

水戸黄門や初代市川團十郎はこの本堂でご本尊を拝んでいる。最古なだけあり、すっきりした建物のように感じる。シンプルで質素という感じだ。参拝客も私が訪れた日は少なかった。私はありがたいな、と口に出した。


1701年の本堂
次は光明堂ということになる。1701年建立なので先にも書いたように新勝寺が広く知られるようになった頃のもの。ニンテンドーゲームキューブが発売されるちょうど300年前だ。次の本堂(現在は釈迦堂)が建築される際に前面の床と壁が取り払われたそうだ。


江戸中期の密教寺院の遺構として国の重要文化財に指定されている。堂内には大日如来、不動明王、愛染明王が安置されている。愛染明王は人々に良縁をもたらすということで、恋愛成就のご利益があるとされる。

そのためかここには若い女性が多かった。私もこれでもか、というほど拝み倒したけれど。先の薬師堂と比べると建物が大きくなっている。また造りも豪華になっている。新勝寺の歴史を見るとその理由がわかるわけだ。
