いくらの説得力よ
「いくらってすげーな」
ある日突然そう思ったんです。
だってさ、たとえば「海鮮丼」を頭に思い浮かべてみてください。その天辺にちょこんとでも、いくらがのっているといないとじゃ、大違いじゃないですか? 一般の方100人に「どちらを宝石箱と例えますか?」と質問したら、99人は「いくらがのってるほう」と答えますよね?
また、大根おろしのうえにちょいっといくらをのせただけで、単体では正直地味な存在である大根おろしが、「いくらおろし」という大ごちそうになってしまう。
そんな、暴力的とすら言えるパワーが、いくらにはあるよなって。
さて、これはある日の晩酌どきのこと。
スーパーで、「炙りサーモン刺し」なんてのが半額になってたんで買ってきたんです。
この時点でじゅうぶん大満足というか、もはや頂点ですよね。ところが、その日突然湧き上がった「のせたい欲」を抑えることができなかった僕は、思わずいくらも合わせて買ってきてしまっていたんです。
う、うわー! さっき頂点だと思って立っていた場所は、まだ山の3合目だったのか! 雲に隠れて見えなかったけど、山頂、こんなに高かったのか! ……じゃないですか?
コンビニのおにぎりコーナーでいちばん素っ気ない存在感だった「塩むすび」。
ところがここにいくらをのせてみると……
ね? いきなり、一生に何度食べられるかわからないレベルのごちそうに早変わり。
例えばあなたが仕事上でなにかミスをしてしまい、取引先の社長のもとに謝罪に行くことになったとする。そんなとき、手みやげに「塩むすび」を持参していったらどうなります? 「きみ、バカにしてるのか!」と憤慨され、「謝罪の意思なし」と判断されてもやむなしですよね。ところがすかさず、「社長、お待ちください」と、懐から取り出したいくらをそこへどばどばかける。すると社長の顔はほころび、「お主も悪よのう」的なセリフを現代的な言い回しで言った後、「もういいよいいよ。それよりさ、これ半分こして食べてさ、飲みに行こ」ということになりますよね?
そのくらいの力が、いくらにはあるということなんです。「いくらとは説得力である」ということなんです。
というわけで今回は、そんないくらを日々の食事に躊躇なくかけ、どれほど説得力が増すかの検証をしてみたいと思います。
……あ、ここまでを読んで、「いくらって高級食材なんだから、そんなの当たり前じゃん。塩むすびより、あきらかにその上にかけたいくらのほうが高いじゃん」と思った方。さすが、するどいですね〜。そして、そこには気づいてほしくなかったな〜。
でも、もうやりはじめてしまったので、止まるわけにはいかないんです!
「いくらのせ冷奴」
さっそくスーパーで、「数千円してしまってもかまわない」という気持ちで、大容量のいくら醤油漬けパックを探したのですが、意外と見つからない。ああいうのって、お正月が近づかないとあんまり一般的な需要がないのかな〜。と、思っていたら、なんと運のいいことに、
こいつらを買いこみ、遠慮なく日々の食事、というか僕の場合は晩酌時のおつまみが多いんですが、そこにプラスしていきましょう。
こりゃまぁ当然うまいですね。豆腐が味も食感も素朴なので、いくらの華やかな味と香り、ぷちぷち感が際立って、贅沢な味わいに。
「いくらのせカイワレマヨポンごまあえ」
超お手軽な個人的定番おつまみで、カイワレ大根にマヨネーズとポン酢を目分量であえ、ごまをかけたもの。かいわれのしゃきしゃき感が心地よく、辛味はマヨネーズでほんのり程度にまでおさえられ、簡単なのに絶品。晩酌のスタートにちょうどいいんです。
見た目は大変華やかですね〜。これは期待大だぞ。
もしゃもしゃもしゃ……あれ? う〜ん……。なんだか、いくらのぷちぷち感にカイワレの元気な食感が勝ってしまい、塩気や酸味にはマヨポンの強い風味が勝ってしまい、いくらの存在感が薄まってしまってるぞ。
これはあれだ。あんまやらなくていいやつだ。どちらにもごめん。
「いくらのせヴィシソワーズ」
じゃがいもの冷製ポタージュスープ、
暑い季節には特に美味しいですよね。ただ、食材のメインがじゃがいものみという潔さが魅力の料理な気もしますが、
写真だといくらがちょっぴりに見えますが、足しても足しても沈んでいってしまうだけで、
味のほうはどうかというと、これが激うま!
じゃがいもの優しい風味と甘みがメインでありながら、口のなかでいくらが弾けると、塩気と酸味のアクセントが花開く。どちらの味もじゃませずに引き立てあって、いや〜いいな〜。
ただ、いくらはたまにぷちぷちっと当たるくらいでちょうどよさそうなので、もっと少なめのほうがさらにバランスがいいかもしれません。
「いくらのせシュウマイ」
またまた僕の大好物のシュウマイなんですが、これはもう、
とも言えます。すでに満足。が、企画意図から外れるのであらためて、
いくらとシュウマイ両方に塩気があるから醤油はいらないだろうとそのままかぶりついてみると……あれ、シュウマイって点心のなかではだいぶ穏やかなイメージがあったけど、けっこうはっきりとした味してるんだな〜。いくらのおかげで肉々しさが際立つというか。
ただそのぶん、いくらの存在感はかなり薄め。これまた、もうやらなくていいやつですね。ふたりともごめん。
「いくらのせペヤング」
ある日のお昼、
と、
そこにもちろん、
まず見た目、好きだな〜。この、意味不明な情報を必死で処理しようと、脳に新鮮な酸素がどっと流れ込む感じ。
あ〜……これはあれだ。さっきのカイワレマヨポンごまあえのパターン。塩気や酸味は、強めのソース味にかき消されている。持ち味のぷちぷち感も、混沌とした麺の食感のなかで、ほぼ水泡に帰してしまっている。もちろんいくらの風味は残っているし、それがイヤってこともなく、いつもよりなんだか豪華なペヤングって感じで、美味しくはあるんですが。
でもさ、ペヤングってけっこう攻めた味を限定で出すじゃないですか。なので今後、「ペヤング いくら味」が発売されないとも限らない。そしてそのペヤングには、さすがにほんものの生いくらは入っていないことでしょう。でもきっと、これと同じ味。「まるか食品」の技術力があれば、わざわざこうして生いくらを入れなくても、この味を再現することが可能だと思うわけです。もし出たら、ぜひ食べてみたいな〜。
「いくらのせスナック菓子」
最後はちょっとジャンクに、家にあった塩味のポテチ、駄菓子の「キャベツ太郎」、おせんべいの「歌舞伎揚」のお菓子軍団。
ここに、
おおお〜! これは美しいぞ。このままなんらかの方法で固めて、壁に飾っておきたいくらい。もはやアートだ。
ま、そんなアートをこれから食べちゃうわけですが、まずキャベツ太郎。こいつはですね、ペヤングと同じパターンで、ソースの酸味で若干いくらが消えてしまう。
次にポテチ。これは素晴らしいですよ。まぁポテチってスナック菓子といいつつ、イモをフライにした、れっきとした一品料理ですからね。それに、じゃがいもとの相性はヴィシソワーズでも実証済み。文句なく美味しいです。
そしてラストは歌舞伎揚。
いざ食べてみる。ぽりぽり……ぷちぷち……う、う、うまいー!!!
まさかの最高得点出たんじゃないでしょうか!? 考えてみたら、歌舞伎揚ってお米と醤油で構成されてますよね。そこにいくらをのせたということは、もはやこれは「寿司」なんだ。ほんのりとした甘みもいくらの酸味と相まって、カリカリサクサクとした食感もいくらのぷちぷち感とぶつからず、最高に相性いいです!
「いくらのせ歌舞伎揚」こいつはちょっとしたパーティーにぴったりだぞ〜!
今回の記事、かつてないほどに「自分は今なにをしてるんだろうか?」という疑問が拭えず、かなり終盤まで半信半疑で書いていたことをここに白状します。
が、最終的になににのせても美味しいってわけでもなく、マヨネーズやソースなど、いくらの酸味とぶつかってしまう強い味のものや、かいわれやペヤングなど、わしゃわしゃっとした食感にいくらのぷちぷち感が埋もれてしまいがちなものはあまり合わないということがわかりました。逆に、豆腐、じゃがいも、米菓など、どこか素朴かつ、いくらとは別な食感を持つものは、合う傾向にあることも。
このぶんだときっと、玉子料理、チーズ、もち、天ぷら、フライもの、煮物、などなどのなかにも合うものがありそうだし、臨時ボーナス的な収入が入ったときなどに、これからも少しずつ試していってみようかな。