まず、バトンを買う必要がある
谷川俊太郎の『朝のリレー』という詩が国語の教科書に載っていた。地球上ではどこかの国が常に朝を迎えている。夜、自分が眠る時、どこかの誰かは布団から体を起こして一日を始めているという、そういう内容の詩だった。
大人になると運動会に参加することがほとんどないので、リレーで誰かにバトンを渡すということもない。しかし、谷川俊太郎式に、例えば明け方まで仕事をした自分がこれから会社に行こうという誰かにバトンを渡すということならできそうである。大人ならではの「お仕事バトン」だ。「俺はここまで頑張ったから、ここからの日本の経済は頼んだぞ!」とバトンを託すのである。
「出社前に近所まで行ってバトンを渡していいですか?」と友達に聞いてみたところ「いいっすよー!」と二つ返事でOKをもらえた。よし、あとはバトンを用意するだけだ。
通販サイトで「リレー用バトン」を探してみたのだが、どうも最近の主流はアルミ合金製の軽くて耐久性の強いバトンらしい。私のイメージではバトンといえばプラスチック製で、使い古されてギザギザした感触になったものである。
どうせならプラスチック製がいいよなあと思って探しながら、「バトンってそもそもなんだよ」と不思議な気持ちが湧いてきた。アルミかプラスチックかとか以前に、別に新聞紙を筒状に丸めたものだって用は足りるのである。でも、これからほとんど使う機会がないであろうものを真剣に選んで買うという行為、私は嫌いじゃない。
悩んだ挙句、プラスチック製のバトンを購入することにした。後日、届いた包みを開封してみる。
6チームで同時にリレーができるセットである。どうしよう、せっかく買ったのだからフル活用したいが、自分が運動会を主催しない限り難しそうだ。
今回はなんとなく赤いバトンを使うことにした。
バトンの受け取り方、渡し方について検索して事前に学んでおくことにした。念のため、近所の公園で練習もしておいた。
簡単な練習を終えると、あとは特にすることがない。バトンをかたわらに起き、仕事を始める。
第一走者である自分がしっかりと仕事をがんばる。そしてその思いをバトンに託すのである。このまま一睡もせずに次の走者にバトンを渡したいと思っていたのだが、眠気に勝てず、割と早めに寝た。
早起きして友達の住む町までバトンを渡しにいく
翌朝、6時前に起きた。自分にとっては異例の早起きである。
眠たくて辛いけど、私からのバトンを待っている友達がいると思えば仕方ない。今すぐ電話して「やっぱやめよう」と言いたいけど、我慢して家を出る。
秋の朝である。風が涼しく、なんとも清々しい。早い時間だが、公園にはすでに犬を散歩させている人、ラジオ体操をする人などの姿があり、もう一日が始まっているんだなと思った。
眠いけど、こんな爽やかな朝の時間を過ごしたのは久々だったので、これだけで得した気分だ。駅に向かって歩いていくと、地面にキラキラと輝くものが落ちている。
50円が落ちているではないか!しかもこれから私が行く道に向かって点々と硬貨が落ちているのだ。
全部で161円あった。「早起きは三文の得」のわかりやす過ぎて野暮な例だ。逆に何かの罠のようですらある。
電車を乗り継ぎ、小1時間ほどかけて友達の住む町まで行く。まだ早朝なので電車が空いていてよかった。
地上出口へと続く階段を上りきると、すでに友達が待ってくれていた。
立ち話も早々にバトンを渡さなければならない。これから出勤する友達にはあまり時間の余裕がないのだ。よーし渡すぞ!
友達は赤いバトンを持ったまま会社へ向かっていった。バトンを渡し終えた私の胸には、なんとも言えない達成感が沸き起こっていた。
なんせこれからどこで朝ごはんを食べ、どう時間を過ごそうと自由なのである。朝マック、立ち食いそばなど色々な選択肢で迷った末、松屋でミニ牛丼を食べることにした。
食べていると、松屋の店員のうちの一人が「じゃ、お疲れ様でーす!」と言って厨房を出ていった。夜勤が終わり、退勤されるところなのだろう。まさに今、朝帯の店員さんへのバトンを渡し終えたところなのだ。「わかるよ、その気持ち!さっき俺もバトン渡してきたところだから!」と伝えたかった。
夜、仕事を終えた友達から再びバトンを受け取る
その後、友達の家の近くをしばらく散策し、通勤ラッシュの時間を避けて帰宅した。昼過ぎまで布団の中でゴロゴロして過ごしていると、友達からバトン片手に昼休憩をとっているらしき写真が送られてきた。
せっかくなのでこの機会にバトンを受け取る側の気持ちもしっかりと味わっておきたい。友達が仕事を終えた20時過ぎに再び待ち合わせ、今度はバトンを渡してもらう。
朝、私から受け取ったバトンを持った友達が今またやってくる。今度は私がそれを受け取るのだ。バカバカしいことだとはわかっているのだが、なんだか妙に感動する。
今回手伝ってくれた友達に「バトン受け取ってみてどうでしたか?」と聞いてみたところ、「かなり緊張しましたよ。これはなくしたらまずいと思って、重い責任を感じました」という。
勝手に自分たちでやっているだけのバトンリレーでも、「重み」が発生するというのが面白い。なんの使い道もないようなプラスチックの棒なのに、渡し合うだけで謎の付加価値が生まれるのだ。人の思いによって宝物のように見えてくる棒、それこそがバトンだ。
「これ、本当にまた明日の朝に渡しに行って、夜に受け取ってって続けていったらやめどきがわからなくなりそうで怖いですね」と話し合った。バトンの魅力と魔力に早くも気づいてしまった私たちであった。
2020年10月7日 18周年とくべつ企画「デイリー棒タルZ」
ありがとう18周年! この記念すべき日、ライター総勢18名が棒にまつわる記事を書きました。議論紛糾の企画会議のすえ決まったテーマで、どうしてこうなったのかもはや誰も覚えていません。なぜという気持ちをどうか押さえて楽しみください。
11時~19時半まで30分おきに公開します。