特集 2025年5月17日

佐渡島の岩海苔を摘んで伴海苔(板海苔)を作る食文化を体験した

記録させてください。

岩海苔という海藻が前から気になっていた。岩海苔というくらいだから、海の中で養殖されている海苔とは違い、自然の岩についているのだろうというのは想像がつくが、それがどんな場所で、どんな風に採られているのか。

運よく佐渡島の南端で岩海苔の収穫と加工の体験をさせてもらったのだが、そこには明治時代から脈々と受け継がれてきた地域色の濃い食文化が存在していた。

趣味は食材採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は製麺機を使った麺作りが趣味。(動画インタビュー)

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岩海苔を求めて佐渡島の西南の端へ

今回の舞台は佐渡島の一番西南、小木半島にある沢崎という小さな集落。

岩海苔は全国の海で食べられている食材であり、地方によって、地域によって、集落によって、その食文化はグラデーションのように変わっていくもの。

よってこの話は、あくまで沢崎の場合として、お読みいただきたい。

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佐渡島のお土産の定番である岩海苔。これの現場を見てみたかった。
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冬になると、島内のスーパーにも生の岩海苔が出回る。「旅先のスーパーで買い物して、自炊する日々に憧れて」より。

私が沢崎を訪れたのは二月の中旬。案内をしてくれたのは、沢崎集落に住む「伴海苔(ばんのり)同好会」の高野さん、山本さん、寺尾さんのお三方。

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入り江を跨ぐ橋の上から撮影した沢崎集落。

訪れたのはいいけれど、「今日は風が凄いでしょ。危ないから、やめておいたほうがいいんじゃない」と、全員がまったく乗り気ではなかった。

もちろん天気が悪いことはわかっていたので、まあそうですよねと思いつつも、せっかくここまで来たのだからと岩海苔を摘む場所まで案内してもらった。せめて現場を見てから諦めたい。

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「ダメだと思うけどなー」といいつつも先導してくれる伴海苔同好会の三人。

今はトンネルができたからすぐだけど、昔はこの山を越えて岩海苔を採りに行ったんだという話を聞きつつ(二つ上の集落の写真参照)、目的地へと到着。

ところで岩海苔はサザエやアワビと同様に漁業権が設定されており、集落ごとのルールで守られているため、その許可を持つもの以外は採ることができないのだが、今回は取材として特別に同行させていただいている。ライターをやっていてよかったなと心から思える大事な時間だ。

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岩海苔も漁業権の対象なので、許可なく採取することは禁じられている。

ザパーン。

「あそこにコンクリートを流して作った平らな海苔畑があるんだけど、波をかぶっちゃっているからダメだな」

ザパーン。

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海苔畑ってなんですか。

遠くの波打ち際に、まるで駐車場のような平らな場所が見えた。あれが海苔畑なのだそうだ。

そもそもは自然の岩に自生するものを収穫していたのだが、岩海苔が育ちやすく、そして収穫しやすい場所として、こうして人工的なスペースを用意するようになったのだという。

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これか。

佐渡にはいくつかこういう海苔畑があるそうで、岩海苔という言葉と収穫する場所のイメージが違っておもしろい。ギャップ萌え。

それにしても波がすごい。この海岸が北西を向いていて、思いっきり北西の風なので仕方がないのだが。

昔ながらの岩海苔摘みを体験する

私が悔しそうに海を眺めていたら、風裏となる磯にいけば少しは採れるかもと教えていただいた。

ぜひお願いしますと即答し、来た道を戻って案内してもらう。

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ぐるっと回って岬の反対側まで来た。

こちらにはコンクリートの海苔畑はなく、自然のままの岩場が広がっており、その波打ち際にモサモサと短い赤茶色の海藻が生い茂っていた。

 

どうやらこれが岩海苔のようだ。

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海苔畑を訪れることができなかったのは残念だが、こうして昔ながらの海苔摘みができるのも貴重な体験。

風裏の場所とはいえ二月の佐渡なのでまあまあ寒かったが、せっかくなので素手で岩海苔に触れて、ありがたく摘ませていただく。

岩海苔はしっかりと岩に根付いているので(根はないけれど)、これはなかなかの重労働。ゴツゴツした岩肌からはぎとらないといけいないので(この作業を「へぐ」と呼ぶ)、指紋が削れてなくなりそうだ。

これを仕事にするのであれば、磯にコンクリートを流して平らな場所を作りたくなる気持ちがよくわかった。

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これは大変な仕事だ。

ちなみに岩海苔はスサビノリやウップルイノリなど、磯に生えるノリ類の総称であり、場所によって微妙にその種類や割合が違う。イワノリという海藻がある訳ではない。

こういう知識はちょっと調べれば簡単にわかるものだけれど、この場で聞いた以下の話は、どこにも載っていないものだろう。

岩海苔を採るのは年末年始ぐらいから一月一杯くらいまで。今の時期(二月中旬)でも採れなくはないが、海苔が固くなってくるし、色も抜けてくる。

沢崎集落で岩海苔を採っているのは30人くらい。順番で回ってくる当番というものがあり、その人が海苔の育ち具合や凪(海の様子)をみて、その年の解禁日と時間を決めて各家に伝達する。勤め人も多いので、なるべく土日が好ましい。抜け駆け厳禁。

二回目以降に採る日も当番が決めて、何回か採ったらみんなの了解を得た上で「口開け」をする。口が開けたら(権利を持つ人であれば)自由にとってよくなる。今シーズンは例年になく岩海苔の育ちがよかったこともあり、二回目を採ったらすぐに口が開けた。

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最高に貴重な時間なのです。

今シーズンは1月5日が解禁日で、その日に採れた海苔を一番海苔と呼び、もっとも価値が高い。ただ岩海苔がしっかり成長して歯ごたえと風味が強くなる二番海苔や三番海苔を好む人もいる。

摘んだ岩海苔を洗ってそのまま干したものを「島へぎ」や「ひのり」と呼び、板状にしたものは「伴海苔(ばんのり)」。沢崎での伴海苔の生産はおそらく明治のはじめ頃からで、40~50年前までは貴重な収入源として集落のみんなが作っていたが、かなり手間がかかるので今も沢崎で作っているのは同好会の6人だけ。

これは60年くらい前の話だが、その頃はまだ貴重だった手袋が使用禁止だった。持っている人だけがたくさん採れるから。ゴム長ではなく藁草履の時代で、岩海苔は寒さを我慢をした人のものだった。次第に指サックが解禁になり、手袋もよくなり、現在に至る。

などなど。

伴海苔の作り方を習った

貴重な岩海苔摘み体験に続いて、伴海苔の作り方も同好会の皆様に一から十まで丁寧に教えてもらった。

「昔は冷凍庫なんてなかったから、採ったその日に干さないといけなかった。だから一日で千枚作ることもありましたが、今は30~40枚くらい。

若い人はやりませんね。我々みたいに定年退職をして、時間に余裕があるから作れる。伴海苔は趣味ですよ。勤めに出ている人には手間がかかりすぎる。

岩海苔は砂が歯にあたるとイラっとします。だから私は島へぎよりも、完全に砂が抜ける伴海苔が好きです」

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集落にある沢崎開発センターのキッチンにて。

私はまったくの部外者ではあるのだが、次世代の引き継ぐ人が現れることを願いつつ、理解できた範囲で工程とその歴史を記録させていただく。

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