最終日の営業は20時まで
神保町は大学が多く集まる学生の街、スポーツ用品店や楽器店が集まる街、カレーや中華や昔ながらの喫茶店が人気の街である。そして、なんといっても古書店が密集していることで有名な街である。
そんな魅力いっぱいの神保町は、会社で嫌なことがあっても、ランチタイムや仕事帰りでたくさんたくさん楽しい思い出を作ることができた場所だった。
行こう行こうと思いながらも、バタバタしていたら結局最終日当日を迎えてしまった。
しかもついたのは閉店1時間半前。
あわよくば食べようとしていた地下一階のレストランには行列ができていた。
2階にある喫茶店「UCCカフェコンフォート」も同じように混んでいた。
みんな考えることは同じだ。
思い出となる時間を過ごした場所を堪能したいのだ。
最後なので撮影は自由
店内に入ると、多くの人が記念撮影をしていた。
近くにいた書店の方に聞くと、今日は最後なのでどこでも自由に撮って良い、とのことだった。
最後のセール
人が多い一方で、ところどころ閑散としている場所があった。
1階の入り口にあった雑貨屋さんは4月からセールをしていたようで、商品はほぼ残っていなかった。
この日、書籍以外のものは50%OFFから70%OFFとどれも割り引かれていた。
このスペースの一角には、いつも何かしらのクリエイターさんが来ていて、色んな作品が見られるので楽しみだった。
すべての階をまわる
最後にこの三省堂の姿を目に焼き付かせようと、すべての階をまわることにした。
エスカレーターに乗るのももうこれが最後だし、トイレも最後だ。
書店に並ぶ本を眺めていると、ふと手に取りたくなることは誰しも経験あることだ。
こういった「本との偶然の出会い」というのが書店の醍醐味だよなあ。
最初に書いた通り、神保町は古書店が集まる街だ。
古書店には「神保町の古書店が薦めるカレー屋」という企画や、お昼の散歩がてらにひととおり入った事がある。けれど私はふだん、仕事で使う実用書や知人が書いた本以外あまり読まないため、新本がそろう三省堂ばかりきていた。
神保町の本屋で一番通ったのはダントツでここ、三省堂書店だったのだ。
さて、いよいよ閉店の時間が近づいてきてしまった。
あ!そういえばせっかく本屋に来たのに肝心の本を買っていないじゃないか。
何か買おう。
閉店時間が近づくにつれて、レジはどんどん混んでいった。
みんなギリギリまで三省堂を堪能し、最後に何かしら買っていくからだろう。
閉店時間は20時だったけれど、実際の閉店は最後のお客が出るまでだ。
正面の出入口の前は、報道陣はもちろん、思い入れのある人たちでごった返していた。
警備の人だけでなく警察まできている。
私も閉店の少し前から陣取っていたが、人がものすごく多くなり、ほとんど入り口が見えなくなってしまった。
最初は報道陣とファンたちが入り乱れていたが、そのうち規制されることに。
そこで私も一応ライターだったと思い出し報道陣申請を急いでしにいった。
おかげで最前列に並ぶことができた。
神保町が泣いている
セレモニーの直前に、隣に座った、新聞社に入社したばかりだという若い記者が話しかけてくれた。
「僕は東京にきたばかりだし急にこの仕事を振られたのでよく知らないんですが、ここってそんなにすごいんですか」、と聞いてきたのだ。ある意味、私への取材なのだろう。
私は「もう三省堂本店といえば神保町のシンボルですよ!神保町で待ち合わせと言えばここ!」と勢いよく喋りだし、思い出を語った。
するとそこで小雨がほんのちょっぴり降ってきた。
それで私が「ほら、神保町も泣いてますよ」とうまいことを言うと若い記者が、さすがです!と言ってくれたので、新聞の記事に書いてもいいですよ、と伝えておいた。
(雨がすぐさま止んだからだろうか、その後見た彼が書いたらしき記事には神保町が泣いているエピソードは載っていなかった。なので今、私が書いた。)
まずは多くの人からのメッセージに感謝を述べていた。
従業員のはげみになりました、と。
そして、この決断はあくまで一つの区切りであり、また物語を再開するためのステップである、と。
生活様式も変わっていくなか、コロナでかつて経験したことのない混迷があり、書店の存在意義が揺らいでいる。
そんななかでも、本がもたらす情報の質、本とふれあう時間の豊かさ、本を愛する街、お客様と本が出会う場所として継続していきたい。と。
以下、報道陣向けに配られた紙に書いてあったメッセージを引用します。
“あたらしい出会いをくれる場所。
つまらない毎日から抜け出せる場所。
待ち合わせにちょうどいい場所。
世界のかたちが見える場所。
それぞれにとって意味があり、
それぞれにとって心地いい。
書店は、そんな場所だと思います。
100年先も、200年先も、
書店という文化を残していきたい。
神保町本店はこの度、
建て替えのため、一時閉店いたします。
未来に書店を残すため、現状維持よりも、挑戦を選びます。
もっとたくさんの人が、本と出会い、
本を楽しめる場所に、生まれ変わってみせる。
神保町本店の第二章に、どうぞご期待ください。”
…泣いちゃいそう。
三省堂書店だけでなく、書店業界のことも言っているのだ。
自分も、書店は好きなのにネットで本を買うことが多いのでつい下を向いてしまった。
ただ、社長さんが言っていたように、書店の価値というのは本にだけあるのではないと強く思う。人が集まる場所でもあるからだ。
実際に、こんなに多くの人が集まり、心を動かす力がある。
このビルは三省堂書店100周年の1981年に竣工、多くの人が本を求め、その本を楽しむレストランや喫茶店で時をすごし、また、待ち合わせの場所として愛されてきた。建設から40年たち、建物設備の老朽化が進んだことから、建て替えを決定。
6月1日からは、近くの仮店舗ですでに営業再開している。
この神保町一丁目1番地にまた戻ってくるのは、約3年後(2025年)の予定だそうだ。
その時の姿が、今からとてもとても楽しみだ。
寂しさの連鎖
私は神保町で働いていた時代、「毎日ちょっとでもいいから新しい発見をしよう」と、会社近くの店にしらみつぶしに入っていた。(当時の会社があまりにも刺激がなさすぎてたまっていた)
このヴィクトリアゴルフもそのうちの一つだ。
たった1回しか入ってはいないけれど、ここが閉館されるのか、という寂しさがまた起こった。
寂しさのループ。
たしかに当時から、神保町の店の入れ替わりの早さに寂しさを感じていたけれど。
そのあと、これまで何百回と歩いた「すずらん通り」もブラついた。
三省堂も面している通りだ。
すると、私が「行列のできる店の隣の店にいくin神保町」で取材していたおにぎり屋さんが駐車場になっていた。
いつも大行列を作っていたキッチン南海と共に。
さらに、同じ記事の後半に出てくる「六法すし」も閉店していた。
また絶対行きたいと思っていたのに…寂しさの連鎖が止まらない!
私が神保町で記事にとりあげたところで閉店しているのは他にもいくつかある。
好きな街だから色々見てきただけに、逆に変化が分かってしまって辛い。
お店が無くなるのは、必ずしもネガティブな理由だけではない。
だからこの寂しさは、自分が知らないうちに突如なくなることへの自分勝手な感情だ。
今回の三省堂本店のように、最後に見届けられるのはとてもラッキーなことなんだなと改めて思った。