タンポポを見つめる集団
道端にタンポポ、1mほど間を置いてもひとつタンポポ。なんのことはない春の路上の風景を数人の老若男女が囲んで凝視していた。
傍らに立ってポータブルマイクを付けた男性が解説している。
「こっちが日本のタンポポ、カントウタンポポで、こちらが外来種のセイヨウタンポポとカントウタンポポの雑種です」
「カントウ」と「セイヨウ」名前のスケール感は段違い。そういえば相撲で「琴欧洲」というシコ名を見た時「めちゃめちゃ広いな」と思ったものだ。
しかし足元で咲く二輪の花にはパッと見、違いが見られない。
「花を横から見て、花の下にある『総苞(そうほう)』という緑色の部分を見るのがわかりやすいです。ここの反り返り具合や形を見てみましょう」
ツーブロックの刈り上げ部分を覗くように花びらをかきあげると総苞が見えてくる。
「カントウタンポポは総苞片(そうほうへん)という部分がめくれないでぴったりくっついていますね。」
「これに対してセイヨウタンポポや雑種タンポポは総苞の外側がめくれています」
タンポポの違いをわかりやすく解説してくれるのは文筆家(サイエンス・ライター)でタンポポの進化や生態の研究者、保谷彰彦(ほや あきひこ)さんである。
東京大学大学院で進化生物学を専攻した際、「身近にあるタンポポならまさに目の前で起こる進化を調べられるのではないか」とタンポポの研究に打ち込んだ。現在は「たんぽぽ工房」を立ち上げ、タンポポの研究を続けながら生物系の分野を中心に原稿執筆やイベント企画などを行なっている。
当サイトのツバメ記事で何度か取材したツバメ研究者の渡辺仁さんとは大学時代の同期生で、渡辺さんが立ち上げた「NPO東京生物多様性センター」と共同のプロジェクト「カントウタンポポのホットスポットを探せ」を展開、在来種カントウタンポポの生育状況の調査に乗り出した。
この日はその活動の一環で、東京は多摩地区の長沼公園周辺を散歩しながらタンポポを観察して見分け方などを学ぶフィールドセミナーが開催された。私も興味しんしんで参加し、昨今のタンポポ事情を聞いたのである。
都内のセイヨウタンポポはほぼ雑種
--先ほどから「雑種」とおっしゃっていますね。外来種のセイヨウタンポポがかなりの割合で混生している事はなんとなく知っていたんですが雑種というのは......。
「まず、セイヨウタンポポは今からおよそ150年前には食物として日本に入って来ていたといわれています。カントウタンポポをはじめとした日本のタンポポとの大きな違いは花の下の総苞の外片が反り返っている事です」
「ところが、いつのまにか日本のタンポポとセイヨウタンポポが交雑して雑種のタンポポが誕生し、増えていることがわかりました。2001年に全国で行われた調査ではセイヨウタンポポと思われていたもののうち85%が雑種だったんです。東京都内にいたっては私の調べた限りだと99%が雑種タンポポでした。」※あくまでセイヨウタンポポのうちの99%
99%!都内ではもはや純粋なセイヨウタンポポは見られないと言っていいくらいだ。というかセイヨウタンポポだと思っていたのが雑種だったのか。
「セイヨウタンポポは受粉せずに種を作ってクローンのように増殖できます。花粉は必要ないんです」
「そう、ずるいですよね。そのくせ花粉は持っていて、その花粉がカントウタンポポにかかるといくつかが受粉して雑種の種ができてしまうんです。」
-- となるとこの2種がこんな近くで並んでいたら、受粉してしまう可能性は高いという事ですか?
「そうですね。タンポポの花粉は蜜を吸いに来た昆虫にくっついて運ばれます。この間をハチやチョウが飛び回って花粉を運ぶ可能性はかなり高いですよね」
-- 確かに......。
「カントウタンポポは受粉しないと増えないので100個の種子の中でたった2、3個が雑種になってもそのぶん繁殖を邪魔しているという事になります。繁殖干渉などと呼ばれている現象ですね」
ここはまさに生存競争の最前線、この穏やかな、なんでもない路上にすごく緊張感が醸し出されてきた。
雑種はひとつではない
「雑種の中にも違いがあって、おもに3組の染色体を持つ3倍体雑種と4組の染色体を持つ4倍体雑種があります。2倍体のカントウタンポポと3倍体のセイヨウタンポポが交雑することでバリエーションが生まれるんです」
-- セイヨウタンポポと雑種の見分けもおぼつかないのに3倍体、4倍体とは......。
「基本的には、総苞片の反り返り具合と、花粉の有り無しで見分けます。先ほど言ったようにセイヨウタンポポはこのあたりで見つかる可能性はかなり低いので、総苞片が反り返ったものはまず雑種と思っていいでしょう。では3倍体・4倍体を見ていきましょう」
「総苞片の反り返りが浅めなのが3倍体で、強く反り返っているのが4倍体です。」
「さらに花に花粉があれば3倍体、なければ4倍体雑種の可能性が高いです。花の部分を軽くつまんでみると花粉がある場合は指に黄色い粉がつきます」
なんとか判別できるようにはなってきた。しかし.......。
「実はよく見る雑種のなかでもうひとつ、見分けにくいタイプがあるんです。それを見に行きましょう」
先ほどの師の教えにしたがって花の下、総苞片を見てみよう。
--これは、カントウタンポポ?
「いや、実はこれも雑種なんです。3倍体なんですが、よりカントウタンポポに近い特徴がでているものですね。私は個人的に『カントウモドキ』と呼んでいます」
--モドキかー。今度はカントウタンポポと見分けがつかないですね。
「これは難しいですよね。ポイントは総苞片の色です。カントウタンポポと比べると色がかなり濃くなります」
「さらに、花粉の量がかなり少ないです。カントウタンポポは受粉する必要があるので花粉がたくさん付いています。色で迷ったら花粉をチェックしてみてください」
ここでよく見られるタンポポとその雑種があらかた出揃ったので見分けポイントをまとめよう。
「ただしこの見分け方はあくまで傾向です。例えば中には花粉が付いている4倍体雑種などもあったりするので、厳密に同定するには遺伝子まで調べる必要があります」
カントウタンポポも負けずに隆盛
いよいよ目的地の長沼公園に到着。
「ここにはカントウタンポポがたくさん咲いています。花が集まっているところを見るとわかってくることもあります」
8分咲きの桜をおそらく例年よりだいぶ少ない花見客が愛でる中、我々はしゃがんで地面を見つめ一心不乱にタンポポを探していた。
「ここに来る前に雑種タンポポがたくさん咲いているところを見てきましたが、それと比べて何か違和感がないですか?」
-- なんというのか......パラパラしてるなーという......。
「そうですね。カントウタンポポは雑種タンポポと違って花や葉っぱの形のバリエーションがかなり豊かになります。」
雑種たちの葉っぱはもっと統率が取れていたのだ。
「さらに花の色や総苞片の形も違ってきます。カントウタンポポは受粉して種を作っているので、遺伝でいろいろ個性が出てくるんです。雑種は受粉せずにクローンで増えていくので形が同じようなものができていくと考えられています」
--あと、なんか色目が違う気がします。
「カントウタンポポのほうが淡いというか、柔らかい感じがしますよね。総苞片や花粉の他に少し引いてみると見えてくる違いも見分けのポイントになります」
--ここはカントウタンポポがとにかく優勢ですね。
「タンポポはロゼットといって、地面を這うように低く葉を広げます。だから夏になると背の高い他の植物に覆われて光合成ができなくなってしまいます。カントウタンポポは夏になると葉を落としてエネルギーを節約したり、夏を避けて発芽し、周りの草が枯れ始めてから日光を浴びる事ができるので生存しやすくなっています。セイヨウタンポポにはこれらの特性がないのでこういう里山や野原には入りにくいと言われています」
「また、カントウタンポポが増えるにはお互いがそんなに遠くない位置にいて、花粉を運ぶ昆虫がいる環境が必要です。なので里山やその近くの野原に集団で生えやすいと考えられます」
「逆に、単体で増える事ができるセイヨウタンポポや雑種は都市のコンクリートの隙間など、周りの草に邪魔されない環境で増えやすくなっています。さらに研究の結果、雑種はカントウタンポポのように暑い夏を避けて発芽できる事がわかりました。異常に暑くなるコンクリートの環境で発芽して枯れてしまう可能性のあるセイヨウタンポポより、雑種のほうが生き残りやすいと思われます」
--なるほど、それでセイヨウタンポポは雑種に取って代わられていったと。すごい興亡ですね。
「とはいえセイヨウタンポポが150年くらい前に入ってきて一斉に日本中に広がり、20年ほど前に雑種が広がっているのがわかったのですが、その間どうなっていたのかはよくわかっていないんです。いきなり雑種が広がっていたのか、セイヨウタンポポが広がって、その後に雑種が広がったのか?。で、この先どうなっていくかもやはりよくわからないんですが、今記録を残しておけば後々何かの役に立てる可能性があります。その経過をたどる一部分を担えたらいいんじゃないかと思っています」
翌日、私は緊急事態宣言の後でも人気の無い銀座松坂屋の前で膝を付かんばかりにかがみ込み、街路樹の根元に咲いた一輪のタンポポの花の下を覗いていた。3倍体の雑種だった。
さらに後日見かけたクリーニングチェーンのポスターは4倍体雑種ではないかと思った。
陣取り合戦からメディア戦略まで、日常の足元で繰り広げられているエキサイティングな生存競争の成り行きを見つめる小さな目になりたいと思った。