普通の塩水で茹でよう
何事も経験なのだ。思いつきでやったことが、驚くような成功になることもあれば、そうでないことも起きる。今回はそうでないことが起きたということだ。しかし、これは経験である。今後は海を見る度に思うことができるのだ。パスタを茹でるにはちょいと塩辛い、と。
パスタというものがある。多くの場合、デュラム小麦で作られたペンネとか、スパゲッティとかのことだ。これを茹でる時に塩を入れる。なんでかは詳しく知らないけれど、幼き頃より、パスタを茹でる時は塩を入れると教えられてきた。
その塩の量は「海水くらい」と聞いたことがある。つまり、ざっくり3%ほどの塩を入れることになる。ただ3%を計算するのは大変だ。計らないとダメだし。ということで、もうマジの海水で茹でてみたいと思う。
パスタを茹でる時は塩を入れる。太陽は東から昇り西に沈む、くらい当たり前に言われていることだ。パスタに下味をつけるのが目的だったり、コシを出すのが目的だったりとその理由はいろいろあるようだ。
この時の塩の量にもいろいろな説があり、1%という話もあれば、海水と同じくらいという話もある。もちろん適当でもいいという人もいるだろう。私は適当でいつもやっている。その理由は面倒だからだ。計るのが面倒なのだ。
そんなある日、私に波の音が聞こえた。その波の音はやがて小さな声となり、私に「海水で茹でればいいじゃん」と教えてくれた。そう、パスタを茹でる時は海水くらいという話があるのだから、海水で茹でれば計る手間がないのだ。楽なのだ。
よく考えると私の家から海までは遠かった。計量して塩を入れた方が早い。でも、そんなことは考えないでおこう。波の音の幻聴が聞こえたわけだから。ペットボトルを持ってきているので、そこに海水を汲もうではないか。
わかってはいたけれど、考えないことにしていた。今は夏ではないのだ。太陽が全力で降り注ぐ夏ではないのだ。つまり寒いのだ。それは家を出た時からわかっていたのだけれど、水着に着替えると寒く、海に入るとなお寒く、全身浸かるとさらに寒かった。
寒いと言っている場合ではない。私には海水を汲んで、パスタを茹でるという使命があるのだ。震えなのか、ペットボトルの穴が小さいからなのか、なかなか海水が満杯にならないけれど、頑張るしかないのだ。
海水を手に入れることはできた。あとはパスタを茹でるだけだ。今回はいろいろなパスタを揃えてみた。もしするとこのパスタではダメだけど、あのパスタでは美味しい、みたいなことが起きるかと思って。
パスタに詳しくないのだけれど、いろいろな種類があることがわかる。「リーゾ」なんてお米みたいだ。初めて食べる。これらを海水と1%の塩でそれぞれ茹でて、どちらが美味しいか比べてみたいと思う。
茹でる前に一応、汲んできた海水を濾しておこうと思う。ガーゼを通して鍋に注ぐのだ。なるたけ目に見る不純物が入らないように、沖で海水を汲んだけれど念のためだ。全ては美味しいパスタのため。
同時進行で別のお鍋で1%程度の塩水でも、同じようにパスタを茹でた。茹でている感じとしては特に違いはない。海水の方はアメリカのお母さんが作るチェリーパイの匂いがするとか、そんなことは全然ないのだ。どちらも普通だ。
見た目は普通だ。とても普通だ。ミラーボールのように輝くというようなこともない。問題は味なのだ。1%程度の塩で茹でたパスタとどちらが美味しいのか、比べようではないかな。
海水の方が美味しいね、みたいなことが起きればいいのにと強く思っていた。海に入って寒かったし。しかし、現実は上手くいかないものである。いつだって驚きのない結果が目の前に現れるのだ。
海水で茹でたものの方が、コシがある気もしないこともないような気もしないことはないけれど、ないような気はするけれどないのだろうか、とコシついては、1回瞬きをするくらいの時間悩んだけれど、そんなことを置いといて塩辛かった。塩より塩辛い。
コシについての議論を行うよりも塩辛さが勝るのだ。とにかく塩辛い。夏の暑い日に1日運動をしてから食べるといいかもしれないけれど、普通の状態ではどう考えても塩辛い。海水は少なからず素人の私には扱えるものではない。
1%程度の塩水の方が美味しかった。いろんなパスタを揃えたので、それぞれの食感の違いなどを感じることができた。海水の方は食感を楽しむとかではないから。全て等しく塩辛い。ただ一つ言えることはある。夏ではない時期に海に入ると達成感があるということだ。
何事も経験なのだ。思いつきでやったことが、驚くような成功になることもあれば、そうでないことも起きる。今回はそうでないことが起きたということだ。しかし、これは経験である。今後は海を見る度に思うことができるのだ。パスタを茹でるにはちょいと塩辛い、と。
▽デイリーポータルZトップへ | ||
▲デイリーポータルZトップへ | バックナンバーいちらんへ |