大分は私の故郷
大分と言われると「温泉」というイメージが浮かぶ。実際、大分といえば温泉である。でも、それ以外にも魅了があるのが大分の素晴らしいところ。今ではよく知られる「一村一品運動」が始まったのも大分だったりする。
これを書いている私は大分が故郷の一つである。中学3年の2学期という中途半端な時期から、高校を卒業するまでの3年半ほどを大分で過ごした。そのため大分には愛着がある。ぜひ大分の素晴らしきところを多くの人に知ってほしい。故郷の一つだから。
そんな大分の素晴らしきところを、皆さんからツイッターやメールで教えていただき旅したいと思う。ガイドブックには載っていないし、住んでいた私も知らなかった大分に出会えるかもしれない。ということで、私は大分に向かった(編集部注:取材は緊急事態宣言前に感染予防対策を十分に行ってうえで行いました)。
大分は東京!
大分駅にやってきた。随分と綺麗で大きな駅だ。私が大分にいた頃(20年ほど前)は、大分駅はこんなに綺麗ではなかった。もっといい意味で泥臭い駅だった。こんな駅ビルなんてなかった気がする。いい意味でもっと泥臭い駅だった。本当にいい意味で。
オススメとして、駅前のザビエル像を教えていただいた。2015年に駅がリニューアルした時に設置したのだけれど、製作者が出来に納得いかず、除幕式までしたけれど、新たに作り直し、改めて設置されたという経緯があるそうだ。こだわりのザビエル、こだザビである。
ザビエルは大分に来ており、日本におけるキリスト教布教の拠点とした。この記事ではこの後も、歴史的な偉人がちょこちょこ出てくる。学校の教科書でその偉人が大分に行ったことは書かれていないけれど、大分には偉人がちょこちょこ来ているのだ。
大分駅からすぐの場所がアーケード街になっている。上記の写真で言えばそのアーケード街の入り口の右側が、昔は「リズムレコード」というCDショップだった。タワーレコードのロゴを思い浮かべてほしい。そして、タワーの部分をリズムに変える。それがリズムレコードだ。
リズムレコードのロゴはタワーレコードとそっくりなのだ。黄色に赤色であのフォント。当時の私は音楽に疎くてタワーレコードを知らなかったので、東京に来てタワーレコードを見た時、リズムレコードのパクリだ! と思ったことをよく覚えている。
オススメしてもらったのは、リズムレコードの跡地ではなく、そこから歩いてすぐの「赤レンガ館」。1913年に大分銀行の前身となる二十三銀行の本店として、2年8カ月の歳月をかけて建設されたものだ。
これを設計したのは辰野金吾。東京駅の設計と同じ人だ。それだけではなく、レンガは東京駅と同じものを英国から直輸入し使われている。つまり、もはや赤レンガ館は東京駅なのだ。当時の私はこの建物を見ていたので、上京したのかもしれない。そんな記憶はないけど。
赤レンガ館から少し歩くと滝廉太郎終焉の地がある。滝廉太郎は「花」や「荒城の月」、「お正月」など、誰もが知る曲を作曲した人物だ。結核で若くして命を落としている。大分を代表する偉人の一人だ。
ここに当時は彼の家があった。今では公園のような感じで整備され、滝廉太郎の銅像や上記のような杭が建てられている。滝廉太郎に関係するもので、もう一つオススメされた場所がある。そこに行ってみたいと思う。
メロディーロード
滝廉太郎の生まれは東京だ。しかし、その後に父の仕事の関係で大分県竹田市に住むことになる。そして登場するのが「荒城の月」である。竹田市にある岡城址から作曲の着想を得たと言われている。
この岡城址からすぐの場所を走る国道502号にメロディーロードなるものがあるそうだ。車でその道を走ると「荒城の月」が流れる。歩いても聞こえないけれど、車で走ると荒城の月が聞こえるのだ。
メロディーロードの存在を教えてもらい、私はいろいろ考えた。どのように撮影すればいいのだろうと。一人で行くので、カメラを持ちながらの運転は無理だ。その結果、私はGoProを買った。GoPro HERO9 Blackを買ったのだ。その結果を見てほしい。
若干小さいんだよね、荒城の月が。荒城の月という存在は大きいのだけれど、私の運転がダメなのか、メロディーロードが奏でる荒城の月は若干小さい。でも、耳をすませば聞こえる。法定速度ピッタリで走らないと理想の音程にならないので、運転中の私は緊張している。
荒城の月が聞けてよかった、とは思う。思ったより小さいな、ということで、動画の私は最後笑っているけれど、自らが奏でたという達成感はある。あと、撮影がうまくいかなくて、5回この道を走った。