かつて熊本だった街
大分にはかつて熊本があった。熊本の飛び地があったのだ。参覲交代で使うための御茶屋があり、熊本から大分を通り、船に乗り江戸を目指したわけだ。今は大分だけど、昔は熊本だったわけだ。
この鶴崎がかつて熊本だった場所。大分県大分市鶴崎ということになる。ある意味、大分中の大分だけれど、かつては熊本だった場所だ。そして、私が通った高校がある場所なのだ。
私が3年間通った高校だ。当時のことが思い出される。友達がいなくて、休み時間になるとレモン石鹸で手を洗い、私の人生で一番手が綺麗だった3年間。家から一番近いという理由で選んだ素晴らしき高校だ。
鶴崎高校沿いの道に勝海舟と坂本龍馬の銅像がある。私の高校時代にはなかったので、その後にできたのだろう。勝海舟はこの地を訪れているし、坂本龍馬も鶴崎を通っている。鶴崎は激動の時代の一部なのだ。
その脇にはご存知「毛利空桑」の記念館もある。知来館という私塾を興した人物だ。1000人近くが知来館で教えを受けた。毛利空桑は吉田松陰や勝海舟とも親交があったそうだ。湯布院のご存知「金鱗湖」の名付け親も毛利空桑だ。
またその近くには熊本藩主の「加藤清正」が建立した「法心寺」もある。ちなみに鶴崎が熊本だった、ということをこの日に知った。高校時代はそんなこと全然知らなかった。レモン石鹸で手を洗うのに忙しかったのだろう。
スタバのコーヒーが美味しい
大分時代、私は大分市の明野という場所に住んでいた。思い出がたくさん詰まった場所だ。サンリブというスーパーがあって、自宅から1分だったのでよく買い物に行っていたし、母もそこで働いていた。
サンリブの近くには「すたみな太郎」もあった。地主家は「すたみな太郎」で大切な話が行われた。母が病気になったという話も、私が大学に合格したお祝いも、全てすたみな太郎で行われていたのだ。
思い出の「すたみな太郎」はなくなっていた。私の家から3分もかからない場所だ。そして、今は工事中で「すたみな太郎」の跡地には「資さんうどん」ができるらしい。資さんうどんは私が最も好きな食事。資さんうどんの肉ごぼう天うどんは世界一美味しいのだ。
すたみな太郎のベリーのムースみたいなケーキが、スイーツ界で一番美味しいと思うし、思い出の場所がなくなっていたのは悲しいが、資さんうどんができるのは嬉しい。ただ問題があって、たぶんもうここに来ることはないということ。観光地でもないから。資さんうどんは北九州で、すたみな太郎は東京で食べようと思う。
中学3年の2学期から卒業までのわずかな期間、私は明野中学校に通っていた。驚くべきことに全く記憶にない。思い出がないのだ。ちなみに上記の写真を撮った直後に強風で三脚が倒れ、カメラが壊れた。思い出ができた。
私が高校に通い始めてしばらくした頃に「パークプレイス」という複合商業施設ができた。でかいイオンみたいなことだ。ここで私は人生で初の体験をする。高校時代といえば、いろいろな新たな体験が生まれる時期だ。恋もするだろう。失恋もするだろう。そんな時期の私の初体験がパークプレイスであったのだ。
パークプレイスにスタバがあって、ここで私は初めてスタバのコーヒーを飲んだのだ。母と。クラスメイトが友達と、あるいはカップルでパークプレイスにいるのを見たことがある。ただ私は母と初めてスタバに来て、コーヒーを飲んだのだ。
今の私はチャイティーラテ(甘さ控えめ)一択なのだけれど、当時の私はスタバの右も左もわからず、「ドリップコーヒーをトールで」と頼んだ。サイズについては予習して訪れた。とても美味しいコーヒーだった。久々に飲んだら今までのスタバの中で一番美味しかった気がする。
雪の大分県
九州と言うと「暖かいんでしょ」と返されることが多い。ただ冬はどこも平等に寒い。程度の差こそあれ寒い。大分もそうだ。その証拠に私が撮影に行った期間は雪が降っていることが多々あった。ニュースも雪のことを頻繁に伝えていた。
この雪が問題で高速道路は通行止めになるし、電車は一部運休になるし、帰りの飛行機は飛ぶのか微妙だしで、予定していた撮影を全て終えることができなかった。もっとも思い出巡りをしなければ、行けた気もするけど、スタバのコーヒーを飲みたかったから仕方がないに。
私は基本的に標準語を話す。転勤族だったから、逆に標準語を話すのかもしれない。ただ気を抜くと住んでいた地域の言葉が出る。大分弁が出るのだ。他の住んでいた地域の言葉は一切出ないのだけれど、大分弁だけが出る。語尾に「に」や「やに」がついてしまうに、ということやに、という感じで。
雪に怯えながら、オススメしてもらった佐賀関にある「黒ヶ浜」に行った。佐賀関は名前からもわかるように、関サバなどで有名な地域だ。そして、黒ヶ浜は、日本の渚百選に選定された黒い海岸だ。
名前の通り黒い。砂ではなく、黒い石で覆われている。白波との対比が面白い。ここに来るまでには「白ヶ浜」もあり、そちらは白かった。平安時代から景勝地として知られているそうだ。
カメラが壊れたから落ち込んでいるわけではない。思い出巡りをしてセンチメンタルな気持ちになっているわけでもない。もちろん佐賀関での雪を期待していたわけでもない。帰り道を案じているのだ。
ここに至るまでの道が細いし、ガードレールない。これ対向車来たら海に突っ込むで、しかし! 対向車来なくても突っ込むで、しかし! の状態。怖いんですよ。車の運転が上手いわけではないので、とにかく怖かった。ただ黒ヶ浜は美しかった。困難の先に美しさがあるのだ。