特集 2021年8月16日

ハイテク通り、テクノガーデン…30年前の未来都市・幕張新都心が懐かしくもカッコいい

「近未来へのキーワード、マ・ク・ハ・リ。」

「21世紀をリードする房総新時代の幕開け」

『片田舎だった千葉が、「首都圏の中心」になるばかりでなく、世界に通じる半島になる。いま、“国際経済文化県”千葉が誕生する。』

1989年、バブルの真っ只中に街びらきした幕張新都心のキャッチコピーである。

千葉市、東京湾臨海部にまったくのゼロから作られた幕張新都心。

今歩いてみると、平成初期の雰囲気を色濃く残しており、その時代特有のかっこよさと懐かしさが混在する魅力的な場所だった。

平成元年生まれ。令和から原始まで、古いものと新しいものが好き。

前の記事:ヴィンテージ紫陽花(アジサイ)の季節がやってきた!

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何もない千葉の葦原がたった数年で未来都市へ…「幕張の奇跡」と呼ばれた都市計画

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1991年、千葉銀行幕張支店発行のテレカ。今の幕張とほぼ変わらぬ街並みである

幕張新都心と聞いても、あまりピンとこない方もいるかもしれない。

実際に歩いてみる前に、まずは幕張新都心の成り立ちについて軽く紹介したい。

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幕張テクノガーデンの展望レストランより海側を望む。中央下に海浜幕張駅、その右奥には幕張メッセと千葉マリンスタジアムがみえる

21世紀がすぐそばまで迫っていた80年代~90年代。

冷戦の終結と情報技術の発展により、ボーダーレスな国際化社会が予見されていた。

日本でも、そんな新しい時代に向けてこぞってハイテクな未来都市が計画されていた。

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海の向こうにライバル・みなとみらい21がみえる

横浜みなとみらい21、さいたま新都心、臨海副都心、そして幕張新都心がその代表だ。

より現実的な事情としては、当時は東京都心の異常な地価上昇・オフィス不足に対応するため、周辺部の開発・業務分散が急務だったのだ。

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こちらも同じくライバル、お台場や有明などがある臨海副都心方面

その中で後発ながら、ライバルたちに比べていち早くつくられたのが幕張新都心である。

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1983年の幕張新都心(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・整理番号/CKT832・コース番号/C2・写真番号/6・撮影年月日1983/11/19(昭58)

そのきっかけは1978年の成田空港開業だ。

何もない葦原だった幕張の埋立地が、東京都心・国際空港のちょうど真ん中にある好立地へと一気に生まれ変わった。

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成田空港から30分、東京駅からも30分の位置にある

そして、1983年に発表された当時日本最大級の国際展示場「幕張メッセ構想」を機に計画は急速に現実化していく。

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当時日本最大・アジア有数のコンベンションセンター・幕張メッセは構想からたった7年で完成した。それゆえ一部では「幕張の奇跡」と呼ぶ声もあったそうだ

バブル崩壊前の1989年には、幕張メッセ開業とともに幕張新都心の街びらきにまでこぎつけるのだ。

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みなとみらいや臨海副都心と比較すると、幕張のスピード感がよくわかる。オレンジ色は国際展示場。ちなみにさいたまスーパーアリーナは2000年開業

その理由は何だろうか。

『幕張メッセの全貌 : 「幕張新都心」・世界をターゲットに』(梅沢忠雄・UG都市設計著、ダイヤモンド社、1989年)によると、計画を担った都市計画家・梅沢忠雄は、都や国の思惑を受けて計画が膨れ上がった臨海副都心と比較して、千葉県が意思決定の早い“小さなガバメント”だったことを挙げている。

お偉いさんに振り回されることなく、現場の情熱のままに走り抜けることができたそうだ。

それゆえ、バブル崩壊の煽りをもろに受けた臨海副都心(計画が頓挫し東京オリンピック2020まで手つかずだったところもあるくらいだ)に比べて、幕張は比較的影響少なくなんとか逃げ切ることができた。

だからこそ、純度の高い平成初期の街並みが今もみられるのである。

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当時の資料より。意味はわからずもめちゃくちゃ期待されていたことはわかる

当時は最先端、今はふつう。懐かしいハイテク感にあふれる「幕張テクノガーデン」

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1990年竣工、民活法に基づくインテリジェントビル第1号だそうだ

幕張新都心で最初につくられた記念すべきオフィスビル・幕張テクノガーデン。

冒頭の「近未来へのキーワード、マ・ク・ハ・リ。」というコピーは、このビルの開業当時のパンフレットによるものだ(『幕張テクノガーデンのご案内 Information‐2』1987年)。

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すこし古いビルにありがちなレストラン街の看板。冒頭の写真みたいに見晴らしがよくおすすめ。

その他にも「ハイテクが集中する街」「近未来へのプロローグ。ここから21世紀がよく見えます」など、イケイケの文章が並ぶ。

にしてはふつうのビルに見えるが…

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よく観察するとしっかりとかっこよさもそなえている

当時は「例えば東京と大阪でテレビ会議が可能」な、最先端の情報通信設備を完備したインテリジェントビルだったそうだ。

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居心地のよい上品なアトリウムでは、予備校生らしき人たちがせっせと自習していた

このビルの売りであるアーバンなショッピング街やアトリウムも、現代からするとこじんまりとして、そのギャップになんとも愛着わく空間である。

これは幕張新都心全体にいえることだが、シンボリックな巨大建造物が立ち並ぶお台場や横浜に比べて、幕張は無理をしていない等身大の感じが心地よい。

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足元のガラスタイルがきらきらと綺麗だった

それも、幕張が比較的当初の計画通りに作られたからなのかもしれない。

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直球すぎる「ハイテク通り」と、その象徴であるIBMビルの圧倒的存在感

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テクノガーデンの裏を通るのが幕張のビジネスストリート、ハイテク通りだ

幕張新都心といえば、一番の見どころはこのハイテク通り…だと思う。

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この直球すぎるネーミングセンスである。

当時のハイテクと今のハイテク、イメージするものは全然違うのだろう。

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キヤノン、シャープ、富士通、NTT、セイコーなどが立ち並ぶ高層ビル街だが…
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ハイテクらしさを探すも、信号が平らなタイプなことぐらいだ
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むしろ公衆電話がある。ここから91年のテレカで電話をかけてみたい

そんなハイテク通りを歩いていると、さわさわと涼し気な音が聞こえてくる。

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唐突に京都嵐山を思わせる竹林にぶつかる
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何だろうと重厚な階段を上ると…
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他のビルの2倍以上の面積を持つ巨大ビルがある
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1991年竣工、日本IBM幕張事業所だ

梅沢忠雄によると、幕張が国際都市となるためにはどうしても欠かせない三つの条件があったという。

幕張メッセ、国際一流ホテル、そしてこのIBM誘致である。

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ハイテク通りをつなぐ歩行者デッキから、宙に浮くように入り口へとつながる

ゼロから街を作ろうとしていたのだ。

何の実績もない中、国際的なビジネスセンターを作ると言っても企業は信用してくれない。

IBMを誘致できれば、他の企業も続々と進出してくれるだろうという算段があった。

最初は日本IBMに打診するも一笑に付されたが、それでもあきらめず梅沢らが直接アメリカのIBM本部に交渉にいき、幕張新都心構想をプレゼンした結果、IBM誘致に成功する。

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そんな事情を反映してか、IBMの前だけ急にデッキが高級感あるものに変わる

 1万人規模のSEを配置する、当時としては極東最大のソフトウェア開発センターとして計画されたそうだ。

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下から見るとドッキング部分に緊張感があっておもしろい

さて、そんなIBMビルだ。これが非常にカッコいい90sビルなのだ。

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前庭があきらかに日本庭園風

ハイテク×和風である。

しかも今時の建築(例えば新国立競技場)みたいに両者を馴染ませるのではなく、はっきりとコントラストをつけるのがこの時代の特徴だと思う。

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カーテンウォールを反射する極楽浄土的な池
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向かいにはポツンと巨大な岩がそびえたっている
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このモダンなビルと庭とのコントラストがかっこいい

以前、同時期の東京都立大学のキャンパスを記事にした際にも言ったが、なんというかハリウッド映画に出てくる、アメリカ企業を買収してそうな日本企業の本社っぽいというか…。

超然とした佇まいが凛々しい。

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笹がさわさわと鳴り、ハイテク通りの中でもここだけ別天地である
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IBM to テクノガーデン

そういえば、幕張新都心には同じように和風×ハイテク感のあるスポットがある。

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見浜園という、こちらもゼロから新しく作られた日本庭園だ
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奥にそびえるは国際的な一流ホテルとして作られたザ・マンハッタン(1991年築)

やはり90年代初期といえばこの感じである。

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有料庭園部分は休園中だったが、それでも無料で殿様気分になれる素敵な場所だった
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トイレではひっそりとチーバくんがもてなしてくれている
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ハイテク通りの終わりは唐突に

話を戻してハイテク通りだが、セイコーのビルを過ぎたあたりから浜田川通りと名前が変わり終了する。

 

幕張メッセは周辺の彫刻や虚無スポットも楽しい

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東京オリンピックで使われるために封鎖中の幕張メッセ。撮影時はまだ開催前だったため周囲は誰もいない

竣工当時日本最大のコンベンションセンター(国際会議場・国際展示場)であった幕張メッセ。

当時の想像する21世紀とはどんなものだったか。冷戦が終結へとすすむなかでボーダーレスな社会が達成され、超大型通信衛星による全地球規模での情報化社会が期待されていたそうだ。

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後発の東京ビッグサイトに規模では抜かされたが、今でも日本を代表する国際展示場である

だからこそ、どの都市もコンベンションセンターを作ろうとしていたのである。

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競技種目はフェンシング、テコンドー、レスリングなど
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ォォオォォ

だが、見どころはそれだけではない。

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メッセにつながる巨大な公園には当時作られた彫刻作品などが散在している
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鈴木徹(鈴木武右衞門)による「星の川」1989年作
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見たことのないバランス感だ
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案外涼しげな表情をしてる
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仲睦まじく一体化した大人と
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子供たち。「明日の空へ」峯田義郎作、1989年

また、京葉線高架下を通るスロープもおすすめのスポットだ。

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蛇行するスロープとそれを支える柱がダイナミック
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かなりギリギリを攻めてくる
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高架を通る電車の轟音を聞きながら、
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この虚無空間を眺めていると、計画都市のはずれにただよう寂寥感をヒシヒシと感じられる。
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90年代ヨーロッパ風集合住宅の決定版・幕張ベイタウン

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1995年入居開始した幕張ベイタウン

最後に歩いたのは複合機能都市・幕張の住を担当する幕張ベイタウンだ。ここは写真を見ればそのユニークさが一目瞭然だろう。

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埋立地にかつてない規模で現れた統一感あるヨーロッパ風集合住宅

無電柱、きっちりと高さが揃った街並み、統一感がありながら一つ一つ違うデザイン。ありそうで日本のどこにもなかった場所である。

平成初期から中期にかけて各地に作られた「ヨーロッパっぽさ」を感じさせる建物群の中で、その最たるものだろう。

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路駐に関しても街独自のルールがあり、よりヨーロッパっぽさを醸し出している

ユニークなのは見た目だけでない。

それぞれのマンションにはゴミの真空輸送システムがあるそうだ。

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こちらはハイテク通りから打って変わってバレンタイン通り!

この臆面ないオシャレさよ…と思ったら、由来はあのボビー・バレンタイン監督が千葉ロッテマリーンズの優勝パレードで通ったことだそうだ。

急におじさんの笑顔が浮かんできてほっこりする。

あとで知ったがバレンタイン通りの2丁目14番地にはチョコレート屋があるらしい。

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GALLERY KIKIもどことなくジブリ的ヨーロッパ世界を連想させる
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佐川の受取所もあって便利

メインストリートである美浜プロムナードでは、1階部分が商店街となっている。

さすが平成の分譲住宅なだけあり、まだまだ子供向けの教室が多い。

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そのひとつ、国語専門塾こくごClub®︎
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全科目対応である

ホームページをみると、国語が全科目の基礎になるという考えのもと、今は国語を中心に全科目対応しているそうだ。わかるけど国語って難しい。

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それはともかく、集合住宅とは時代をあらわすものだ

昭和レトロが団地だとすると、あと10年、20年するうちにここは"平成レトロ"な町並みとして、人気が出るんじゃないかと思う。

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21番街からハイテク通りへ。さすが職住遊学一体型都市である

 

すっかり忘れていた海のある街としての顔

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そろそろ夕暮れどきだ。締めに海へ行きたい

ベイタウンという名の通り、ちょっと散歩をすれば東京湾だ。

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防風林に蔦が絡まり渾然一体となったもの
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波の荒い幕張の浜
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こんもりとした松林を抜けると砂浜が目の前だ

横浜やお台場にはない、広々とした砂浜がある。

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ひっきりなしに打ち上げる東京湾の茶色い波
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波打ち際の向こうには…
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スカイツリーが意外と近い
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振り返るとアパホテルが空を映していた

もともとこのホテルは、バブルの象徴・東京都庁舎や赤坂プリンスホテルをつくった丹下健三設計の幕張プリンスホテルだったそうだ。

2006年からアパホテルになっている。

建物は残っても、時代は移り変わるものである。


 

2023年に幕張新駅が予定されているなど、幕張新都心は現在も成長を続ける街だ。

30年前の未来都市は今も先へ先へと進んでいる。

部外者としては、そんな街にときおり垣間見える懐かしさを楽しみたいものである。

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浜辺にはぐんぐんグルトが打ち上げられていた

 

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