現在、南大沢キャンパスはコロナ禍の影響で関係者以外立ち入りできない。だが、ふだんは広く市民に開かれた公立大学だし、設計者の願いもそこにあるそうだ。
また自由に外出できる世の中になったら、未来の文化遺産候補を先取りするつもりで、訪れてみてはいかがでしょうか。
令和も3年目。
コロナ禍を経て、もはや平成は遠くなりにけり…である。
最近では『mid90s ミッドナインティーズ』という映画がヒットするほど、特に平成初期は懐かしい時代となった。
そんな古き良き90年代を一身に感じられるスポットが、東京郊外の八王子市にある。
1991年にできた東京都立大学*南大沢キャンパスである。
多摩ニュータウンの西の果てに作られたこのキャンパスは、令和になってあたらめてみると、平成初期の類まれなユニークさとダイナミックさを今に伝えるカッコいい場所なのだ。
(*旧首都大学東京、2020年4月より名称変更。)
たった30年前である。
今とそんな変わらないんじゃないかと思うかもしれない。その違いを探りに、早速キャンパスの中を歩いてみたい。
最初にすこし堅い話をするが、ここ南大沢キャンパスは基本計画:大谷幸夫、実施設計:池田武邦・高橋靗一という、「日本建築学会賞(日本で最も権威ある建築賞)」を受賞したことのある当時67歳の大御所建築家たちが協力して取り組んだビッグプロジェクトである。
大前提として、歴史ある公立大学のまじめなキャンパスなのだ。
そんなお堅いイメージに身構えながらやって来ると、ちょっとだけ面食らう華やかさがこのキャンパスにはある。テーマパークに入る時のような高揚感があるのだ。
このテンションが上がる理由として、まず何より広々として気持ちがよい。
さっきまで松屋やマクドナルドを横目にみていた日常とのギャップも大きい。
バブル時代の東京郊外に作られたヨーロッパ風キャンパス、というと派手でミーハーなものを想像してしまうが、ここは絶妙に落ち着いたデザインだ。そのバランスのよさが、ちょうどよい高揚感につながるのだろう。これ以上派手だと単位を落としそうだ。
イタリアなどの南欧風に感じるけど、特定のモチーフがあるわけではないようだ。
巨匠たちが「(ヨーロッパの大学の建物のように)何世紀でも堪えられるものしたい、本当に歴史がしみ込んでいくような建築をつくりたい」と真剣に作った結果である。
つまり、最高に真面目な「なんとなくヨーロッパ風」なのだと思う。ちなみに、設計者の池田武邦はその後長崎のハウステンボスもデザインしている。
この瓦屋根が、当時は逆に新しかったそうだ。
本来、鉄筋コンクリートの建物に雨漏りを防ぐための瓦屋根は必要ないはず。だからこそ、戦後は万国共通の合理的な四角いビルが全世界を席巻していた。そう考えると、この特に歴史的な脈絡のない瓦屋根の連続が大胆に思えてくる。
さらに、瓦屋根の下の外壁タイルの縄目模様は、なんとキャンパス内から出土した縄文土器をモチーフにしているらしい。
最近の公共建築って、例えば京都なら京都風、沖縄なら沖縄風と地域の歴史・景観に配慮した建物を作ることが多いが、ここでは近代から弥生までをかっ飛ばしてJOMONである。そのダイナミックさにしびれる。まさかのヨーロッパ×JOMONコラボ。
こちらはノートルダム大聖堂×コンピューターチップをモチーフにしたとされる。やはり組み合わせがアクロバティック。なぜ日本のお役所でノートルダムなのかわからぬままに、今も東京のランドマークとなっている。
平成初期とは、そういう時代だったのだろう。
さらにダイナミックなのは、この南大沢という街自体が大学のデザインに沿うようにしてつくられた点だ。
京王相模原線・南大沢駅ができたのは大学の誘致が決まった後の1988年。多摩丘陵の雑木林が広がっていた場所に、一気に街が作られたのだ。
実はキャンパスの基本計画を担当した大谷幸夫も設計に参加しているそうだ。だから馴染むのか。
ちなみに筆者はこの近くが地元だが、中学の時に初めて1人電車に乗って服を買いにきたのがこのアウトレットモールである。南大沢には、そんな郊外の中学生を引き寄せるワクワク感があった。高校以降はよりワクワク感のある渋谷原宿に足が向いたのだが…。
航空写真を見ると赤い瓦屋根の街並みが連続していることがわかる。
元々あるものに馴染ませるのではなく、街のデザインをイチからつくってしまう。90年代初期には、まだそんな大それたことが可能だったのだ。そんなかつての時代にドキドキしてくる。人が減り続ける令和の時代にはもう二度と出来ないのだろう。
平成初期の92年には地球サミットがあった。「生物多様性」という言葉が注目された時代だ。当時は仮面ライダーやアニメなどの子供向けコンテンツにも、この青い地球を守ろう的なノリが色濃くあった気がする。子供心ながら、地球というものが小さくてもろい存在に感じられた。それもまだ日本にぶっ壊す勢いがあったからこそである。
建設当時、尾根の上はもう宅地開発のために切りひらかれた後だった。だから、設計者たちは「ここだけは残そう!」と松木日向緑地を保護しようとした。そんな、破壊と保護のせめぎあいが今に残る場所だ。
バブル時代の立派なキャンパスの脇にこんなワイルドな自然が残されている。これも平成初期だからこその風景なのだろう。
(里山は定期的な手入れが必要だが、東京都立大学には環境系の学科があり学生たちが里山保全に取り組んでいるそうだ。)
ちょっと説明口調になりすぎた気もするので、ここからはシンプルにカッコいい建物たちを見ていきたい。
説明書きには、「日時計の影に季節の巡ることを感じ、人の住む大地の動き、宇宙の神秘に思い起こし、時を刻む振子の音に大地の力と恵みに思いを至らせて欲しい」という、なかなかにコンセプチュアルな文章が彫られていた。
キャンパス内には光の塔と呼応するようにもう一つの塔がある。当時日本一のインテリジェント化を誇っていた情報処理施設である。
何だそれ、かっこいい。ひたすらにシンボリック。
クロアチアに有名なプラッツァ通りというのがあるらしいが、言われてみると面影があるような…。
現在、南大沢キャンパスはコロナ禍の影響で関係者以外立ち入りできない。だが、ふだんは広く市民に開かれた公立大学だし、設計者の願いもそこにあるそうだ。
また自由に外出できる世の中になったら、未来の文化遺産候補を先取りするつもりで、訪れてみてはいかがでしょうか。
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