特集 2020年4月8日

日本の便器史を「TOTOミュージアム」でふりかえる

衛生陶器のリーディングカンパニー、TOTOの工場がある福岡県北九州市は、便器のふるさとといってもよい。
そんな便器のふるさとに、貴重な便器から最新のウォシュレットまでそろった水回り文化のミュージアムが存在する。

※「TOTOミュージアム」は、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、2020年4月30日まで臨時休館しています。詳しくは公式サイトで確認してください。

鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

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再訪した

TOTOが運営する企業博物館「TOTOミュージアム」は、2015年(平成27年)にオープンしたが、実はその前身であった「TOTO歴史資料館」の頃に、いちど訪問し、記事にしている

が、以前とは展示内容もガラリとかわったということなので、見学させてもらうことにした。

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これが……(2013年・TOTO歴史資料館)
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こうなった!(2019年・TOTOミュージアム)

以前の歴史資料館は、ビルの事務所スペースを改装し、資料館としていた感じだったが、TOTOミュージアムは違う。資料を展示するためのスタイリッシュな建物をわざわざこしらえている。衛生陶器を展示したるぞという意気込みである。

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エントランスの白さ!

目が痛くなりそうなほど白いエントランスをぬけると、展示スペースがあり、産業遺産や近代化遺産に指定されている、とても貴重な便器がでむかえてくれる。

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遺産に指定されている貴重な便器

資料館時代は、この貴重な遺産指定の便器も他の便器とともにズラッと陳列されているだけで、こんなうやうやしくなかった。

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昔は普通に並べてあった(2013年)

今は立派なガラスケースに収納されている。これはキャッツアイも予告して盗みにきたくなるはずだ。

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近代化産業遺産の便器「C38」

この便器は、1927年(昭和2年)に日本で、はじめて商品化されたサイホンゼット式の腰掛式便器「C38」だ。2009年(平成21年)に経済産業大臣が認定する「近代化産業遺産」のひとつとして認定された貴重な便器である。

幻の“日本初”腰掛式水洗便器「C4」

C38は、汚物を強力に押し流す水が出るゼット穴を備えた便器で、下水の悪臭やガスが逆流しないための封水(便器内にためておく水)も大きく衛生的だった。当時は高級品であり、国会議事堂などグレードの高い建物などで主に使用された。

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水が噴出して汚物を押し流すゼット穴

いまや、トイレの便器といえば、洋式便器が主流だが、日本の洋式便器の嚆矢のひとつといってもよい。
C38を含めたTOTOミュージアム所蔵の衛生陶器は貴重なものとして、近代産業遺産に認定されている。

しかし実は、腰掛式水洗便器自体は、1914年(大正3年)に製造された「C4」が日本初(国産初)だ。しかし、このC4は当時作られた現物は現存せず、写真しかのこってない。

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日本初の腰掛式水洗便器「C4」の写真

C4は、2015年のミュージアムの開館にあわせレプリカが制作されて展示されている。

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日本初の腰掛式水洗便器「C4」のレプリカ

これのおもしろいのは、トレードマークが、まだTOTOではなく、NIPPONNTOKI(日本陶器)となっているところだ。

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NIPPONNTOUKIのトレードマーク

下の「GOMEIKWAISHA(合名会社・ごーめいくわいしゃ)」となってるところもたまらない。これは、1904年(明治37年)に森村市左衛門(1839-1919)によって創業されたTOTOのルーツでもある「日本陶器合名会社」のことだ。

TOTO製の食器があった

2009年に近代化産業遺産に指定されたものは便器だけではなく、戦前に製造された東洋陶器製の「食器」も遺産に指定されている。

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日本陶器が作っていた洋食器セット

もともと、日本陶器は白色硬質磁器の洋食器を製造し、海外に輸出するために設立された。そのため、当初は洋食器の製造販売がメインであった。

しかしその後、日本陶器初代社長の大倉和親(1875-1955)が、欧米を視察したさいに衛生陶器のすばらしさを知り、日本にも衛生的な便器を普及させたいと、衛生陶器の研究と製造にとりかかった。そして、苦労の末、開発したのが腰掛式水洗便器「C4」というわけだ。

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TOTO初代社長、大倉和親

ちなみに、大倉和親は、1921年(大正10年)にタイル製造を手掛ける伊奈製陶所の設立を支援しており、これが後に伊奈製陶株式会社となり、INAXを経てLIXILとなった。つまり、日本で使われている便器のほぼすべては大倉和親が作りだしたもの……と言うと大げさかもしれないが、あながち間違いでもないだろう。大倉和親は日本の便器の父である。

大倉和親が小倉の地に工場を設立したのは1917年(大正6年)で、その時の定礎の辞が現在も敷地内に残っている。

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定礎の辞(敷地内にあるため見学はできません)

この辞では「欧州斯界の製品を凌駕し世界の需要に応じ、益々貿易を隆盛からしめん事を期す」と大倉和親が“社員総代”として宣言している。
当時、大倉和親は日本陶器の社長でもあったはずだが、小倉の地に衛生陶器の工場を作るにあたり、社長ではなく“社員総代”と名乗っているところに、その意気込みが伝わる。

このあと、衛生陶器を作る部門は「東洋陶器」として日本陶器から分離独立し、初代社長に大倉和親が就任する。社名に“東洋”と名付けたのは、世界に衛生陶器を輸出しようという意図から名付けられた。

日本陶器からは、日本碍子株式会社(日本ガイシ)が分離独立し、日本陶器は現在のノリタケカンパニーリミテドへ続いていく。

さて、東洋陶器として独立したものの、当時の日本は下水道がほとんど整備されておらず、そのうえ、和式便器が普通であり、腰掛式水洗便器は売れるものではなかった。そのため、食器の製造は引き続き行われ、事業を支える重要な商品であった。

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東洋陶器のマークが入っている食器

ごく初期、大正時代に作られた食器には「マルキマーク」というものがはいっていた。マルキマークは「困」という字を図案化したもので、中の木の字の先端が槍になっており、外国へ輸出する際の「困難」を突き破る……という意味だ。

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マルキマーク

このように、東洋陶器での食器製造はその後も続き、1970年(昭和45年)まで行われた。

便器の小型化と高性能化

戦後の高度経済成長時代、住宅や団地がどんどん建ちはじめ、同時に下水道の整備も進んでいくにつれ、水洗式トイレはじわじわと普及してきた。

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タンクの位置がどんどん下がってくる

上記の写真は、手前から奥に行くほど新しいトイレになるが、汚物を押し流すための水をためるタンクの位置がどんどん下がってきているのがわかる。いちばん手前のハイタンク式トイレは、たかい位置から水をおとし、位置エネルギーを利用して勢いをつけ、汚物を押し流すしくみの水洗トイレだ。

しかし、こういったタンクは住宅に取り付けるには、手間がかかるうえ、面倒くさい。そこで、便器のうえにタンクを載せて、水を流すロータンク式の便器が登場する。

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ロータンク式水洗便器(「C150E」「S520」)

写真の便器のタンクは1968年(昭和43年)の製品だが、この頃は一回流すたびに20リットルの水を使っていた。ペットボトル10本分と考えるとなかなかの量だ。しかし、1976年に節水型の水洗便器「C710」とタンク「S710B」が登場し、一度に使う水の量が13リットルまで減った。

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節水型便器「C710」とタンク「S710B」

使う水の量が減れば節水になるだけでなく、タンクはどんどん小さくできる。その後も汚物が流れやすい形の便器を開発したり、水流をトルネードさせて流すなどの改良がかさねられ、最近は流す水をコンピューターで制御するといった工夫により、使う水は3.8リットルにまで下がっている。

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右端の便器「CES9876」は水洗の水が3.8リットルまで減った

水洗便器が小型化すると、日本の狭いつくりの家にとりつけられるようになる。とくに、1960年代に日本住宅公団の団地などで、水洗式洋式便器が採用されたインパクトは大きく、いっきに水洗便器が普及した。

1977年には和式、洋式の出荷比率が逆転(TOTO出荷率より)する。つまり、43年前は洋式便器と和式便器は半々ぐらいだった。

その後、洋式便器はじわじわ普及していき、2015年にはTOTOの便器出荷比率で和式便器は1%を切って、0.7%まで落ち、2018年には0.4%と、すでに風前の灯火である。

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和式便器が一段高い理由とは? 

実は、和式水洗便器より洋式水洗便器の方が設置が簡単、ということもある。
築年数の古い建物の和式水洗便器を思い出してみてほしい。便器のある位置が一段高くなっていることが多いと思う。なぜか。

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和式水洗便器(左側)のミニチュアモデル、便器の位置が一段高い

和式便器は、床に便器を直接埋めて設置する必要があり、また、男性が小用をしやすくするため、床を一段高くしつらえなければならない。その点、洋式便器は床の上に便器をのせるだけで工事完了となるため、洋式水洗便器の方が工事は簡単なのだ。

公園や学校の和式水洗便器は床に直接便器が埋まっているが、あれは男性小用の小便器が別に設置されているためで、水洗の水も水圧の強い水道管から直接水をひいており、タンクの無いフラッシュバルブ式の特別なトイレである。

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フラッシュバルブ、よく考えるとこのタイプのレバーは公共施設のトイレにしかない

今では正しくない? 洋式便器の使い方とは?

ところで、洋式便器が団地で採用されたその頃。洋式便器の使い方がわからないひとのため、使い方を簡単に説明したこのラベルが便器に貼ってあったのを覚えているひとも多いかもしれない。

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使い方ラベル

このラベル、ぼくが子供の頃に住んでいた団地のトイレの便器にも貼ってあり、めちゃくちゃ見覚えがある。

今あらためてこのラベルを見返してみて興味ぶかいのは、男子小用はフタと便座を上げ、立って用をたすように書いてある。これが、後々まで続く「洋式便器で男子が小用をするさい、座ってするのか、立ってするのか論争」の火種のひとつとなっているのかもしれない。

案内してくださったTOTOの方は「今は男子も座って用をたしたほうが周囲も汚れにくくなって良いのではないか(個人的見解)」と語っていた。

時代は変わったのだ。

革命的便器「ウォシュレット」(※)

TOTOミュージアムにある遺産は、いくつか有り、もう一つは『機械遺産』に指定されている「ウォシュレットG」だ。※ウォシュレットはTOTOの登録商標

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機械遺産認定「ウォシュレットG」

1980年(昭和55年)日本の便器史、日本のトイレ文化を変えた「ウォシュレットG」が、TOTOから発売された。その初代ウォシュレットGが、機械遺産として指定されている。

ウォシュレットのなにがすごかったのか。

それは、トイレでは、おしりを「拭く」から「洗う(ウォッシュ)」になるという意味を込めて名付けられた商品名「ウォシュレット」にあるといえる。

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ウォシュレットの原型となった国産のウォッシュエアシート

「おしりを水で洗う」機械は、TOTOが発明したわけではない。すでにアメリカで商品化されていた。ウォッシュエアシートという便座で、TOTOは1963年(昭和38年)に輸入して販売していた。ちなみに価格は79000円。

そもそも、おしりを洗うという行為は、18世紀初頭のフランスで「ビデ」が登場したときからあった。ビデは用便後や女性のデリケートゾーンの洗浄などに使われた便器のひとつだ。もちろん、ビデはTOTOでも大正時代から商品化しており、商品としてはあった。

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TOTOのビデ「B5」1950年から2000年まで生産されていた

しかし、便器とは別にビデ専用の便器を別に置くようなスペースは日本の家屋にはなく、ビデは全く普及してなかった。
そんなわけで「おしりを洗う」という発想じたいが、当時の日本人にはなかった。
アメリカから輸入したウォッシュエアシートは、あくまで医療用で、痔の手術などで排便後にいちいちお尻を洗わなければいけないときなど、限られた場合でしか使用されなかった。
そのうえ、お湯をかける角度も一定ではなく、お湯の温度が不安定だった。
ウォッシュエアシートを使った作家の遠藤周作が「びっくりするような熱いお湯が肛門めがけて襲ってきた」と書くほど、精度がよくなかった。

1969年(昭和44年)暖房便座機能をプラスし改良した国産のウォッシュエアシートが販売された。当初は認知度も知名度も低かったものの、1970年から口コミで少しずつ売れ始めた。
これは、おしりを水であらう気持ちよさが口コミで伝わったことのほかに、トイレをとりまく環境が変化しはじめていたこともおおきい。

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便座カバーと床がタイルの昔のトイレ

古代ローマの時代から、石の腰掛便器を使ってきた欧米人は「便座が冷たい」ということに関しては慣れていたものの、今までおしりを便座につけることがなかった日本人は、心臓が縮まるような冷たさの便座を極度に嫌い、便座に靴下、つまり布の便座カバーを取り付けるようになった。
便座の冷たさを恐れていた日本人にとって「便座が温かい」というのは抗いがたい快楽だった。

さらに、洋式水洗トイレが普及したため、汚れることが少なくなったトイレは、床がフローリングになり、清掃に水を使うことがなくなってきた。そのため、トイレ内にウォシュレットを動かすためのコンセントを取り付けることが可能になった。

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温かい便座と水洗いしなくてよい床のトイレ

そんななか、TOTOは「便座が暖かくおしりを水で洗える」という便座を自社で開発することになった。
TOTO社員約300人が協力し、肛門の位置のデータをとった……といったウォシュレットの開発秘話は、さまざまなメディアで取り上げられており、有名だろう。
このとき得られたデータから決まった、温水の温度38℃、便座の温度36℃、乾燥用温風50℃、ノズルから吐水するシャワーの角度は後方43度などの数値は、現在のウォシュレットでもほぼそのまま受け継がれている。

1980年6月販売された「ウォシュレット」は、予想を上回る売れ行きを見せた。
さらに、1982年(昭和57年)には、戸川純を起用した「おしりだって洗ってほしい」のテレビCMが開始された。
このコピーを担当したのはコピーライター仲畑貴志だったが、仲畑は打合せのさい、コピーに「おしり」を使っていいかと社長に訪ね、了承を得ていたという。この社長の決断こそが、この名コピーを生んだといえる。

現在、温水洗浄便座の普及率は、77.5%と言われている。(2015年・内閣府「消費動向調査」)
体感的にも、ここ20年ほどで、公共のトイレの便器にも温水洗浄便座がついていることがあたりまえになってきた。
まさにトイレでは、おしりを「拭く」から「洗う」が普通になった、ウォシュレットの名称のとおりになったといえる。

便器だけではないTOTOの作り出したもの

おもに、便器とウォシュレットを中心にTOTOの歴史をざっと見てきた。TOTOは、衛生陶器の需要が増えるに従い、水まわりに関する商品も数多く世に送り出してきた。例えば、水道の蛇口。

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立水栓「T205」

いろんなところでめちゃくちゃ見たことあるタイプの蛇口。これもTOTOの商品、立水栓「T205」である。正式名称がある。という事実にはっとする。

ちなみに、TOTOの商品番号では「C」は便器、「S」はタンク、小便器は「U」と決まっているらしい。立水栓は「T」のようだ。

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このあたりの立水栓も見たことがある(左・立水栓「T2055」、右・立水栓「TL605A」)

その他、ミュージアムに収蔵され、展示されているものとしてぐっと来たのはこれ。

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ユニットバスもTOTOだった
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ちょっと古いホテルのバスルームってまさにこんな感じだ

このユニットバスルームは1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催に合わせ、ホテルニューオータニへ納入した日本初のユニットバスルームである。2016年(平成28年)に「建築設備技術遺産」に指定されている。

当初は、ホテル用として開発されたユニットバスは、いまや住宅用にも普通に使われるなど、広く普及している。


知っているけど知らないものを知れる

毎日お世話になっている便器を作っているTOTO。

TOTOの歴史を知ると、TOTOという会社だけでなく、日本の便器や公衆衛生の歴史の一端が見えるような気がする。

便器やトイレのこと、知っているけど、今まで知っていると思っていたことは、ほんの一部に過ぎなかったことがわかる。

TOTOミュージアムの展示内容は、この記事で紹介した10倍以上はあるので、世の中が少し落ち着いたらぜひ、便器を見に行ってほしい。

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