ブードゥー教のふるさとから
石川:
連絡をとるたびに違う国にいるSatoruさんですが、今どこですか?
Satoru:
コートジボワールから、陸路でゆっくりと東に進んでいく感じの旅をしております。今は西アフリカのベナンです。 アフリカに来てから2回警察沙汰になりましたが、今のところ順調です。
石川:
順調の定義が我々とちがいますね…。ベナンでは何を?
Satoru:
世界中のシャーマン(呪術師)が集まるエグングンというブードゥー教のお祭りがあって、それを見るために来てしまいました。
石川:
おおー、おもしろそう!
Satoru:
ベナンはブードゥー教の発祥の地なので、エグングンの時期はめちゃくちゃ盛り上がるみたいです
石川:
ブードゥー教ってハイチとかあのへんの中米あたりのイメージでした
Satoru:
ベナンを発祥として、ハイチなどに広まったみたいですね。
それで、町を歩いていたら、1年に一度だけ開催されるというブードゥー・ジャズのコンサートが今晩開催されるというので、行く予定です。このコンサートにも、ハイチやブラジルなどのアーティストが集まるみたいです。国際的なイベントです。
石川:
うわーそれは見たいな、超ワクワクしてます
Satoru:
石川さんは民族音楽がお好きでしたよね。
石川:
そうなんです。ブラジル音楽なんかにもブードゥーが影響してるという話を聞いたような。
Satoru:
私もジャズは結構好きですが、ブードゥー・ジャズはこれぞジャズ精神の根源みたいな感じで、ヤバイですね。
Satoruさんが後で送ってくれたコンサートの様子
石川:
やべー!いやーうらやましいなこれは…!!
ファンクっぽいグルーヴ感ですけどあそこまでビシッと統率してなくて、ちょっとゆるっとしてインプロ感の残った感じが(中略)トーキングドラムが入ってるのも西アフリカって感じでたまらないです!
Satoru:
ベナンの前の国家のダホメ王国では、人間の頭蓋骨を打楽器にしていたとも仄聞します。
マルシェ(市場)に行くと、猿の頭蓋骨とかが陳列してあります。
石川:
それは何用ですか?楽器ですか?
Satoru:
いや、日常のお祈りとかに使うのだと思います。ちょっとまだ不勉強なので確たることは言えませんが。
石川:
なるほど、宗教具と思われると
Satoru:
ブードゥー・グッズには興味深いものがいろいろあって、全身に釘が刺された藁人形みたいなやつとか、動物の血を注ぐための鉄皿みたいなのがあるんですが、うちの奥さんからは「絶対にお土産として買ってくるな」と厳命されているので、買いませんでした。
石川:
(笑)
Satoru:
ブードゥー教は奥深いですね。
トーゴやベナンあたりはキリスト教とイスラム教とブードゥー教のミックスなので、独特の雰囲気があります。
石川:
それは音楽以外だとどういうところに現れるんですか?建物とか?
Satoru:
やはり教会やモスクが近くにあるところですかね。
私のDPZデビュー作でもあるコソボもそうでしたが、キリストとイスラムのミックスは、個人的に旅行していて一番面白い地域です。
石川:
ベナンはそこにもういっこ別の、ブードゥーが入ってさらに味わいが複雑に。
ブードゥーにもモスクや教会みたいな
Satoru:
ベナンには悲しい歴史があって、奴隷貿易の発祥の地でもあるので、そこで「ヨーロッパから持ち込まれたキリスト教」と、「土着宗教としてのブードゥー教」がミックスせざるを得なかった歴史もあるみたいですね
石川:
奴隷貿易。
ブラジル音楽にブードゥーが影響しているという話も、奴隷貿易でブラジルに持ち込まれたと聞いてます。
Satoru:
まあしかし、その辺りは、追って書かれるであろう記事で紹介させて頂こうと思います。
辺境旅行ブログは日本語の練習のため
石川:
そうだ、ブードゥー教の長話をしている場合ではなかった。
それはおいおい記事でお願いするとしまして、今日したい話は、まずSatoruさんのご紹介をあらためてということで。
Satoru:
新人ライターのSatoruです。こんにちは。デビューして、3ヶ月とちょっとですね。
石川:
もともとは自由ポータルに個人ブログの記事を投稿していただいていました。
Satoruさん個人ブログ
ウィーンと私と、旅する子どもたち
個人ブログの方もデイリーで書いていただいてるような紀行文が中心で、これがまた良くて…。
Satoru:
ありがとうございます。
もともとは、日本語の練習のためにやっていたブログだったんですよね。私はいまオーストリア・ウィーンに住んでいるのですが、いまの職場には日本人が誰もいなくて、放っておくと日本語を忘れてしまいそうだったから。もちろん家族帯同で住んでいるし、ウィーン全体では日本語話者の知り合いも多いんだけど、ライティングのスキルとして。
で、そうした文章を、どなたかプロの方に見てもらってみようかなと思いまして、昔から好きだったデイリーポータルZに投稿したというものです。
石川:
そうだったのか!しかし練習というにはあまりに良すぎるブログです。
Satoru:
ですから、投稿するときも「ライター志望ではない」としていたんですよね。
※注:投稿時にライター志望かそうでないかを選べるようになっています
石川:
そうなんですよ、だから僕も、執筆お願いするとき、声をかけていい物かどうか、わりと迷っていて
Satoru:
そうでしたか。
しかしお声かけいただいたときは、ボスニア・ヘルツェゴビナの長距離バス車内で、自分のブログにコソボの記事を書こうかと思っていた頃だったので、タイミングとしては絶妙でしたね。
※コソボの記事。のちに、SatoruさんのデイリーポータルZデビュー作に。
コソボであそぼ、子どもとあそぼ ~子連れでたのしむコソボ旅行~
石川:
コソボの記事、取り逃さなくて良かったです(笑)
ブログ記事の中で特にSatoruさんのイチオシというか、お気に入りはありますか?
Satoru:
5本だけ思いつくままにあげるなら、イラン、トルクメニスタン、ウクライナの旅行記、それから「さようなら、私の届かなかった荷物たち」と「うんこと私のデッドヒート」ですね。ヒマを持て余しているときにでも、よろしければご笑覧ください。
Satoru:
このうちウクライナの旅行記は、世界一深い地下鉄や旧チェルノブイリ原子力発電所について、すでにデイリーポータルZで取り上げられていたので、大いに参照させていただきました
石川:
おお、参考資料に。大山さんの記事ですか?
※大山さんの記事
世界一深い地下鉄駅はすごくすてきだった
チェルノブイリは「ふつう」だった
Satoru:
そうです。
「同じ場所を訪れた人による優れた先行記事があるときに、その人とは異なる視点でどう書くべきか」をうんうん唸る作業は、とても勉強になります。これは、オモコロの岡田悠さんが(noteで)先行発表して大人気を博されたイランについてもそうでしたが…。
※岡田悠さんの記事
経済制裁下のイランに行ったら色々すごかった
石川:
確かにそうですね。いかに自分の視点を構築するかという。
対抗意識の点でも燃えますよね。
Satoru:
「こりゃ面白いことを書かれちゃったな、まいったな」という気持ちがありますね。でもそれが嫌な気持ちではなく、むしろ爽快な気持ちではあるんですが。
あやうくライター登用を逃しかけた話
石川:
編集部的には、Satoruさんからも挙げていただいたトルクメニスタンの記事ですね。Satoruさんが自由ポータルに投稿しはじめたころは、主に僕が好きで取り上げていたのですが、だんだんほかの2人も取り上げるようになってきて、トルクメニスタンの記事で全員「この人はすごい」って一致した印象があります。
僕個人は前々から原稿頼めないかなーと思ってたのですが、ただSatoruさんの記事ってデイリーのふだんの記事とテイストが違うじゃないですか。個人的な好みとサイトカラーの折り合いで、ちょっと慎重になってて。
それがトルクメニスタンの記事でみんな良いよねってなったタイミングで「こういうの(デイリーのカラーと)ちょっと違いますか…?」って編集部で控えめに投げかけたところ、林が「いや、デイリーっぽさとか気にしないでこういうのも載せてかないとダメだよ!」って(笑)。「そうなの!?」と思って。慎重になってたのは何だったんだという。
Satoru:
それは絵に描いたような美談ですね(笑)。
でも本当のところ、私はその前のイスファハーンのフライトキャンセルの記事で投稿をやめようと決心していたんです。というのは、「編集部の全員からコメントをもらったら終わりにしよう」と最初に考えていて、イスファハーンの記事で最後のお一人であられる古賀さんから講評をいただいたものですから。
石川:
えー!そうだったんですか!
Satoru:
古賀さんに長らく採り上げられなかった理由をあるとき考えていたことがありまして、やっぱり私のブログは政治や経済の話とか、人間の歴史の残酷さとか、そういう デイリーに似つかわしくないテーマを私が小難しく書いているからだよな……などと自省しました。でもまあそれは私の書きたいことでもあるのだから、そこで折れるのも違うよな、と開き直りもしましたけれど(笑)。
さはさりながら、少しだけでも読み口を柔らかくする努力は払えるんじゃないかと思いまして、そうして書いたイスファハーンの記事に、まさにその意図を汲まれたような講評を古賀さんからいただいた。これで大三元ができたな(麻雀の役で、3種類の重要な牌を集める必要がある)、と喜んだ記憶があります。
……で、そこで終わりにするつもりだったんですが、トルクメニスタンの記事を書き上げたときに、「やっぱりこれも投稿しようかな」「これで本当に最後にしよう」と翻意しまして…。
石川:
いやー、ではほんと、ギリギリのところで捕まえた形ですね。よかったー…。
海外で暮らすということ
石川:
あと個人的に、
息子が英語を話しはじめた
これがなんとなく好きなんですよね。
自分も子供がいるから感情移入できるというのもあるのですが、くわえて得意分野を持った人が書いた、それ以外の記事に惹かれるんです。
乙幡さんの工作じゃない記事とか、萩原さんのダムじゃない記事とかが好きで。
Satoru:
なるほど。それと似た文脈でいえば、私も「紀行文が専門ではない作家による異国滞在記」がわりに好きです。たとえば、庄野潤三の「ガンビア滞在記」とか、城山三郎の「アメリカ細密バス旅行」とか。あるいは、これは異国滞在記ではありませんが、【昭和30年代のデイリーポータルZ】とも評すべき開高健の「ずばり東京」とか。
とくに城山三郎は、経済小説のジャンルを築いた先駆者として既に高名になられていたであろう時期にも関わらず、アメリカ国内の治安のよろしくない長距離バスを乗りつないで、相当にタフな旅をされている(トラブルにも遭われている)。いまではほとんど誰にも読まれていない作品だと思いますが(私の周りでも皆無でした)、こういう本を読むと、私にはたくさん学ぶところがありますね。
石川:
そういう意味ではSatoruさんも旅行記が本業というわけではないので、Satoruさんの原稿自体が「それ以外の記事」というとらえ方もできますね。
「息子が英語を話しはじめた」のエントリについてはどうですか?
Satoru:
懐かしい記事ですね。
我が息子はもはや英語もドイツ語も話せてしまっているので、ずいぶん懐かしい気持ちがある。
海外赴任で言語の問題で苦労する人は(国籍を問わず)とても多いので、そういうことについて書いてみたかったんですよね。
でも不安を煽るようなテイストではなく、あくまでn=1のサンプルの範囲のひとつの素朴な一例として。
石川:
海外で生まれた子どもの言葉が、不幸にも両方中途半端になってしまうという話は聞いたことがあります
Satoru:
そうなんですよね。
セミリンガルの問題は私も関心があって、色々と調べました。
石川:
あーセミリンガルという言葉があるんですね。
でも「場所で分ける」「人で分ける」みたいなやり方はすごく理にかなっているなと思いました。
※注:記事中に登場。子供が複数の言語の習得に混乱しないように、「家では常に日本語で話す」「外では常に英語で話す」のように使い分ける。あるいは「お父さんは常に子供と英語で話す」「お母さんは常に子供と〇〇語で話す」のように人で分ける。
Satoru:
そうそう、これはイラン人の同僚の知恵を参考にしたんです。
国際機関に勤めていると、様々なバックグラウンドを持った人がいるので、子育ての悩みとかも複雑ですね。
石川:
そういう状況だと「普通こうする」みたいな答えがないですもんね
Satoru:
たとえば、ある中東出身の人は、母国が独裁政権みたいな状況なので、帰国できる見込みがないらしいんですよね。そういうときに、母国に言葉を自分の娘・息子にどれだけ習わせる意義があるのか、悩まれている方もいました。
石川:
難しいですね。アイデンティティをどこに帰属させるかというか…。
Satoru:
逆に言うと、そういう母国に帰れない事情を抱えた人が、国際機関に就職(転職)したりするみたいですね。日本語話者の多くは幸いにして縁のないイシューですが…。
石川:
なるほどー。
何者だ問題
石川:
国際機関といえば、Satoruさんの記事には急に外務省の人が出てきたり、行った先の政府上層部の人がでてきたり、いったいこの人は何者なんだ、というのが読者の気になるところかと思います。差支えのない範囲で教えていただけますか?
Satoru:
いえいえ、たまたま知り合いだっただけです。
私はもう、一介の平凡な日本人ですね! 具体性を排して仕事の内容を述べると、「新興国の政策立案をお手伝いする仕事」みたいな感じです
石川:
なるほどなるほど。ますます謎に包まれた感じもしますが、大体そんな感じということで(笑)。
Satoru:
仕事のことを真正面からは書けない事情があるのですが(秘密保持契約みたいなもので)、でも業務に直接は関わらないけど興味深い話はいろいろあって、そういう「とりこぼし」を集めたのが、拙ブログであり、またデイリーで書かせてもらっている記事ですね。
石川:
いやーもうその取りこぼしがこんなに豊饒なものかという。
取りこぼしていただいてありがとうございますという感じです
Satoru:
本当に面白い、えげつない話は、なかなか書けないんですけどね…。
取りこぼし方をミスると、クビになってしまいます。
石川:
あはは、帰国された際にお会いしてそういうのを漏れ聞くのも楽しみの一つです。
Satoru:
でも挑戦はしていきたいですね。いろいろなことに配慮はしつつ、内角低めギリギリのストライクゾーンを狙っていきたい。
レガシーメディア(新聞とか)が扱わないことでも採用してくれるのは、デイリーの有り難いところですね、本当に。
石川:
ところで、旅行記のうちそこそこの割合でお仕事がらみだったりするのですか?
Satoru:
いえ、旅行記はすべてプライベートです。おかげで有給がマイナスになりそうです。
上司にもあまり根回しせずに出かけてしまったりするので、だから藤原さんの「有給申請せずにインドに行く」の記事にはすごくシンパシーを覚えます。
石川:
いまだに職場で「休暇申請出すように」ってことあるごとに言われてます、藤原(笑)
Satoru:
ははは。でも、私もわりに無茶な仕事の仕方をしてきてますから、気持ちとしては藤原さん側です。
ただ、唯一の例外(=仕事がらみ)は、サウジアラビアの三角コーンの記事ですね。本業に関係のあることは書きにくいので、だから三角コーンに焦点を当てた内容になったわけですね。制約が生んだ記事ともいえます。
担当編集しか読めない原稿
石川:
あ、そうそう、書けないといえば、原稿には出てこない、担当編集だけが読める文章というのがあって。
入稿の際に原稿の横に書いてくれるコメントなのですが、これが読めるのは役得だなと感じております。抜粋していくつか載せてもいいですか?
Satoru:
おお、もちろん。
Satoru:
あれは半ば自分のために(そういう演出意図を持ってこの文を書いているかを明確化するために)書いていたんですが、お目に留めていただいて幸いです。
石川:
DVDの副音声みたいな感じなんですよね。監督が説明するやつ。
Satoru:
でも実際、その拙コメントに対する石川さんの返しで、新たなアイデアが生まれたりもしますね。双方向の副音声というか。
アジャリアの記事について、メモを作ってきたので送りますね。
アジャリアの記事は、たくさんの方々にご覧いただいたことはもちろんありがたいのですが…正直なところ、どうしてウケたのか、今でもわからないですね...。
編集部の林さんが著書「
エリートは大事にしないが…」にて、面白さのキーワードは 「近さ」と述べられていて、「距離的な近さ」「社会的な近さ」「時間的な近さ」と要素を分解されてますが、アジャリアの記事って、そのどれでもないですよね。
つまり、日本からは【距離的】にうんと離れたエリアの話だし、執筆者は新人ライターのSatoruとかいう得体の知れない輩で【社会的】な近さもないし、【時間的】にもなにか特別なイベントが直近であったわけでもない(イラン人とアメリカ人が搭乗する余談のパートは、結果的にタイムリーな内容になってしまいましたが…)。
しかも、石川さんが「自由ポータル」の講評で述べられるような、「ウェブ記事は1記事1テーマ」の基本セオリーすら守れていないですよね。私自身の紀行文は全体の半分以下で、むしろ(1)アジャリア観光局の借り物の写真、(2)外務省の人の言語学講義、(3)アブハジアに旅行した無謀な知人の借り物の写真、といった具合に、いろんな要素がぐじゃぐじゃに混淆していて、なにか全体の統一性がみられるわけでもない。一読してわけがわからない。これ大丈夫かな、と公開する前にシビれましたね。
でもこの破綻ぎみの構成は、もともとは、担当編集の石川さんが、スターリン温泉の素稿に「交響曲みたい」とコメント頂いたことから発案したんです。
あの記事は、基本的にクロノロジカルに(時系列に沿って)旅行の話が展開しますが、冒頭だけは例外で、あそこだけ時間軸に逆らって、廃墟の写真群がバーンと出てきます。
これは、まず「死」の不吉なイメージを提示して、そこから徐々に、野良犬やお婆ちゃんたちに彩られる「生」のイメージに遷移していく(そうして読者にポジティブなイメージを手渡す)…みたいな企みだったのですが、これを説明したら「交響曲みたい」とおっしゃっていただいて。
いや、私はそんなに大そうなものは書いていないんですが、それなら次回のアジャリアの記事は、グスタフ・マーラー(というウィーンで活躍した作曲家がいまして、この人の交響曲はめちゃくちゃに不協和な展開で知られているんです)になぞらえて、まったく異なる語り手のボイスを、あえてぐじゃぐじゃに混ぜたら面白いんじゃないか、と思いついたわけです。
1月7日に掲載されたサウジアラビアの三角コーンの記事もそうですが、こういう日本のレガシーメディアではおよそ取り上げなさそうな、まるで役に立たないような原稿を採用して、それで幅広い読者層がこれを支持いただく(少なからぬ割合か不支持だとしても、少なくとも読んではいただける)デイリーポータルZって、やっぱり懐の深いメディアだな、と思いますね。無形の価値を感じますよね。なんだかヨイショしているみたいですが…。
石川:
なるほどー、「交響曲みたい」は単に素朴な感想でしたが、それがこの記事の構成を生んだんですね。これはめちゃ光栄です。
Satoru:
いや本当にそうですね。
石川:
こういう感じで、演出意図がコメントに書かれてたりするのですが、おかしかったのはこないだの三角コーンの記事です。
小見出しが「三角コーンの「世界の見かた」を、Satoruが少しずつ学んでゆく」みたいな展開を説明する文になっていて、あの原稿の横のコメントが本文に漏れ出てきたようだ、と思っておかしかったです。
Satoru:
なるほど。あれは私(Satoru)と三土さんの関係性の微妙な変化を読んで欲しかったところもあるからですね。
私自身はSNSはあまりやっておりませんが、でも頂いたコメントなどをこっそり拝見していると、そういうところを漏らさず読み取られている読者がおられて、感服致しましたね
石川:
そうそう、すごい行間まで読んで汲んでくれる人いるんですよね。あれはありがたいです。
Satoru:
スターリン温泉の記事も、あの廃墟の写真について「タルコフスキーの映画っぽいよな」という説明文を入れるべきか悩んで、結局やめた経緯があったのですが、でも少なからぬ読者の方が「あれ、タルコフスキーっぽいよね」と指摘をされていて。
石川:
ほー
Satoru:
デイリーの読者ってすごいな、と思いました。
石川:
たまに誤読したような反応もあったりするんですけど、あとで見ると別の人がきっちり訂正というか、いさめるようなコメントをつけてたりして。あんなふうに記事にガッツリ向き合ってくれる読者がいるというのはは、ほんとありがたいなと思います。
まずは「死なない」
石川:
ではそろそろ今後の話ということで、次回以降の記事の予告などあればぜひ
Satoru:
そうですね。企画案は10本くらい、すでに編集部に提出したものがあるんですが、まずは西アフリカから生還したいですね…。
石川:
まずは「死なない」
Satoru:
次に訪れるナイジェリアは特にリスクの高いところなので…。
石川:
今よりもですか!冒頭で2回警察沙汰になったという発言がありましたが。
Satoru:
今いるベナンは西アフリカで最も安全な国のひとつですね。
石川:
Satoruさんのお話をメッセンジャー等で聞いていると、「それだけで1本書けますね」レベルのエピソードが3日に1回くらい起こっているように思えます。
Satoru:
次回の記事は、私がうまく生還できれば、ヨーロッパ特有のLCCの話と、極夜の北極圏に旅した話を混ぜたものにさせて頂こうと思います。
しかしアフリカにいると環境が違いすぎてまったくドラフトすら書けないですね…。
石川:
ははは、書いてる場所の影響出ちゃいますよね。
Satoru:
地球上で、およそ対極にある場所です。
でも最大の悩みは、文章を落ち着いて書く時間がなかなか取れないことですね。
石川:
旅先での執筆、恐れ入ります…。
今後もいろいろなところに行かれると思うのですが、行き先はどうやって決めていますか?……と聞こうと思いましたが、おっとそろそろお時間ですね。
Satoru:
そうですね。ではこの質問については、後ほど別途回答をお送りします。
石川:
ではその回答を掲載しまして、対談の締めとさせていただきます。今日はありがとうございました。
Satoru:
ありがとうございました。
質問「行き先はどうやって決めていますか?」への回答
「いましか行けない」ところに行きたい。
これは旅行の話からちょっと離れますが、私の人生における後悔のひとつは、世代的にギリギリ間に合っていたはずなのに、古今亭志ん朝(落語家)とカルロス・クライバー(指揮者)の公演に行けなかったことです。
学生の頃、時間のリソースが無限にあると勘違いしていて、ぐずぐずしていたら、どちらも不帰の人になられてしまった。
「いつかそのうち」という口癖は、人生の機会損失を増やしがちだ、と強く思います。これを出来るだけ排していきたいですね。
もちろん、奥さんを筆頭とするステークホルダーとの関係維持もすこぶる重要ですけれど、うまく妥協点を見つけて、合意点を見つけて、あわよくばアウフヘーベンしていきたいですね。
ここで旅行の話に戻しますと、たとえばベトナムにしても、小説家の開高健が描いた時代といまとでは全然違うわけだし、私が十数年前に訪れた頃ともまた違っているだろうな、と思います。
経済成長をして、新しい文化がにょきにょきと生まれてくる面白さもあるだろうし、逆に大規模なショッピングモールばかりが乱立して(ひねくれた旅行者の見方からすれば)退屈な資本主義の跋扈地帯になってしまっているかもしれない。
さらに最悪なシナリオとしては、なにかの拍子に戦争や内戦が起きて、文化遺産や社会インフラが損壊してしまうかもしれない。未来は誰にもわからない。
そんなことを考えていると、やっぱり歩けるうちに歩いて、できるだけ自分の目で実地を見ておきたいな、と思いますね。
コソボも、10年後には相当に変わっていると思う。
だから2019年夏のコソボを、子どもたちと一緒に見ることができて、本当によかったですね。
10年後あたりに再訪したいです。そのとき、コソボの人たちにとって好ましい方向に変わっていることを祈るばかりですが…。