ジン鍋の深掘りと拡張を続けるジン鍋アートミュージアム。これだけ書いてもその膨大な情報量のほんの一端を紹介できたに過ぎない。ぜひ一度訪れて、多種多彩なジン鍋の味わいを堪能していただきたい。とか言っておきながら開館は4月〜11月までで現在は冬期休館中。来年4月までどうする?ジンパをして待つのだ。

<取材協力>ジン鍋アートミュージアム(北海道岩見沢市):
https://www.facebook.com/jinnabeartmuseum/
北海道の郷土料理ジンギスカンといえば羊の肉と、その脂が滑り落ちて縁の溝に敷き詰められた野菜にジューシーな味わいをもたらすあの独特なドーム鍋だが、最古の鍋にはそんな溝は存在しなかった。
新旧600枚近くのジンギスカン鍋「ジン鍋」を所蔵する世界で唯一の私設博物館「ジン鍋アートミュージアム」には鍋から広がるジンギスカンの文化史が凝縮されていたのだ。
朝9:00、気が早って約束より1時間も早く着いてしまった。北海道岩見沢市、現在は郵便局となっている旧国鉄万字駅跡のすぐ隣に、店舗のような建物が静かに佇んでいる。
「ジン鍋アートミュージアム」
「ジン鍋」とはジンギスカンの鍋のことで、2016年に開館した世界でただひとつのジンギスカン鍋の博物館である。
ジンギスカンといえばラムやマトンといった羊の肉を野菜といっしょに焼いて食べる北海道のソウルフードとしておなじみだが、ジンギスカンのイメージをジンギスカンたらしめているのが、あのドーム型の鉄鍋と言っても過言ではない。
店に入りガスコンロの上に乗った鍋を見ると、ジンギスカンを食うワクワクで私の心の中に住むルイス・ヘンドリック・ポトギター※がハイテンションで「ウ!ハ!」と飛び跳ねるのだ。
※1979年に西ドイツで結成された音楽グループ「ジンギスカン」のメンバーでおもにダンス担当の人。身体能力がものすごいイケメンであった。
ミュージアムの中に入るとすぐ、土間に置かれた棚という棚にぎっしりと並んだジン鍋に囲まれる。私が羊だったら恐怖で卒倒していただろう。
「2016年に開館した時は186枚、2023年に500枚を突破して今は、ちょっとカウントが追いついてないんだけど(笑)、600枚くらいですかね」
コレクション数の変遷を語るのは館長の溝口雅明さん。それにしても伸び率がすごい。怒涛のコレクションである。
「ここは1912(明治45)年に私の祖父が開いた商店で、このあたりは万字炭鉱の輸送を担った国鉄万字線の万字駅前の市街地として賑わっていました。炭鉱が閉山して万字線も廃線となり人も減る一方で、店も2001年に私の父母の代で閉じたんだけど、建物はこのとおり状態もよく、私がコレクションをはじめたきっかけとなった場所でもあるのでここに博物館を開くことにしました」
―― そのきっかけですが、ジン鍋とどう交錯してこんなになったんですか?
「2005年、コンサル時代に異業種交流で知り合った旧友で北野隆志さん※という、ジンギスカンのルーツを研究している方に『ジンギスカン鍋を探しているから協力してくれないか』と言われた。そういえば実家にあったっけ、とここで古い鍋を探したら4枚出てきて、そのうちの錆び付いてた1枚が貴重な鍋だったんです」
※元北海道新聞記者、現在はジンパ学研究者としてジンギスカンに関する研究を行う。ジン鍋アートミュージアムには顧問として携わっている。WEBサイト「現場主義のジンパ学」の情報量は圧巻 https://www2s.biglobe.ne.jp/~kotoni/mokuji.html
―― 貴重とは?(ごくり)
「さびを落としてきれいにしてみると『ベル食品』とあった。ベル食品は聞いたことある?ジンギスカンのタレを作っている北海道では有名なメーカーです」
「1956(昭和31)年にジンギスカンのタレを発売したんだけど、当初はぜんぜん売れなくて、58年にもっと家庭でジンギスカンをしてもらうために肉屋に鍋を置き、羊肉とタレを買ったお客さんに貸し出すキャンペーンをやった。その第一号の鍋だったんです」
「大変貴重な鍋だと言われて、この第一号の鍋はベル食品の本社にも保管されてなかったんですね。それで好奇心に火が着いたのと、タレが発売された56年は滝川に松尾ジンギスカン(当時は松尾精肉店)が開業し、私が生まれた年でもある。不思議な因縁を感じて(笑)、ジン鍋を集めるようになりました」
その出会いから約10年後の2016年、コレクションが100枚を超えたところで(正式開館時は186枚)ジン鍋アートミュージアム開館となったのである。
「それは松尾オリジナル鍋の初代※で、2989(肉焼く)は松尾ジンギスカン本店の電話番号です。これより後の2代目、3代目鍋には岩手の南部鉄器の老舗、岩鋳(いわちゅう)の刻印がしてあるので初代もそうなのかと思っていました」
※最初と次の鍋はオリジナルではなく市販のものを使っていたのでトータルでは3代目
「ところが2年前に、ここを訪ねてきた滝川出身の人に『これはうちの祖父が作りました』と言われた。松尾が岩手でなく地元の鉄工所に発注していたことがわかったんですね。さらにその鉄工所は明治時代に南部から来た職人が開いて、北海道で鉄道の鋳物部品を作った時に技術を提供していたらしいのです」
―― へえー、面白い!
「実は博物館に展示してある鍋の中で北海道産の鍋は40枚ほどと多くはない。鉄道部品など大味な作りものが主流だった北海道にこうして南部鉄器の繊細な技術が入ってきていたり、鍋がいろいろと語ってくれるんです」
数ある鍋の中でもただならぬ風格をまとっている鍋がある。
「これは1935(昭和10)年製造の国産最古の家庭用ジン鍋です」
―― これが!
「当時の陸軍省・内務省・農林省が中心となって、国民の食生活向上のために作った財団法人『糧友会(りょうゆうかい)』が発行していた機関紙『糧友』の発刊10周年記念に読者プレゼントとして作られたものです」
―― 売っていたわけじゃないのか、なんか手に入れるの難しそうですね......。
「そう、先に紹介した北野さんの調査で存在はわかっていたけれど入手には至らず、私が出演したテレビ『開運なんでも鑑定団』で募集をかけても反応は無し。ところが2021年にネットオークションに骨董品として出品されていることがわかって、落札したんです」
―― 今使われているジン鍋とはかなり違って見えますね。これだと周りに野菜が置けない。
「そもそも肉を焼くのがメインだったからです。ジンギスカンの原形は中国の北部で食べられていた烤羊肉(カオヤンロウ)という、鉄棒を並べた盤の上に羊の薄切り肉を並べて焼く料理といわれています。肉の脂は下に落として、薪の煙でいぶしていました。大正〜昭和初期にかけて旧満州から日本人が持ち帰ってきたんですね」
「中国ではかなり大きな鍋を使っていたみたいだけど、日本では昔から使われていた七輪に合わせてコンパクトになっています。あと、今の鍋と比べると隙間ですかすかでしょう」
「これは烤羊肉のように七輪で焼きながら炭の香りを付けて、落とした脂の煙でいぶして食べるからです」
「羊毛を生産すべく国策で羊の飼育が増えると、毛だけでなく肉を活用しようと調理法の研究や試食会が行われたけど、食文化としてはあまり定着しなかった。普及していくのは戦後になってからです」
―― 思っていたより最近なんですね。
「戦後は羊を飼う農家が増えて肉も一般的になってきたけど、今みたいに質のいい肉ばかりじゃないから、臭みを消すためにタレに漬け込んで下味をつけた肉を焼くやり方が広まっていった。松尾ジンギスカンの滝川が有名ですよね。旭川や滝川など内陸部では今でも味付き肉が主流です」
「一方で札幌や小樽、函館、釧路など海沿いを中心に、ジンギスカンのオリジナルの食べ方である肉を焼いてからタレを付ける文化が広がり、全道でジンギスカンの需要が増えるとジン鍋もいろいろ変化するのだけど、大きな流れでいうと先ほどの糧友会鍋にあったような穴(スリット)がなくなってくる」
―― (穴のありなしは)気になってはいましたけど、なんでなんですかね。
「七輪からガスコンロに変わってきたのが大きいですね。小型のプロパンボンベにホースをつないで使うコンロが普及して屋内でジンギスカンをやるようになり、煙を抑えるのと下に脂が落ちないようにスリット無しになっていった。1950年代の普及期以降、いろいろ多様な進化を遂げていくんだけど、大きな流れのひとつとして熱源の変化というのがありますね」
「さらに肉の脂を周囲に流すために中央も盛り上がってきて、縁がそり返り、そこで野菜を焼くスタイルになってきた。周囲の溝を深くして野菜を多く入れられるようにした鍋も出てきました」
「この星型デザインは1952(昭和27)年、実用新案出願されています。日本中でコピーされて類似のデザインが出回っています」
「今日時間ある?昨日のジンパ※の肉が残っているからジンギスカン食べましょう」
※ジンギスカンパーティーの略。北海道大学の構内で学生によって行われるジンギスカンパーティをジンパと呼んでいたが、今では道内に広く普及している。
ジン鍋をただ展示するだけではない。ジン鍋は肉を焼いてこそとばかりに所有の鍋を使って参加者が食材を持ち寄るジンパも開催されている。
「この肉は昔北村(きたむら)という村があって(2006年に岩見沢市と合併)、そこで大正時代に残されたレシピを地元の高校生が再現して漬けた肉です。『元祖ジンギスカン』として売り出そうとしていたけど、レシピは有名な料理研究家だった一戸伊勢子さんが考案したものに基づいていて、北村としてのオリジナリティは薄い。また、後のジンギスカンにつながるものはあるかもしれないけど元祖とまでは言えないし、元祖というより北村ジンギスカンとして打ち出せばよいのでは?と提言したんです」
蓄積されたジンギスカン・インテリジェンスでジンギスカン文化を正しく発信するための啓発も行っているのだ。
「うちの名前はジン鍋”アートミュージアム”でしょ。ジン鍋の味わいをいろんな視点で感じてもらうためにアート系のイベントやワークショップも開催しています」
―― いきなり脳がバグりかけましたが、これはなんですか?
「『ジンフェス』と呼んでるんだけど、岩見沢にゆかりのある音楽アーティストがジン鍋を打楽器にして演奏するイベントで、5回目の時にはプロのダンサーをゲストに迎えて即興のダンスを披露してもらいました」
―― 鍋はまだまだ集まるんでしょうけど、他に今後やっていきたいことはありますか?
「活動の集大成として、やはりオリジナルの鍋は作りたいなと思っています。なかなか費用もかかるのでクラファンとかにチャレンジする必要があるけど。あとみんなから早く本書けって言われてるんだよね」
―― でしょうね。僕もここに来てお昼前くらいからずっとそれ思ってました。
午前中の取材予定で予定より早くはじまったのに、取材を終えた時は午後3時を回っていた。
ジン鍋の深掘りと拡張を続けるジン鍋アートミュージアム。これだけ書いてもその膨大な情報量のほんの一端を紹介できたに過ぎない。ぜひ一度訪れて、多種多彩なジン鍋の味わいを堪能していただきたい。とか言っておきながら開館は4月〜11月までで現在は冬期休館中。来年4月までどうする?ジンパをして待つのだ。
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