きっかけは「鳥ブーム」
都内から車を走らせること1時間半ほど。訪れたのは群馬県太田市。
住宅地の中に木々がこんもりとした丘があり、ナビはその中に入るよう示している。ここですか?と、車1台ほどの幅の道をそろそろと進むと……たくさんのハトたちがお出迎えしてくれた。
ここに違いない。こんなにハトがいるのに、ここじゃなかったらビックリする。
車から降りた我々を「こんにちは!」とよく通る声で出迎えてくれたのは、ハトヤTOKYO代表の鏡貴芳さんだ。
実はこの場所は、「高山神社」という神社。鏡さんの本職は神主である。
鏡さん 高山神社を含めて9社あって、小さい神社ばかりなんで兼務してるんですよ。一番広い境内なので、ここでハトを飼っているんです
そもそもなんで神主さんがハトを?……と思ったら、「最初は好きで飼ったんですよ」という。完全に趣味だったそうだ。
鏡さん 私が小さいとき、父が白鳩を飼ってたんですよ。昔、キンケイとか尾長鶏とか、観賞用の鳥がブームになったことがあって。父もどこかで白鳩を見て「綺麗だから」って飼ったんですね。それで、私も飼い始めたんですけど、どんどん増えてきちゃって。
せっかくの白鳩である。うちの神社で結婚式とかお葬式もやるし、そこでハトを飛ばしたりしたらいいんじゃないかなぁ……と鏡さんは考えた。
そもそも、昔はもっと冠婚葬祭でハトを飛ばしていたらしい。
鏡さん 石原裕次郎の葬儀のときは200羽飛ばしたと聞きましたね。あと、1964年の東京オリンピックでは、全国のレース鳩を集めて何千羽って飛ばしたらしいですよ。
JOCのサイトを見てみたら、「平和の象徴として約8000羽のハト」が開会式で放たれたとあった。すごいスケール。
そして同時に、ブルーインパルスが空に五輪を描いたとのこと。それはハトもびっくりしたんじゃないかな。
ただ、当時の鏡さんにとってハトはあくまで趣味。イベントごとで飛ばそうと思っても、最初はうまくいかないことも多かった。
そこで頼ったのがインターネットである。
鏡さん 福島県の郡山に「ハトヤ商会」という会社があって、昭和から平成の時代には、結婚式などで年間数百件ぐらい飛ばしてたんですよ。ホームページを見て「見学させてください」って電話してね。父と2人で行っていろいろ教えてもらいました。それ以来、うちの師匠ですね
ハトは冠婚葬祭なんでも大丈夫
昔はハトを飛ばす業者がたくさんあったらしいが、現在関東にはハトヤTOKYOさんともう1社しかいないそう。貴重な存在である。
あれ、そういえばさっき「結婚式とかお葬式」って言ってましたけど、ハトってめでたい席でも弔いの場でも、どっちでも飛ばしていいんですね……?
鏡さん 結婚式は「永久(とわ)に愛を誓う」っていうので10羽飛ばすことが多いですね。8羽飛ばしたあと、新郎新婦が1羽ずつ手で飛ばしたりとか。あと、ゲストへのサプライズに新郎新婦が仕込んでおくパターンもあります。
教会で式を終えた新郎新婦の前に、白い布がかぶさった何かが置いてあり、ゲストが「?」となったタイミングで布を取ってハトが羽ばたく……という演出らしい。
もともと、結婚式にはゲストが一斉に風船を飛ばす「バルーンリリース」という演出がある。最近ではハトの形の風船を飛ばしたりもするそうで、そりゃ本物を飛ばしたほうが盛り上がるであろう。
一方、お葬式でハトを飛ばすのは出棺のとき。
鏡さん 霊柩車がクラクションを鳴らしたタイミングで、両脇から飛ばします。私は神主ですけど、依頼があれば仏教の葬式にもハトヤTOKYOとして行きます。そこは別にしてますね(笑)
出棺の前、葬儀会場にはあらかじめ「亡くなられた○○様の御霊をハトによって天に導き……」というアナウンスがあるそうだ。
そんなこと言われたら、空に消えていく白いハトを見て泣いちゃうかもしれないな。
また、ドラマや映画の撮影、コンサートなどの演出にもハトが使われることも多いそう。
Netflix『忍びの家』や、TBS『リンカーン大運動会』でも鏡さんのハトが飛んでいるし、EXILEのコンサートツアーに同行してハトを飛ばしたこともある。
2012年のAKB選抜総選挙では師匠と一緒に180羽を飛ばした。前田敦子が卒業を表明し、大島優子が1位に返り咲き、『ギンガムチェック』が出たころである。「目の前で神7を見てときめきました」と鏡さんは笑う。全盛期ですもんね。
鏡さん うちの子が保育園を卒園するときも飛ばしましたよ。「記念なのでやらせてほしい」ってお願いして。卒園児の数に合わせて60羽くらい持っていったかな。小学校の運動会でも選手宣誓のときにも飛ばしましたね。そのときPTA会長やってたから(笑)
お子さんの同級生は、思い出の要所要所にハトが刻まれていることだろう。大人になってから「運動会でハト飛ばすの群馬だけなの!?」って言ってるかもしれない。それ群馬だけの話でもないんですよ。
いやそれにしても、それだけさまざまな場所で飛ばしていたら、失敗することもあるんじゃいですか。
鏡さん 一度、くす玉に入れたことがあるんですよ。くす玉が割れると同時にバーッと飛び出す……っていう演出だったんですけど、くす玉の中って暗いでしょう? 寝ちゃって。いざ割れたらボトッ!ってハトが落ちて、そこから飛んでいったという……。
気持ちよく寝ていたら床がパカッと開くのだ。とんでもない寝起きドッキリである。
東京から群馬までハトが戻ってくる
こうしてセレモニーで放たれたハトたちは、帰巣本能によって鏡さんのハト小屋に戻ってくる。
都内の結婚式場で放っても帰ってくるし、過去には100kmほど離れた藤沢や海老名から帰ってきたこともあった。群馬県内なら1~2時間ぐらい、遠くても半日くらいで戻ってくるそう。
ただ、どんなに遠くで放っても勝手に帰ってくるわけではなく、ちゃんと事前に訓練しなくてはならない。ハトたちはどんなハードなトレーニングを積んでいるのか。
鏡さん まず「入口訓練」ですね。小屋から外に出して、この辺りの景色を覚えさせるんです。で、お腹が空いたら餌を食べに小屋に戻る。これを2ヵ月くらいやります。ここが自分の家で、帰れば餌が食べられることを覚えてもらう。
帰巣本能というからには、「巣」をちゃんと認識してもらわないといけないわけだ。帰りたい家じゃないと帰って来ないだろう。
人間だってそうである。大切なのはホカホカご飯とあったかい布団だ。にんげんっていいな。
そんな入口訓練が終わると、いよいよ遠くから戻ってくる訓練である。
鏡さん 1キロメートル先までハトを持っていって放します。慣れてきたら3キロ、5キロと距離を伸ばす。1キロならまぁ帰ってくるんですけど、5キロあたりは緊張しますね。帰ってこれないハトも出てくるので。毎回1、2羽は帰ってこないです。
外にはタカやハヤブサ、ノスリなどの猛禽類がいる。不幸にも襲われてしまうハトも出てしまうのだ。また、襲ってきた猛禽類から逃げたとしても、パニックで巣を見失ってしまうハトもいるのだそう。
こうした訓練をパスした「精鋭たち」が、実際に現場に飛びたつわけだ。
そうそう「精鋭」の条件がもうひとつある。「カゴが開いたら勢いよく飛び立つかどうか」だ。
だって、目の前でカゴがパカッと開いても「なに?」って感じのハトもいますよね。
鏡さん いますいます。開いたら飛ぶわけじゃないんですよ。特に結婚式なんて一発勝負ですからね。元気なハトとか、慣れているハトを連れて行くようにしています。その瞬間にお客さんが喜んでくれるかが、一番大事ですから
鏡さんは「きれいに飛んだハトに歓声があがって、そこではじめて仕事が成功したなって思いますね」と言う。
郡山の師匠は「お客さんが涙流さないんだったら金いらねぇや」という感じらしい。それくらいのプライドで仕事に臨んでいるのだ。
鏡さん この仕事をしていると「こうすればこう飛ぶだろう」「こうすればこう歩くだろう」って、ハトの気持ちも段々わかってくるんですよ。ハトを連れてきたら終わりじゃなくて、飛ばすための技術もいる。かっこよく言うなら、演出家なんですよね。
2000万円の値がつくハトがいる
こうして訓練はしているが、やっぱり天候や地形、天敵などの理由で帰って来れないハトもいる。それはもうしょうがない。都会のハトとして幸せに暮らしてもらうのを祈るしかない。
鏡さんによると、公園などにいるハトも「はぐれちゃった元レース鳩」がルーツだったりするらしい。
鏡さん 今はだいぶ減りましたけど、うちらの親世代は「レース鳩ブーム」があったんですよね。うちのハトは10キロ20キロの世界ですけど、レース鳩は100キロが最低ライン。北海道から関東まで1000キロのレースなんかもありましたから。はぐれちゃうのもしょうがないんですよね。
昭和にブームは加速し、レース鳩の少年漫画もあったほど。そういえば僕も子どものころ、友だちのお父さんがレース鳩をやっていたっけ。すごいでっかいハト小屋があったなぁ。
競走馬と同じようにレース鳩にも血統があり、成績優秀なハトの卵は高値で取引されるという。鏡さん曰く「今まで見た中で一番高いハトは2000万円した」そう。
ハト1羽2000万円である。金の卵を産むガチョウみたいなものだ。ハトだけど。
でもそんなに高額を投じて、レースの賞金でペイできたりするんですか……?
鏡さん いえいえ、微々たるものですよ。
加熱するブームの裏で、こんな話もあった。鏡さんが学生のころ、道で傷ついたハトを見つけ、獣医に持っていったことがあるという。獣医はハトの足に付いた輪っか(脚環)を見て、「これ誰々さんのハトだから届けてくれる?」と鏡さんにお願いした。
鏡さん 行ってみたらいわゆるそっちの事務所で! 私、当時から体がデカかったんで「なんだ?カチコミか?」って凄まれてビビりましたよ。「組長さんのハトだと聞いて」って伝えたら態度が変わって「いい青年だな」って(笑)。そんな時代もありましたね。