この記事を書くにあたって写真と感想メモを見返しながら、ずいぶん贅沢な体験じゃねえかと過去の自分を羨ましく思った。
一万円のお粥だなんて恐れ多いですよと断らなくて本当に良かった。お粥が育つ過程をリアルタイムで楽しめるエンタテイメント性が最高。
またお粥の会に誘ってもらえたら、最後にライスを注文して「おかゆライス(有米毋米粥)」にしたいと思う。
もう二年前の話になるのだが、中国料理に詳しい友人の在華坊さんから、お粥を食べる会に来ませんかと誘われた。
そのお値段は、お粥だけで一万円とのこと。
一万円? ……一万円!
一万円のお粥ってどいういうことだと気になったので、勇気と小遣いを振り絞って参加してみると、そりゃ一万円はするよね~という内容だった。
これまでの人生でお粥に使った総額以上のお粥を食べにやってきたのは、横浜中華街にある南粤美食(なんえつびしょく)。テレビドラマ版『孤独のグルメ』にも登場した広東料理の有名店だ。
井之頭五郎(松重豊)さんは一人で中華釜飯や海老雲呑麺を食べたそうだが、私は16人でお粥を食べる。
なんでそんな大人数なのかというと、16人以上を集めないと予約ができない特別な料理だかららしい。これが豚の丸焼きならわかるが、お粥なのが不思議である。すごく大きな鍋で大量に作らないと成り立たないお粥なのだろうか。
お粥のために貸切となっている二階には、二つのテーブルにガスコンロがそれぞれ置かれていた。
完成品が運ばれてくるのではなく、鍋のようにここで煮込むスタイルのようだ。
同じテーブルに座った幹事の在華坊さんによると、本日のお粥は「毋米粥」と呼ばれる料理で、広東省の順徳が発祥とのこと。
毋の発音が「无(=無)」と同じなので、米の無いお粥という意味らしい。
米を使わないのではなく、米が完全に溶けているということ。それって離乳食や病人食が食べる重湯(おもゆ)みたいなものだろうか。
しばらくすると、ドロッとした白いお粥だけが入った普通の土鍋が運ばれてきた。米を四時間煮込んだ白粥だそうで、確かに米が溶けて無くなっている。
お粥の会はいわば隠語であり、実際は集まった会費を奪い合う非合法の集まり、「お米=お金」を溶かす会だったのだ。というのは私の妄想で、この白粥に具をどんどん入れていくのが毋米粥の正体らしい。
お粥に入れる食材によって値段は変わってくるそうで、この店では八千円から注文できるが、一万円出すと満足度がグッとアップするとか。
これは二年前の話なので、円安が進んだ今は値段がもっと上がっているかもしれない。
いきなりクルマエビ
この真っ白なキャンバス(お粥)を、どんな食材で何色に染めてくれるのだろう。やはり中華の粥なので高価な乾物が主体なのだろうかとビールを飲みつつ待っていたら、うっすら赤く染まった生きたクルマエビが運ばれてきた。紹興酒に漬けた酔っ払い海老である。
これもつまみなのかなと思ったら、鍋奉行ならぬ粥奉行の店員さんが、ドサドサとお粥に投入した。まさかの干し海老じゃなくて活海老!
私がイメージしていたお粥から大きく外れた展開に目を見開いていると、粥奉行は次の具を入れるのではなく、海老が赤く煮えるとすぐに取り出し、銘々の皿に取り分けた。
お粥に入れた具が煮えたら取り出して配ってから、新しい具を入れるというルーティーン。そのため粥奉行はほぼつきっきりだ。
同時に複数の具を煮る寄せ鍋形式のお粥ではなく、具を一つずつ入れて最適なタイミングで取り出して食べるコース形式なのである。
この料理の最終目的は、様々な食材のエキスが染み出たお粥なのだろう。それだけが目的ならば一度にすべての具を煮れば話が早いけど、いわばダシガラである食材もおいしく食べられるように考えられた合理的なスタイルのようだ。
このように大変手間のかかる提供方式なので、予約には最低16人が必要なのだろう。
以下、お粥をおいしくするために登場した豪華な具の数々である。
そろそろ鍋の中は最高の海鮮粥に育っただろうというタイミングで、恐るべき具が登場した。A5ランクの和牛である。海鮮からの急な肉。なんて贅沢な継投だろう。
この肉ならお粥よりもすき焼きで食べたいと正直思ったが、あえてお粥にすることに意味がある。隠し味は背徳感。
これがメインの具なのかと感心していたら、なんとまだまだコースは続くのだった。
普通の鍋なら野菜がたくさん入るけど、これはあくまでお粥なのでここまで魚介と肉のオンパレード。
きっとそういう料理なのだろうと思わせておいて、最後に野菜が追加された。ベジファーストならぬベジフィニッシュ。
こうして我々のお粥は完成形へと向かうのであった。
こうして高級食材のエキスを吸いまくったお粥は、米粒の存在がまったくない。ザルで濾したら何も残らないくらいの液状だ。とろみのある汁。
ここに中華粥の具として定番の油条(揚げパン)をたっぷりと入れたら、最後に散らすのはこちらも中華粥にお馴染みの干し貝柱。
この鍋の中身がお粥であることを完全に忘れさせておいて、いやいやお粥ですからと強引に引き戻す展開がドラマチックすぎる。
二時間以上を掛けて豪華食材の旨味を吸わせまくったお粥を、お奉行様に取り分けていただく。
スープを吸いまくった油条を口へと運ぶと、なんだこれはと驚かざるを得ない濃さの旨味が口の中に溢れまくった。
ぜんぜんお粥ではないけれど、とにかくすごい。油条が液体状のお粥をひとまとめにしてくれるからこその力強さだ。これが一万円の毋米粥なのか。
これぞダシの足し算、もはや掛け算。パンパンに詰まった胃袋の隙間に、すべてを受け止めた粥が染みていく幸せにうっとり。
ものすごく多角形かつ多重奏な味わいで、最初は野菜が持つ優しさ、そして肉類の重厚さ、最後に魚介の鮮やさと、不思議と時間を遡るように味の情報が舌へと伝わってくる。
ここまで食べた全部の具がおいしかったけれど、やっぱり主役は最後のお粥だと言い切りたい。すべてはお粥へのプレリュード(前奏曲)。
すべての伏線がきれいに回収されている物語のような一杯。きっと具を入れる順番や組み合わせには、調理人が培った哲学や歴史の裏打ちがあるのだろう。
よく考えると鍋の締めに食べる雑炊を楽しみにするのと似た話なのだが、締めから逆算してコースを組み立てているスタイルが新鮮で、炭水化物好きとしては勉強になりまくる経験だった。
この記事を書くにあたって写真と感想メモを見返しながら、ずいぶん贅沢な体験じゃねえかと過去の自分を羨ましく思った。
一万円のお粥だなんて恐れ多いですよと断らなくて本当に良かった。お粥が育つ過程をリアルタイムで楽しめるエンタテイメント性が最高。
またお粥の会に誘ってもらえたら、最後にライスを注文して「おかゆライス(有米毋米粥)」にしたいと思う。
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