東京23区にも意外と茅葺古民家は残ってる
実をいうと、今回調べるまで東京23区内に茅葺古民家が現存することを知らなかった。しかも結構な数が残っており、またそれぞれ地域の人々によって活用されていることも知ることができた。
古民家は使用されている部材も立派なものばかりなので(特に良い感じに曲がりくねった梁とか)、もし身近に一般公開されている茅葺古民家があったら、訪ねてみてはいかがだろうか。
言わずもがな、東京といえば江戸時代は将軍のお膝元であり、 現在も日本の中枢を担う大都市だ。
特に東京23区は都心や副都心はもちろんのこと、それらを取り囲む地域も住宅地や商業地として多大に発展してきた。
しかしながら、かつて江戸城下の周囲には農村が広がっており、東京23区内にも往時の風情が偲ばれる茅葺の古民家が残っているのである。
東京23区のうち現在も茅葺の古民家が残っているのは、かつて江戸の近郊農村であった地域にあたる計9区の11箇所である。
残っている――と言ってもさすがに今も人が住んでいる現役住居というワケではなく、文化財として保存され、一般公開されている古民家である。
11箇所に残る茅葺古民家(赤色のピンが今回訪れた箇所)
この地図を見ての通り、茅葺古民家は江戸の城下町であった東京都心を取り囲むように分布している。かつて江戸の周囲には、農村が広がっていたことが良く分かるというものだ。これらの村々において生産されていた野菜などの農作物が、人口100万人を超えていたという江戸城下の食卓に彩りを添えていたことだろう。
今は都心・副都心と共に発展し、現代的な街並みが広がるこれらの地域に茅葺の古民家が存在するというのは少し不思議な感じがするが、そこにある古民家を見て回ることで、かつての江戸の姿をよりリアルに感じ取ることができるのではないだろうか。
というワケで、東京23区に残る古民家を巡ってみた。
まず最初に訪れたのは、世田谷区の次大夫堀(じだゆうぼり)公園である。江戸時代の初頭に小泉次大夫という人物が農業用水を確保するための掘を造成したことから名付けられたそうだ。名前の由来からして農村にゆかりのある公園である。
成城学園駅から電動アシスト付き自転車で10分足らず、次大夫堀公園に到着した。この公園の敷地内に民家園があり、計3棟の茅葺古民家が周辺地域から移築・保存されている。
この古民家は江戸時代後期に築かれたもので、次大夫堀公園の近所である喜多見地区から移築されたものだ。
街道が交わる位置に建っていたとのことで、農業を本業としながら酒屋も営んでいた半農半商の家だったそうだ。なので東側は店の構え、南側は農家の構えとなっている。
うん、実に特徴的で興味を惹かれる古民家だ。いきなり良いモノを見せていただいた感じであるが、まだ茅葺古民家巡りは始まったばかり。次の古民家を見てみよう。
こちらの古民家も江戸時代後期に建てられたもので、喜多見地区の東側にある大蔵地区から移築されたものだ。
村の長にあたる名主(なぬし、関西では庄屋と呼ばれる)の家だそうで、それにふさわしく規模の大きな住宅である。
多摩川と荒川の間に広がる武蔵野台地では、江戸時代後期から明治時代にかけて養蚕が盛んであった。
絹を生み出す蚕は屋根裏で育てるのだが、煙に弱く、なおかつ温度と湿度に敏感なので、このような煙出し櫓を設けることで煙の排気と換気を行い、蚕が育成しやすい環境を整えていたのだ。
旧安藤家住宅と同様、屋根の棟に煙出し櫓を備えており養蚕をやっていたことが分かる住宅だ。一般の農家でも主屋を改造してまで行っていた養蚕は、さぞやうま味のある副業だったに違いない。
発展著しい東京23区内にあることもあって、正直言ってあまり期待せずに訪れた次大夫堀公園であったが、これが想像していたよりずっと楽しく、つい長居をしてしまった。
地域の古民家をただ移築しただけではなく、昔の農村風景をできるだけ再現しようとしているところが素晴らしい。
また古民家のガイドや修繕などのボランティア、藍染や糸紡ぎ、ソバ作りなど様々な活動も行われているようで、地域の方によってしっかり活用されているのも印象的であった。
続いての2箇所目は、同じく世田谷区にある岡本公園である。最寄り駅は東急の二子玉川駅であるが、次太夫掘公園からもそう遠くないので引き続きシェアサイクルを利用した。
この茅葺古民家は江戸時代後期のもので、岡本公園がある岡本地区の東側に位置する瀬田地区から移築されたそうだ。
現在は茅葺の補修のため、周囲に足場が組まれている。なんでも費用の問題で全面の葺き替えは難しく、特に痛みが酷い部分を補修しているそうだ。職人さんは群馬県から2時間かけて通っているらしい。
昔は村の人々で行われていた茅葺屋根の葺き替えも、今では担える人が少ない専門職である。
3箇所目は目黒区にあるすずめのお宿緑地公園だ。最寄り駅は東急東横線の都立大学駅。二子玉川駅から電車を乗り継いで訪れた。
この付近は昔から竹林が広がっており、無数のスズメが住み着いていたという。朝になるとスズメが飛び立ち、夕方になると群れを成して帰ってくることから、いつしか「すずめのお宿」と呼ばれるようになり、それが公園の名前にも受け継がれたそうだ。
この古民家は現在地より南西に位置する緑が丘1丁目から移築したそうである。建造は江戸時代中期と非常に古く、村方三役のひとつ年寄(名主の補佐)の家であった。
4箇所目はずずいと北上して杉並区、京王井の頭線の永福町駅に近い和田堀公園に位置する郷土博物館である。
お目当ての茅葺古民家は郷土博物館の建物内を通って行ける場所に位置している。入館料は100円。館内には杉並区が江戸の近郊農村だった頃の展示もあるので、なかなかに興味深い内容であった。
この古民家は江戸時代後期の建造で、杉並区北部の下井草にあったものを移築したという。本百姓(自分の土地を持つ農家)の典型的な主屋とのことで、当時における農民生活の様相を知ることができる。
最後の5箇所目はさらに北上して練馬区、石神井(しゃくじい)公園に隣接する池淵史跡公園である。最寄り駅は西武池袋線の石神井公園駅であるが、杉並区~練馬区は電車だと遠回りになってしまうのでシェアサイクルを利用した。
またこの池淵史跡公園には石神井公園ふるさと文化館という博物館的な施設も隣接されており、やはり練馬区が江戸の近郊農村であった頃の展示を見ることができる。
特に練馬の名物である練馬大根についての展示には結構なスペースを割いていて見応えがあった。
さて、肝心の古民家だ。 ここに移築されているものはより都心に近い練馬区南東部の中村地区にあったもので、建立年は明治20年代の初頭と今回訪れたものの中では一番新しい。しかしながら部材の一部は江戸時代の古材を使用しているという。
実をいうと、今回調べるまで東京23区内に茅葺古民家が現存することを知らなかった。しかも結構な数が残っており、またそれぞれ地域の人々によって活用されていることも知ることができた。
古民家は使用されている部材も立派なものばかりなので(特に良い感じに曲がりくねった梁とか)、もし身近に一般公開されている茅葺古民家があったら、訪ねてみてはいかがだろうか。
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