特集 2025年3月14日

神社に一泊参籠(さんろう)する

社寺に泊まり込んで心身を清め、祈願を行うことを参籠という。外界とのつながりを断ち内省を深める行為はそもそもあらゆる宗教に見られるもので、海外ではリトリートと呼ばれたりもする。

きっかけがあるような、ないような、精神修行に励みたいという気持ちがふと湧いてきたので試しに一泊だけ参籠してみることにした。

1993年生まれ。京都市伏見区出身、宮崎県在住。天性の分からず屋で分かられず屋。ボードゲームと坂口安吾をこよなく愛している。

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参籠あれこれ

伊勢の神宮では日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)という祭典が毎日行われていて、奉仕にあたる神職は前日から参籠することになっている。この祭典は神様に神饌を供するもので、外界に汚されていない清浄な者がお供え物を調理するというわけだ。

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神饌の例

重要な祭典に奉仕するにあたって、神職が神社に泊まり込んで身を清める。現代の神社に残る参籠と言えば、先の神宮の例のようなものが多い。神職ではない身で日常的に参籠を行うということはあまり考えられない。

それはそうなのだが、神職を務めるわたしの祖父は心を病んだ方をよく神社に泊めていた。神社の境内という特殊な環境に身を置くことで心身の回復を促すためのものだろう。これも参籠のひとつの形である。実際のところ、それで効果があったという話を聞いた。

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祖父が神職を務める高千穂町内の神社。ここに泊まります

して、今回筆者が取り組むのは自らの精神修行としての参籠である。

わたしの人生における目標は輪廻から脱して生まれ変わらないことなので、神様と近い距離で過ごすことでより深い寵愛を受けて力を貸してもらおうという魂胆だ。

20代の頃は解脱のことばかり考えていた。解脱しないと何回も生まれ直さなきゃいけなくて面倒くさいじゃないですか。ほら、輪廻から出られたら二度と歯磨きしなくていいんですよ。

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インドの宗教団体の僧侶にわたしも解脱できますかと質問しているところ

俺なりの参籠行法

夕刻、仕事から帰ったあと風呂に入って身を清めて参籠を行う神社にやってきた。

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ほら、推しの子に出てきたりアンミカさんの崇敬が篤いことで有名ないつもの神社ですよ。今回の参籠は特別な許可(じいちゃんにお願いした)を取ったもので通常は受け付けていません。
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すでに眠そうなのは5時半起きで眠いからですね

今回の参籠は特定の行法に基づくものではないので、なにをするかしないかは自分で好きに決めることにした。そうは言っても今まで見たり聞いたりしたことを土台にする。実際に取り組もうとしていることをまとめておこう。

【俺なりの参籠行法】
・食を慎む(豚と牛を食べない)
・できるだけテレビやYouTubeから離れて「独り」の時間をつくる
・午前2時に祝詞をあげる
・祝詞を上げるときは狩衣を着る、それ以外のときは白衣袴で過ごす
・神前にあたっては直感をもとに祈りを捧げる
・炒り米を作って神前に供え、そのお下がりを食べる

以上である。なかなかいい線いっているだろう。行法にYouTubeが出てくるのが現代に即している。さあ、宗教よ、現代(いま)に即せ!!!

さて、夜の神社で何をしよう

空が暗くなってきたころ、神社で仕事をしていた祖父が家に帰って神社でひとりになった。

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ナイトモードでうまく捉えられなかったUMAみたいな祖父を見てください
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夜の間は灯籠が灯るので怖くないです

夜の境内を恐ろしく感じるかと思っていたが、特にそうでもない。怖いことがあるとすれば巡回で警察がやってくるだとか、普段しない物音を心配して近所の人が様子を見に来るだとか、そういう類いのことだ。人嫌いここに極まれり。とても落ち着く。

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御朱印の印押しでもしようか

2時に祝詞をあげること以外は特に何も決まっていないので、目下、御朱印の印押しをすることにした。当社は職員が常駐していないのでもっぱら紙に印を押したものを頒布している。目の前の作業に没頭して時間を忘れつつ、それが神様のためにもなるんだからこんなにいいことはない。
そうなのだ。「時は金なり」、「金は命より重い」とも言うが、限りある一生のなかで一分一秒でも多くの時間を神様に捧げようとする意識は尊いですよ。時間も立派なお供えものです。常在神前、常に神を想いさえすればいい。さっそく悟りを得た。

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他には宗教の本を読んだり

食もインターネットも慎まない

お腹が空いてきた。朝は何も食べておらず、昼もご飯にきな粉をかけただけ。実は参籠をする日の朝に読者の方からシュウマイの差し入れをいただいたのだが、行に反するので我慢している。

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ありがとうございました!引き続き、会えるDPZライター窪田をどうぞよろしくお願いします
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昼はきな粉ごはん。頑なに。

最後まで食を慎む予定だったのだが、祖父が神社に置いてあるカップ麺を食べていいというので結局食べてしまった。

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豚汁うどんです

種々のラーメンから選び放題のところ、なんとなく慎んでるっぽい雰囲気のうどんを選択して少しばかりの抵抗をした。がっつり豚肉が使われている。

そもそも、カップうどんを食べたくらいで衆生を見放すような神をぼくは信じられない。あるいは祖父にカップ麺を勧めさせたのも神のはたらきの一部であるからして、これはまったく問題にならないのである。おいしくいただきました。

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スマホも手放せず女の子にDMを送ったりしていて、食もインターネットも慎めてないです

参籠・丑の刻の神事

そうこうしているうちに2時が近づいてきた。眠たい。自撮りをすると青白い。きっと慈しんでもらえることだろう。準備万端だ。狩衣を着よう。

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着た
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事前に作っておいた炒り米を夜食としてお供えしよう

神社での祭典は参拝者さまの願い事を申し伝えるためのものが多く、個人として自身の崇敬の念を表したりすることはあまりないことに気づいた。今回は思いの丈をぶつけよう。

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神様への一拝からはじまり
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大麻と塩湯で自分の身を清める
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本殿の御神体のすぐ前にお供え物をして、祝詞をあげる
いったん広告です

祖父が神職を務めるこの神社は御本殿の扉を開けていることが多く、御神体である神像を間近で見られるようになっている。祈祷を受ける方が本殿の中に入ることはもちろん、テレビカメラと芸能人が立ち入りさえする。これらは一般的な神社では超ド級のNG行為である。

その常識はそれとして、姿かたちのある人格神を信仰するなら神像を目の当たりに拝むことは健全だとも思う。社殿の扉をじっと見つめて神を愛せますか?心の底から?それはよっぽど位の高い聖者の御業でしょう。わたしにはどうしても難しい。

というわけなので神像の真ん前で祈りを捧げます。

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小さな灯火のなかで祝詞を上げた

神道の作法に則り祝詞をあげたあと、心身を神様にすべてお任せして神事に奉仕し、本殿をあとにした頃には1時間が経っていた。意識はハッキリある。神様から歓迎されているという実感を得た。

神様からいただいた言葉を手に残したので共有しておこう。

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「ちつりがもち」

そのあとは数時間だけ寝て、翌朝ははやく起きて境内の掃除をして帰った。いい体験をしたと思う。

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お邪魔しました

本殿で起きたこと

最後に、本殿の中での1時間で起こったことを覚えている限りで書き記しておこう。記事中に収めるにはどうも支離滅裂になってしまうので後回しにしました。

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作法通り祝詞をあげたあとは無性に額づきたくなり、笏を持って頭を下げたままの姿勢でじっとしていることにした。心地がいい。続けていると、意識とは裏腹に体が小刻みに揺れはじめる。なにかを求められているのかと思い「これでよろしいのでしょうか」と心のなかで尋ねると、自分の首が問いを肯定するかのように縦に激しく揺れる。ははあ、そういうコミュニケーションね。続けて「そろそろ(お供え物の)炒り米を召し上がりますか?」と質問したところ、今度は首が横に振れた。米はまだなのか。頭を下げる以外の作法を知らないので「猿田彦大神、天之鈿女命、八百万神等、祖霊神等」とひたすら神の名を唱える。首が縦に振れて、これが正解らしいことを悟る。称名をひたすら続けていると体の揺れがおさまり、今度こそ炒り米を献ずる時間が来たと思った。米を盛った器を手に取り、数体の御神像すべての口元に差し出していく。それが済んだあとすぐさま自分も米を食べた。特に何も感じない。また頭を下げていると徐々に手が硬直していき、体に内蔵があることをふと感じる。言葉とも声とも言えないうめきが自分の口から漏れ始める。飽きっぽい神様は歌を求めているのかもしれない。うめきに節を付けて歌詞が「うう…」とか「あう…」だけの歌を歌う。音域が普段より低い。大きい声を出すと人が来るかもしれないので遠慮がちな声量。まだそういう意識はある。なんだか間抜けな歌が自分で可笑しくなってきて笑う。泣きはしなかった。「もうこのへんでよろしいでしょうか、まだ先がありますか」と尋ねる。
首が横に振れたので続ける。まだ先があるんだ。称名をつづける。特に何も起きないが、神様に身を委ねる感覚は深まっていく。「そろそろ下がりますね」。こんどはそう宣言して退下することにした。立ち上がって退こうと扉に手をかけたところで、最後に二礼二拍手一礼の作法で挨拶をしたほうがいいとなんとなく思う。実際にそうする。首が上を向いて口を開けさせられ、月見団子のような球体が御神像のある方向から次々に口に放り込まれる感覚を得る。玉入れ感覚でやってんじゃないかな。団子は飲み込む間もなく喉を通って腹におさまる。「もう腹いっぱいですよ!なんですか!これはモチですか!」首が横に振れる。「モチじゃないんですね!」首が縦に振れる。「じゃあなんですか!」。自分の口から「ちつりがもち」という言葉が途切れ途切れで漏れ、うつろな意識のなかでその言葉を手のひらにメモする。「やっぱりモチじゃないですか!笑」首が縦に振れる。モチなんかい。あとから調べたらそんな言葉もモチもなかった。「今度来るときは朝がいいですか?」小さい肯定。「昼ですか?」否定。「夜ですか」激しい肯定。わかりました。そうして本殿から離れ、最後に拝殿から一礼をすると最後にもう一つモチを放り込まれた。おおむね、歓迎とみていいだろう。

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編集部からのみどころ
最後の部分は窪田さんが経験したことの記録です。そのときの臨場感を表すために改行なしで入稿されたので、行間もいつもよりちょっと狭めてぎゅっとした感じにしました。 (林)

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