特集 2025年3月14日

20年以上住んでいる月島・勝どき界隈の見どころ、そして諸行無常を紹介したい

月島・勝どき界隈に住み始めて23年ぐらい経った。もはや故郷の鳥取県倉吉市に住んでいた期間(20年)より長くなった。

2002年に引っ越してきた当時は、戦前に建てられた長屋がいたるところに残るレトロな雰囲気が濃厚にただよう、渋い下町だった。が、ここ20年で見違えるほどに変わった。

そんな月島勝どき界隈を紹介したいと思う。

鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

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勝鬨橋に触れないわけにはいかない

「勝どき」という地名は、勝鬨橋が由来となっている。

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勝鬨橋です

改めて説明することもないと思うけれど、勝鬨橋は国指定重要文化財の橋梁で、かつては真ん中の橋桁が持ち上がり、バンザイをするような形で開いていた跳梁橋だ。

橋が架けられたのは1940(昭和15)年で、今から85年前。当時、晴海で開催予定だった「日本万国博覧会」のメインゲートとして架橋された。(この万国博覧会は日中戦争の激化により中止となった)

勝鬨は戦いに勝ったときにあげる鬨(とき)の声のことだが、なぜこんな名前がついたのか。

それは、勝鬨橋の架橋からさらにさかのぼること1905(明治38)年。日露戦争で旅順要塞が陥落したことを記念して、当時の京橋区(現中央区)の区民の寄付で作られた渡し船に「勝鬨の渡し」と名付けたことが由来となっている。

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2025年の築地市場跡。読売新聞がここに巨人の球場作るとか言ってます
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2018年、築地市場が取り壊される前

勝鬨の渡しは現在、築地の波除神社のある辺りから、勝どき1丁目と3丁目の間あたりまでを結んでいた渡し船だ。

日本橋から魚河岸が移ってくるより前、幕末から明治時代にかけての築地には海軍の施設が集中しており、築地は海軍の町だった。その海軍が活躍して勝利した戦いを記念して「勝鬨」という名前を冠した渡し船を作った。これが巡り巡って、今はこの「勝どき」が地名や駅名として残っている⋯⋯というわけだ。

ちなみに、このあたりの住居表示が「勝どき」となったのは1965(昭和40)年からで、それまでは全て月島だった。

勝鬨橋は、近くで見るとリベット接合のリベットがゴツゴツしており、大変かっこいい。

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リベット接合が無骨でかっこいい
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眺めのよいデニーズがある

勝鬨橋の勝どき側に、隅田川ビューのデニーズがある。 

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日本一眺めのいいデニーズ

このデニーズ、マンションの2階部分にあり、隅田川と勝鬨橋を眺めながら食事ができる。

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隅田川と勝鬨橋ビューの座席

コロナ禍前までは24時間営業だったので、夜中に夜食を食べに行くついでに、パソコンを持ち込んで仕事などをしていたけれど、最近は深夜営業を取りやめているようだ。

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焼き鮭定食、600ぐらいだった

橋の上を忙しなく行き交う自動車と、橋の下をゆっくり進む船を眺めつつ、600円ほどの鮭定食を食べる。

今は朝だが、夕方や夜に来ると、ライトアップした勝鬨橋がとってもきれいにみえる。こんなに眺めがいいファミレスはなかなかないと思う。

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勝鬨橋かっこいいな

しかし、ここで皆さんに大変残念なお知らせです。このデニーズ、2025年3月23日で閉店となってしまいます。

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閉店のお知らせ

この店舗が入っているマンションが建て替えとなり、取り壊されるため、閉店するのだという。

妻と一緒に来てご飯を食べたり、まだ子供が小さかったころにハンバーグを食べに来たりした思い出の多いデニーズだが、無くなってしまうらしい。 

もし、行くなら今のうちに行っておいたほうがいい。

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