京都市伏見区ざっくり紹介
伏見は京都市の南部に位置していて、京都市内のなかでもっとも人口が多い区である。
最初に紹介することが頭数の多さっていうのもなんか嫌だな。ええと、ほかには歴史!誇れる歴史だ!
ごっついところで言うと、伏見は秀吉が居城を築いた地なのだ。安土桃山時代の「桃山」の由来となった場所は伏見にある。ごっつい。今回調べてはじめて知った。

ここからは歴史・地理・文化にあんまり興味がない筆者がイチオシする伏見のスポットを紹介していこう。
「あいやまたれい!!」の看板
実家の最寄り駅のすぐ近くに好きな看板がある。


浮世絵の横に「あいやまたれい!!」という文言が書いてある。直接的な表現を避けて何かを伝えてくるのが京都っぽくていい。
よくよく見れば放置自転車を戒めるものだということが理解できるのだが、子どもの頃は本当に意味がわからなかった。

数十年前、この駅前にはおびただしい数の自転車が放置されていた。それはもうすごい量で、全部溶かして固めたら京都タワーになるほどだった。
駐輪場が整備されてからは放置自転車をめっきり見なくなったが、看板だけは大々的に残っている。今となってはかなり難解だ。京都の人間はこうやって遠回しな表現を学んでいく。

大きく描かれた絵は東洲斎写楽の『三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛』が元ネタだろう。
赤丸で示した箇所は原画だと「丸十に鬼」の紋が入っているが、この看板では駐禁マークに改変されている。歌舞伎の悪役が「チャリの駐禁」の紋つけてたらおもろすぎるって。

駅を挟んでニュータウンと農地
近鉄の向島(むかいじま)駅から東西を望むと変わった景色が広がっている。
駅を挟んで東側はニュータウンとして開発されている一方で、西側には広大な農地が広がっている。その落差がいい。


今ではすっかり干拓されているが、この辺りはもともと巨椋池という巨大な湖が広がっていた。そのため「向島」や「槇島」など島がつく地名が現在でも残っている。
そういった背景を持ち、古い建造物等がないことからニュータウンを造成するにはうってつけだったのだろう。

ランドマークは歴史のない城
伏見区内のいたるところから、山上に建つ城の姿を見ることができる。

これは昭和時代にオープンした「伏見桃山城キャッスルランド」という遊園地の模擬天守なのだ。鉄筋コンクリート構造で清々しいほどの歴史のなさ。
遊園地そのものは債務超過8億円で閉園となり、城は耐震強度の不足で中には入れないが、現在でも近くまで行くことはできる。久しぶりに見てこよう。

なんとなく侮っていたが、近くで見るとでかくてかっこいい。
建物としての歴史がないうえに立ち入ることもできないので誰も見に来ていない。かろうじて犬の散歩をしている人がいるくらい。僕はこういう日陰者に同情してしまう。がんばれ伏見桃山城。

ここが遊園地だった頃はお正月に書き初め大会が開かれていたらしい。その大会に参加した方によると、課題の文字として『伊勢志摩』があったとのことである。
伏見桃山城キャッスルランドは近鉄グループが運営していた。そう!課題の字は近鉄で伊勢志摩観光に行かせようとする刷り込み工作だったのだ!
以上、京都の人から聞いた話でした。