マイマイカブリという昆虫について
採集に出かける前に、マイマイカブリという昆虫について簡単に紹介しておこう。
カタツムリ(マイマイ)の殻に頭を突っ込んで中身を食べてしまうことが、この虫の一番の特徴だ。
「マイマイを頭にかぶる」なのか「マイマイにかぶりつく」なのか、正確な由来は今となってはわからないが、印象的なのはその身も蓋もないネーミングである。もし同じような基準でパンダの種名が決定されていたら、「上野動物園でササノハモグモグの赤ちゃんが誕生!」などという見出しが新聞を飾っていたかもしれない。
ともかく、カタツムリ偏食家のマイマイカブリの体は、胸部と頭部が細長く伸びた、甲虫としては変わった形をしている。この体形が多くの昆虫ファンを魅了してやまないのである。
マイマイカブリが人気の理由は他にもある。
まず、世界中で日本にしか生息していないから、海外で珍重される。
次に、マイマイカブリは日本各地で細かい亜種に分かれているため、採集場所によって色や形が微妙に異なるバリエーションが無数に存在する。これがまた、マニアの蒐集欲を刺激するのだ。
秋はマイマイカブリの旬
長崎港から船に揺られること約4時間、五島列島最大の島である福江島に上陸した。10月中旬のことである。
昆虫採集というと、夏真っ盛りの暑い時期を思い浮かべる人が多いだろうが、マイマイカブリに関して言えばそれは当てはまらない。この虫は暑いのが苦手で、真夏の間は暑さを避けて休眠してしまうほどなのだという。
とはいえ、いくら涼しいのが好きと言っても、11月に入るとさすがに冬眠してしまうだろう。
10月中旬というのは、ギリギリのタイミングだったのである。
予約してあったレンタカーを受け取り、事前にグーグルマップで目星をつけてあったポイントの周辺を散策する。
山間部の道路を車で走ってみて、これは場所探しがなかなか難しいぞと思った。情報収集している段階で気づいてはいたが、福江島の山は植林された杉林が多い。マイマイカブリの採集に適した雑木林がなかなか見つからないのだ。
福江港に上陸したときすでに夕方の4時を過ぎていたので、日が暮れるまであまり時間の余裕はない。贅沢は言ってられない。道路脇の杉林のすみに、申し訳程度に残されたクヌギや樫の木の林があったので、そこを最初の採集ポイントとすることにした。
マイマイカブリ採集には、落とし穴を使う
やみくもに野山を歩き回っても、マイマイカブリに遭遇することはめったにない。
ではどうやって採集するのかというと、落とし穴を設置するのだ。ピットフォール・トラップと呼ばれる、地上を這い回る昆虫を採集するためによく使われる手法である。
マイマイカブリをはじめとするオサムシ科の昆虫は、羽が退化していて飛ぶことができない。だから、地面にコップを埋め込んだ落とし穴を作って中に餌を入れておくと、匂いにおびき寄せられて穴に落ちた彼らはそのまま出られなくなってしまうのだ。
今回は、巨大マイマイカブリを確実に捕獲するために、大型のプラコップを奮発した。
木の根や石ころが埋まっている山の土を掘り返すのは容易ではない。コップのサイズが大きくなれば、穴掘りの苦労もそれだけ増すのだが、それもこれも念願の巨大マイマイカブリを手に入れるためだ。そう思えば、手にも力が入るというものだ。
マイマイカブリには他のオサムシ科の昆虫同様、樹液や腐った果実などに集まる性質がある。カタツムリだけを食べているわけではないのだ。そこで、カルピスや酢などの甘酸っぱい匂いのする液体を落とし穴の底に垂らしておくわけだ。
20個ほどコップを設置したところで、日が落ちて周囲は真っ暗になった。ただでさえ明かりの少ない離島のこと、山沿いの道に街灯などあろうはずもない。
「もっとコップを埋めたいよう」という謎の欲求不満を残して、今夜はひとまず撤収。
初日の晩はマイマイカブリは入らず、代わりにオオオサムシが大量に穴に落ちた
夜明けとともに起き出して、トラップを設置した地点を目指す。
昨夜は、地面に埋まったコップにマイマイカブリがポトポトと落ちるさまを夢に見ながら寝たわけだが、さてさて現実はどうだったか。
1つ目のコップを覗きこむと、なにやら黒い虫がもぞもぞと動いているのが見えた。おお、これは!急いでピンセットで穴から摘まみ出す。
オオオサムシは、マイマイカブリと同じオサムシ科に属する昆虫である。ただし、こちらはマイマイカブリと違ってカタツムリ偏食家ではないから、その他大勢のオサムシと同じでずんぐりとした体形をしている。
目当ての虫ではなかった。けれど、これはこれで幸先は悪くない。落とし穴トラップは、一晩待ってもなにもかからない完全な空振りのことだってあるのだ。
それに、確認すべきトラップはまだ20個近く残っている。そのうちのどれかにマイマイカブリがかかっていることを期待して、どんどん先に進もう。
2つ目のトラップは空だった。
3つ目のトラップには、なんとオオオサムシが3匹もかかっていた。
4つ目のトラップには、またしてもオオオサムシが1匹。
…………
なんと、トラップにかかっていたのは1匹の例外もなくオオオサムシばかりだった。その数、21匹!おおよそコップ1個につき1匹のオオオサムシが入っていたことになる。大漁だ!大漁旗を掲げよ!
コップの壁面に体を押し付けてジタバタともがくオオオサムシの集団がたてるカサカサという音を聞きながら、腕を組んで考え込んでしまった。
トラップにどんな虫が落ちるかは、半分は運頼みのようなところもあるので断言はできないが、同じオサムシ科の昆虫でも、マイマイカブリとオオオサムシでは好む環境が違うのかもしれない。
余談だが、コップの中にオサムシを入れておくと、ときどきコップの壁を這い上がって脱出に成功するものがいる。そういうときは
「お、よしよしお前はなかなか根性があるな」
などと言って、指でつついて再び底に落とすのだが、壁を上まで登ってくるのは例外なくオスである。
これは、上の写真のようにオスの前足がメスのそれに比べて太く、吸着力が高いからで、じゃあなんでオスだけ上等な前足を持っているのかというと、交尾に際してメスをしっかりと抱えておくためだとされている。
子孫を残すという目的のためだけに肥大した前足が常に視界に入るのだから、オサムシのオスもなかなか辛かろう。
マイマイカブリのいそうな場所を求めて、山の奥へ
最初のポイントはこれ以上粘っても望みが薄そうなので、オオオサムシを全て逃がしてコップを回収し、別の場所を探すことに。
昨日と違って時間はたっぷりある。林道を歩いて山の中に入ってみることにした。
さすがにある程度山の中に入ると、広い雑木林が残っていた。ひと安心だ。それに、意識して地面を見ると、そこかしこにカタツムリの殻が落ちているではないか。中身をマイマイカブリに食べられたのか、単に自然死したのかはわからないが、餌になるカタツムリが豊富だということはわかった。
「うん、ここしかない」
思い切って、持っていた130個のコップをすべてここにかけることにした。場所を決めて、全てを設置し終わる頃には夕方になっていた。
トラップに虫がかかるのを待つ間、夜の側溝観察
夜、なんとなく眠れなかったので山間部の側溝を覗いて歩いてみることに。
山の中を通る道路の脇に設置された側溝は、生き物観察の穴場である。
不注意で側溝に落ちた動物が、出口を探してさまよっていることがあるからだ。
ついに、アイマイカブリが!
待ち遠しい夜明けがやってきた。
これでマイマイカブリが落ちていなければ、遠く五島までやってきてただ穴を掘ったり埋めたりしただけのことになってしまう。
それだけは勘弁してほしい!と祈るような気持ちでコップを覗き始めたら、なんと5つ目のコップで早速目当てのマイマイカブリがかかっていた。前回と打って変わって、あまりにあっさり捕まったので拍子抜けしてしまった。
そして、一歩遅れて喜びがこみ上げてきた。念願の福江島マイマイカブリを捕まえたぞ!
定規で測ってみたら、頭から尻の先端までで62mmあった。
初めてみる大きさに興奮がおさまらない。しかし、福江島のマイマイカブリは大きいものだと70mm越えもあるそうだから、最大級になるとこれよりもさらに1cmも大きくなるのか......にわかには信じがたいことだ。
一通り観察してから、残りのコップの確認に戻る。すると、なんとその次のコップにも1匹が落ちているではないか。開始早々3匹も捕まえてしまったことになる。ひょっとしてこの山、マイマイカブリだらけなのでは?
「山ほど採集できたら、小さめのは逃がしていいやつだけを持って帰ろう」
などと「捕らぬ狸の皮算用」ならぬ「捕らぬマイマイカブリのサイズ算用」をしていたのだが、結果的から言うとそのような計算は無用だった。
驚くべきことに、残り124個のトラップには成虫のマイマイカブリは1匹もかかっていなかったのだ(幼虫は1匹だけかかっていた)。これには背筋が寒くなった。ほんの少しトラップをかける地点をずらしていれば、完全な無駄足になっていたかもしれないのである。
マイマイカブリ以外にはサワガニやセンチコガネ、そしてお約束のオオオサムシなんかがトラップにかかっていた。
なお、マイマイカブリを3匹捕まえる間に、オオオサムシは合計で50匹近く捕れている。同じオサムシ科なのに、その生息数の違いに驚く。
私が遭遇した範囲では、福江島のカタツムリのサイズが特別大きいということはないようだった。なのに、マイマイカブリだけが大型になるというのは、なんとも不思議な話だ。
福江島の変わった生き物は巨大マイマイカブリだけではなく、フクエオカナブンというとんでもなく綺麗な虫がいたり、ハチクマという猛禽の群れが飛来することもあるという。見てみたい。
関西と福江島を往復するだけで、この記事を書くことでもらえる原稿料が吹き飛んでしまうほどの出費なのだが、にも関わらず私はこの島を再訪する日を夢見てやまないのである。