「幸せなら手をたたく」について考える
手をたたきながら歩いてみた結果、あの曲は「手をたたくことで幸せな気持ちを伝えようとしている」のでは、という結論に至った。
「幸せ→手をたたく」 というメッセージが成立していれば、表情や声の調子で感情を伝えにくい状態にあっても、他人にその気持ちを伝えられる。
そしてそれはひとつの提案であって、強制している訳ではない。
幸せを伝えることに意味があり、方法や状態はどうあってもでもいいのだ。
「幸せなら手をたたこう」、広い世代に親しまれている童謡だ。タイトル通りの内容で、曲中では「幸せなら態度で示そう」と提案までされる。
私はこの曲を聴く度に疑問を抱いていた。
ただ手をたたいたところで幸せを示しているように見えない。
一体どんなたたき方をすれば、幸せに見えるのか。幸せを示すにぴったりな手のたたき方とは。
これを見つけるためにさまざま方法を試し、ついには旅に出た。
なお、記事中ではこの動作を「拍手」と区別するために「手たたき」と表記する。
正直、企画を始める前は軽く考えていた。
あらゆる方法で手をたたけば、試行錯誤のなかで納得できるたたき方がすぐ見つかるだろう、と。
正直、どのパターンもそこそこに幸せそうに見える。しかし、なんとなくそれらしく演じているような気がして納得がいかない。
この日は一日中手をたたいてみていたが、動作や場所の違いに意味は無いと感じた。
そもそも私は普段からそれなりに幸せなのだ。少なくとも不幸ではない。そのため幸福度の振り幅が狭く、幸せをうまく表現できないのかもしれない。
ここでひとつの仮説が立った。
辛い状態から幸せな状態へと移った時に手をたたけば、最高に幸福を態度で示すことができるのではないか。
幸せを示すにふさわしい手の叩たたき方を探し始めて4ヶ月が経ったころ、友人からハイキングの誘いを受けた。道のりは約100km。熱海から新宿まで歩くハイキングである。
100km歩いた経験は無いが、考えなくても辛いのはわかる。ゴールの際には達成感も強そうだ。「幸せなら手をたたこう」を試す絶好の機会じゃないか。
それに、もしかしたら歩いている途中に「幸せなら手をたたこう」にふさわしい幸せがあるかもしれない。ハイキングの合間も幸せを感じたら手をたたいてみよう。
そして4月上旬、我々は熱海駅に降り立った。
二日かけてゴールを目指す。土日の休暇を活用するために、スケジュールは金曜夜から組まれた。
ただ歩きに熱海に来るという行為は、仕事帰りというのも相まって少しむなしい。
Google MAPで調べてみると、熱海駅から新宿駅までの所要時間は21時間40分。
一日目は海沿いを歩いて宿を目指し、二日目には神奈川をななめ横断して新宿へ向かう予定だ。
時間も距離もたっぷりあるぶん、きっとつらいことがたくさんある。逆に言えば、幸せを感じるタイミングもたくさんありそう。存分に態度で示そうじゃないの。
軽くストレッチをし、日付が変わるとともに出発だ。
遊園地の「コーヒーカップ」に乗った直後のような、うっすらとした不安と、わくわくする気持ちを感じながら進む。
5kmも進まないうちに真っ暗になった。ヘッドライトを消すと歩けないほど暗くなる。
闇が深くなると、怪談話で盛り上がった。「ターボババア」という車と並走するおばあさんの話だ。
昼間ならジョークとして話すような内容だが、本物が現れそうな道を歩きながらだと、背筋がスーッとした。
じわじわと体を浸食するような恐怖感と、歩く楽しさが入り混じる。これも一種の幸せな状態な気がして、手をたたく姿の撮影を友人らに頼んだら「変なものが写ったらどうするの」と嫌がられた。
恐怖が勝ってしまいそうなので「変なもの」とか言わないでほしい。
出発からおよそ2時間、神奈川県 河原町に到達した。初めて来た町なのに懐かしいような、人間の気配にほっとする。
暗くて人気のない道を歩いてきた分、人里感がうれしすぎてニコニコしてしまう。すでに大冒険を遂げたような気分だ。
もうここがゴールでいいんじゃないか……そんな気持ちが過ぎるが、熱海駅からまだ7km程度しか進んでいない。
真鶴駅に着いたタイミングで雨が降り始めた。雨量も風もそれなりだったため、雨具を羽織って先に進むことに決めた。
雨のなか夜道を歩く気分は最悪だが、このハイキングは不幸と幸せを味わう旅。運がいいとも言えるかもしれない。
雨は大したことはないものの、先ほどのような夜景は見えず、車通りもほとんどない。たまに通り過ぎる車はかなりの速さでビュンと消える。
ほとんどの時間、トンネルのような暗闇に囲まれることになった。
真鶴駅を出て約2時間。ある変化に気がついた。ライトで照らさなくても周囲が見える。日が昇り始めたのだ。
永遠のように感じた道のりが少しずつ変化し、やさしい陽の光と爽やかな朝風に緊張の糸がほぐれていく。
進めば進むほど歩ける横幅は広くなり、人が住んでいる気配も強くなると、周りを見る余裕も戻ってくる。
ここまでで見られなかったものを見つけるたびに、その新たな発見の喜びを参加者同士で共有し合う。深夜いらいの「目に写るものすべてが嬉しいタイム」だ!
熱海から約20km地点、小田原市早川に入り、ようやく休憩できるスペースにたどり着いた。嬉しい。嬉しいのだが、体が鉛のように重いし眠い。
私が5歳児だったらとっくに横になっている。
手をたたきたい気持ちよりも辛い気持ちの方が勝っている……ここが今回の幸せ振り幅の最低地点なのだと噛み締めた。
小田原駅方面へと進む午前7時過ぎ、突如砂漠のオアシスが如く営業中の飲食店が現れた。ファミリーレストランだ。
一晩中歩き続けて干からびかけた我々は、相談しあう間もなく吸い込まれるように入店した。客はまばら、店員さんものんびりとした様子。しっかり休憩が取れそう。
小倉トーストをひとかじりした途端、ぼんやりした頭の体にやさしい甘味が染み渡る。
ドリンクバーのホットコーヒーとの組み合わせも最高。紅茶やココアでもいい。もはやなんでもいい。
「おいしい」気持ちを越えて幸せがやってきた。ひなたぼっこしながらウトウトしている時のような多幸感。
この日の目的地は、宿を予約した茅ヶ崎。小田原からの距離はおよそ30kmあり、休まず歩いても6時間はかかる。
道中に観光も楽しみたいところだが、寄り道している暇はない。
そう思っていた矢先、気になる建物が現れた。
気になる、気になり過ぎる。誘惑に負けて、少し立ち寄らせてもらった。
こちらはういろうの元祖であるお店で、昔ながらの薬屋さんを兼ねており、博物館も併設しているようだ。じっくり楽しみたいけど……名残惜しみながらういろうを1本だけ購入。
ういろうのおかげで気分が上がり、歩きながらも風景を楽しむ余裕がでてきた。
小田原市小八幡に突入。海沿いの街ではあるものの、建物に囲まれて海はほとんど見えない。
きれいに舗装された道をぼてぼて歩いていると、一行のなかから突然「砂浜に出たい」という意見が出た。
タイミングが悪く、ここから砂浜に出るには500mほど引き返さなければならない。
先に進みたい戸惑いをよそに、空気は砂浜に向かうモードになっている。正直一歩でも余計に歩きたくない気分だが、ういろう屋さんに寄ってもらった私に拒否権はない。
砂浜を楽しむメンバーを遠目に見守る……家族の買い物に同行するお父さんになった気分だ。
待っているあいだに疲労と睡魔で溶けてしまいそうで、気を紛らわすために、参加者の一人である、ライターのりばすとさんに手をたたいて幸せを表現してもらってみた。
「ほっとした。よかった〜」という幸せを表したらしい。
正直見た目からその気持ちは読めないが、本人がそう言うのだからそうなのだろう。
そうこうしているうちに正午はとっくに過ぎていた。予定時間は押しているが、無理をしても速度は上がらない。
通りがかりで見つけた二宮町のレストランで昼食と休憩をとることに。
営業中の飲食店がなかなか見つからず、やっとのことでありついた昼食だったが、これが最高だった。
こんな時くらい欲張ってもいいだろうと選んだ豪勢なランチプレートは、うますぎて脳天を揺さぶった。
あふれるよだれを二口目、三口目でせき止める。一口食べる度に体が大絶賛している。
陽が傾き始めるとじっとりとした暑さが引き、重たかった体がいつの間にか軽くになった。
脚が機械じかけになったように自然と動き、どこまででも歩いていける気さえしてくる。気分もとても晴れやかだ。
ここからは自由時間。お風呂に入り、ご飯を食べ、睡眠をとっただけだが、これがはちゃめちゃに幸せだった。
特に夕食のデリバリーピザは、脳を突き抜けるような異様なおいしさで「体を動かしたあとの食事はうまいという説に本当だったんだ!」と当たり前のことにもよだれを垂らしながら感動した。
天国は茅ヶ崎にあるのかもしれない。
ハイキング2日は朝から出発。休んでいたい気持ちを切り替えて新宿を目指す。
軽い筋肉痛はあるものの、ケガはなく問題なく歩ける。このままゴールしたい。
この道は平坦で歩道もあり、おだやかだ。安心感があるものの、正直似た風景が続いていて進んでいる気がしない。退屈に思えてしまう。
さらにルート上のお店は車関係やコンビニがほとんどで、しっかり落ち着けるスポットが無い。じわじわと気力と体力が削られる。
横浜市瀬谷区に入ると、ここまで歩いてきた道には見られなかったレストランやカフェが見られるようになった。ようやくの休憩だ。
参加者全員、満身創痍。飲食店の快適な店内でおいしい食事をとったが、幸せを態度で示す余裕は残っていなかった。
休憩を終え、再び歩き出すこと2時間。時刻は19時を回っていた。
ここまで粛々と歩いてきたが、かなり予定時間を押している。日中には到着する予定だった新宿まであと約20km、さらに半日歩かなければならない。
ここで、新宿への到着は無理だという意見が出た。ゴールできたとしても、そこから家に帰るのが厳しい段階に入っていたのだ。参加者たちの翌日の予定に影響を及ぼすのは避けたい。
一人でも歩ききりたい気持ちだったが、女一人での夜道は危険だということで却下された。妥協したくはなかったが、仕方ない。
話し合いの末、約7km先の新横浜駅へのゴールの変更が決まった。
22時45分。茅ヶ崎からおよそ30km、熱海からだと80km。
妖怪こなきじじいを背負っているかのような重い体をひきずり、ついに新横浜駅に到着!
当初予定していた新宿に行けなかったのは残念だが、手のたたき方を探るには距離と達成感は十分だった。
ぼろぼろの自分たちとは違い、さっそうと駅を歩く人たちが輝いて見える。エスカレーターや歩く歩道といった、この二日間避けていた移動設備が便利すぎて夢のマシーンのよう。
電車に乗ろうものなら新横浜から新宿まで1時間で行けてしまう。足だと半日かかるというのに!
日常では当たり前の便利な乗り物を利用して、改めて幸せを噛み締め帰路についた。
手をたたきながら歩いてみた結果、あの曲は「手をたたくことで幸せな気持ちを伝えようとしている」のでは、という結論に至った。
「幸せ→手をたたく」 というメッセージが成立していれば、表情や声の調子で感情を伝えにくい状態にあっても、他人にその気持ちを伝えられる。
そしてそれはひとつの提案であって、強制している訳ではない。
幸せを伝えることに意味があり、方法や状態はどうあってもでもいいのだ。
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