薪から虫を見つけて焼いて食べるという行為は、両親が子供の頃にタイムスリップしたような、なんとも不思議な気分だった。
慣れない肉体労働の結果、首、背中、肩、腰と満遍なく強烈な筋肉痛になったが、薪割りからのカミキリムシ焼きを体験できて本当によかった。肩甲骨の裏がまだ痛いけど。次は自前のナタとピンセットを持っていきます。
私の両親は長野県の山間部出身なのだが、子供の頃に食べたというおやつの話がずっと気になっていた。それは薪割りをしたときに出てくるカミキリムシの幼虫だ。
食糧難の時代に、父と母はどんな気持ちでそれを食べたのだろうか。他に食べるものがないから仕方なくなのか、あるいは意外と楽しみだったのか。
そんな追体験がしたくて、長野に住む友人に頼んで薪を割らせてもらった。
薪を割る前に、改めて母親からカミキリムシの幼虫を食べた話を聞いてみた。
母:「カミキリムシの幼虫はゴトウムシと呼んでいた。昔はお風呂でも米を炊くでも、なんでも薪だったから、大人が薪割りしていると横で待っていて、割るとたまに出てくるんだよ。大きさは子供の小指くらいで、焼くとビューンと伸びて、はぜる。中は白くてミルクみたいだった。タンパク質だよね。おいしかったよ。
薪は雑木林からとってきたクヌギとか。丸太にしてその辺に転がしておいて、冬の準備で割ったから、夏から秋が多かったかな」
母親が語るおいしかったという感想には、「ゲテモノの割には」とか「食べ物がない時代だから」といった注釈付きのニュアンスは一切なく、慣れ親しんだ味として純粋に懐かしがっているようだ。
ちなみに私が子供の頃に田舎へいくと、おじいさんがとっておきのハチの巣を採ってきて、その幼虫を食べさせてくれた。そういう地域のお話です。
「あとよく食べたのは、養蚕をしていた地域だからカイコのサナギ。3個食べると卵1個分の栄養だって、イナゴみたいに甘辛く煮つけて出された。臭くなくておいしかったよ。ザザムシは食べなかった。あれは伊那の方だけなのかな。
これは私が大人になってからだけど、カイコが食べるクワの木に害虫の黄色いカミキリムシが大発生して、退治のために市とか村が買い取っていた」
へー、である。外来種のクビアカツヤカミキリに懸賞金が掛かったというニュースを昨年みたけれど、昔も似たような話があったのか。
母親は身近な存在過ぎて過去の話とかをあまり聞いたことがなかったが、知らないことがたくさん出てきた。父親はだいぶ前に他界しているのでもう聞けない。ちゃんと聞いておけばよかった。
ずっと薪を割ってカミキリムシの幼虫を食べてみたいと思っていたのだが、なかなかそのチャンスはなかった。おそらく20年くらいは機会を待っていたと思う。薪ストーブを使っている友人なんて近くにいないし、いたとしても薪は割られたものを買ってくる時代だ。両親の実家だって、もう薪は使っていないだろう。 森や林で朽木を割れば出てくるだろうが、それは何か違うのだ。
いつか機会があったらと常に思いながらも、そんな機会はないんだろうなと諦めかけていたのだが、昨年知り合ったダイちゃんがたまたま長野県への移住者で、丸太はいっぱいあるから好きなだけ割ってもいいよといってくれた。一緒に虫は食べないけどね、と。
これは運命の出逢いだよねということで、そろそろ雪が解けたかなという3月下旬に、さっそく伺わせてもらった。もし今回失敗しても、雪が降るまでに何度でも通ってやろうというくらいに気合が入っている。
まだ残雪が少し残るダイちゃんの家を訪れると、新しい斧とチェーンソーを準備して、薪割りが得意な友人と一緒に出迎えてくれた。
地元の人に聞いた話だと、夏になるとプリプリに大きな幼虫が出てきて、中でもクリの木に入ったやつが一番うまいとか。いまどきの若い人は誰も食べないそうだが。
積んである丸太はカラマツだそうで、クヌギでもクリでもない針葉樹。ダイちゃん曰く、これにもたぶんいるとは思うけれど、気にしていないからよくわからない、らしい。
まずは薪割のお手本を見せてもらったのだが、パコーンパコーンと割ってみると、なんと一本目から幼虫が見つかった。
えー、いきなり!
お借りしたタコ焼き用のピック(フッ素コーティングの鉄板用)で引っ張り出すと、ずんぐりむっくりで肩幅が広く、頭が埋まった独特の体形をした幼虫が出てきた。3センチ程とちょっと小さいけれど、これぞまさしくカミキリムシの幼虫、両親が食べていたゴトウムシだ。
神様、夢って叶うときは一瞬なんですね。
※似たような虫でもカミキリモドキの一部など有毒の種類もいます。特徴を確認してから捕まえました。
ダイちゃんから斧の使い方を教わって、私も薪を割らせてもらった。
いや薪を割らせてもらうというか、カミキリムシの幼虫を探させてもらう。
薪割りと幼虫探しは同じことなのだが、目的がここまで違うというのがおもしろい。薪を割ってほしい友人と虫が食べたい私、これぞウィンウィンの関係である。
実際は私みたいな素人に薪割りを教える方が、自分で割るよりもずっと面倒なんだろうけれど。ダイちゃん、ありがとう!
期待を込めて振り降ろした斧は、丸太を割るには至らず、しっかりと刺さって抜けなくなった。薪割りあるある、らしい。恥ずかしい。
気を取り直して振りかぶる。ダイちゃん曰く、コツはまっすぐ真下に振り降ろして、斧の重さを丸太に伝えること。手前へ引くように振って外すと、冗談抜きで足が割れる。
何度か叩くと二つに割れたので、断面をチラチラ確認しつつ、さらに細かく割っていく。
薪としては細すぎるくらいに割ったところで、プックプクに膨れた幼虫を発見。「いたー!」って声が出てしまうくらい嬉しい瞬間だ。
薪の断面に幼虫を見つけたら、ナイフなどで丁寧に周囲を掘って、潰さないようにそっと取り出す。この流れが予想よりもずっと楽しい。
やったことはないけれど、岩の中から珍しい鉱石や化石を探すのにも似た喜びだ。これぞ食べられる宝探し。
とても楽しい。この作業には自然の中から食べ物を採るという原始的な喜びが詰まっている。ただ薪割りをしながら幼虫を探していると、いちいち手が止まるため効率がとても悪いので、割る人と探す人は分担したほうがよさそうだ。
おそらく両親が幼い頃も、薪割りをしている大人の横で片付けのお手伝いしながら、幼虫が出てきたらそれをもらって、焼いて食べるという感じだったのかな。
もちろん幼虫のいない丸太も多いのだが、その時の徒労感は半端ない。だがダイちゃんから「虫じゃなくて薪にするのが本来の目的だから!」と言われて考え直す。そうだ、この労働は決して無駄にならないのだ。
でもやっぱり私は幼虫を見つけたい。薪割りを続けていると、丸太の脇に穴が開いていたり、フラスと呼ばれる食べカスが見られれば、お宝が潜んでいる可能性が高いことがわかってきた。
冷静に考えれば当たり前のことだが、薪を作ることだけが目的の薪割りであれば、気にしなかった違いだ。経験によって自然から食べ物を得るための解像度が上がったことが嬉しい。どうせならと虫的にポテンシャルの高そうな丸太を選んで割らせていただく。
こうして二時間ほどの労働で手に入ったのは、15匹ほどの小さな幼虫と、真冬なら4~5日分の薪。もう少し欲しいけれど、これ以上がんばると怪我をしそうだ。
幼虫探しを食材調達と考えたら、消費カロリーに対して得られる栄養が少なすぎるので、やはり薪割りのオマケなのだろう。
森に転がっている天然の朽木を壊して集めるのでなく、どうせ燃やされる運命の薪から幼虫をいただくというのが素晴らしいじゃないか。
薪割りは一人でやると全然おもしろくないので、虫目当てでも誰かが側にいることは、気持ち的にも助かるそうだ。
もし私が両親と同じ世代、同じ環境に生きていたら、薪割りのサポートは一番好きなお手伝いだったと思う。
山奥に引っ越す機会があれば、薪ストーブは絶対に用意しようと心に誓った。
さて問題は味である。木を食べる幼虫はおいしく、土を食べる幼虫はまずいという経験則から、おそらくカミキリムシはおいしいはず。白くてプックリしているので、母親が語るミルクみたいな味というのも期待できそうだ。
幼虫を入れた瓶を嗅いでみると、脂の多いナッツや炒り胡麻のような香りがした。いわゆる虫っぽくない匂いである。
この気持ちは伝わらないかもしれないが、こうなるともう食べる前からおいしそうに見えてくる。理想は炭火でじっくりとだが、今日のところはカセットコンロで焼いてみよう。
カセットコンロの直火が当たると、幼虫は一気に黒く焦げてしまった。急いで距離をとり直し、遠火でしっかりと焼く。
焼き方の問題なのか、母が語るようにビューンとは伸びなかった。
ようやくこの瞬間がやってきた。すごくドキドキしているが、不安要素は一つもない。きっとうまい。
両親の思い出の味、なにもつけずにそのまま丸ごと食べてみると、表面を焦がしたこともあり、クルミ味+鶏皮、松の実+ボンジリといった感じがした。
香ばしいタンパク質の皮に包まれた、動物性と植物性の中間みたいな脂質。あー、これはうまい。薪割りのお手伝いには最高のご褒美だろうな。おいしいことが、すごくうれしい。
今回はウェルダンに焼いたので、ミルク感よりも香ばしさが勝ってしまった。もっと大きな幼虫を焦がさずに焼けば、クリーミーな仕上がりになるのだろう。
最初はまったく食べる気がなかったダイちゃんもニシくんも、幼虫のうまそうな見た目と私の絶賛に興味を持ったのか、笑いながら食べてくれた。もちろん食べないのも自由であり、その時は私がおいしくいただくだけだ。
以前、長野でザザムシの取材をしたときに(こちらの記事)、「石をひっくり返して採ることは家族で楽しむレジャーだった」と地元の人に言われて、海辺の人が潮干狩りをするのと同じことだと膝を打った。当サイトでハチの子採りを習ったときも(こちらの記事)、夢中になれる遊びとしてやっていた。イナゴを採るのもそうだろう。
多くの昆虫食文化は、キノコや山菜と同じように、季節を感じながら採取すること自体にも喜びがある。貧しくて食べるものが他にないからだと決めつけると、営みの奥底にある源泉を見失う。いやいや採ったり食べたりしていた人もいるだろうけど、それがすべてではないだろう。
チンパンジーがアリ塚に棒を刺してアリを採って食べるのも、おそらく楽しいから。きっとそうだ。
今回の幼虫がちょっと小さかったのは、時期の問題なのか、あるいは種類の問題なのか、今後の追加調査が必要だ(すでにまた来る気になっている)。
私が食べた幼虫はどれもおいしかったが、別の人が食べた幼虫は一匹だけマツヤニ臭さがあったそうだ。これはカラマツ由来の臭味だろうか。
カラマツとタラノキから採れた幼虫を混ぜたのは失敗だった。クリの木の幼虫がうまいという話も気になる。動物でも昆虫でも食べているものによって味は大きく変わるので、今度は薪の種類ごとにしっかりと分けて食べ比べたいと思う。
薪から虫を見つけて焼いて食べるという行為は、両親が子供の頃にタイムスリップしたような、なんとも不思議な気分だった。
慣れない肉体労働の結果、首、背中、肩、腰と満遍なく強烈な筋肉痛になったが、薪割りからのカミキリムシ焼きを体験できて本当によかった。肩甲骨の裏がまだ痛いけど。次は自前のナタとピンセットを持っていきます。
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