冬でよかった
剥いた大根は、鍋に入れるなどしてせっせと消費している。食べても食べてもなくならないけれど、幸い気温が低く傷みが遅いので無駄にせずにすみそうである。冬にやって良かったと思った。
かつら剥きという野菜の切り方がある。刺身のツマなどを作るために、大根をくるくる回しながら薄ーく剥いていくあれである。料理漫画などで見たことのある人も多いと思う。
一見、素人にはとてもできそうにないかつら剥きだが、みっちり練習すれば、なんと一日でもできるようになるらしい。ライザップや睡眠学習法もびっくりなコスパのよさだ。
だまされたつもりで練習してみたところ、確かにかつら剥きのようなものができるようになったし、練習中は適度な緊張感がありとても充実していた。
かつら剥きは一日あればできるようになるのだ。
練習は、大根と包丁さえあれば始められる。「どうして今日までやろうと思わなかったんだろう?」と感じるほどハードルは低い。
さて、今日中にできるようになるのだろうか。
今回確かめたいこと
大根は、露店の野菜売りから買った。
デカい大根を2本も買い込んだ私を見て、野菜売りの親爺が
「レシピは何にするの?」
と聞いてきた。
「かつら剥きの練習をします」
と答えると、「へえ」というような曖昧な反応をされたので
「あ、でも最後はちゃんと食べますよ」
と付け加えておいた。嘘だと思われたかもしれない。
ネット上に散らばるかつら剥きのハウツーをざっくりと調べてみたところ、以下のような点に注意するとうまくいきやすいらしい。
他にも
というのもあったのだが、プロレベルの仕事はそもそも求めていないので今回はいつも使っている普通の出刃包丁を使うことにする。
かつら剥きの模範的なやり方は、本職の方々がYouTubeに素晴らしい仕事の様子をアップしておられるのでそちらを見ていただきたい。
ひょっとして初回からすんなりできちゃったりして。
そんな甘い見通しが脳裏をよぎる。その場合、うれしい反面、記事に書くことがなくなって困るだろう。どうしよう、そうなったら。
大根は、そんな甘えた妄想に喝を入れるかのように一瞬で千切れてしまった。あまりに細くて、白いまな板の上に置くとどこにあるかわからなくなりそうだったから、わざわざ色の濃い皿を持ってきてその上に載せた。
紺色の皿に半透明のひょろひょろが載った様子は、最近水族館で見た白魚みたいだと思った。
難しい。何が難しいかというと、要するに千切れさせずに剥くのが難しいのだが、その難しさを分解すると3つのことを同時にやらないといけないのが難しいんだということがわかってきた。
つまり
を同時にやらないといけないということだ。どれかを意識すると残りがおろそかになる。
これはマルチタスクの変化球なんじゃないだろうか。なんだか仕事みたいである。ちがうんだ。損得感情なしに、かつら剥きができるようになるかどうかを検証して楽しみたいんだ。
相変わらず5センチほど剥いては千切れを繰り返していたが、時おり写真のように20センチくらいの長さまで到達できるようになった。
目覚ましい進歩があったわけでもないのに、やっているとだんだん楽しくなってきた。思えば、日常生活で反復学習による上達というものを体験する機会が大人には少ないのではあるまいか。
薄く剥かれた大根が綺麗だったことも楽しさに拍車をかけてくれた。
大根は文字通り大きな根なわけだが、その大根の中に、地中を這う細かい根のような模様が走っている。世界の複雑さのようなものを感じて、手の上に広げて眺め入ってしまった。
「手のひらを太陽に 透かしてみーれーばー♪」
ならぬ
「手のひらで大根を 透かしてみーれーばー♪」
である。
余談だが、かつら剥きを始める前に切り落とした大根の葉を水に浸けておいたところ、しおれていた葉が張りを取り戻して見事に再生したので感動した。
大根も、私と同じように生きているんだなあと思った。
そんな、とりとめのないことを考えているうちに、一つ目を剥き終わった。
炎天下で溶けて傾いた三角コーンのようないびつな形の芯が手の中に残された。同じ厚さできれいに剥いた場合、あとにはきれいな円柱の芯が残されるはずなので、いびつな芯はかつら剥きがうまくできていないことの証拠なのだが、ある種の達成感が胸に残った。
モチベーションを維持するためには、上達を目に見える形で表現することが大切だ。かつら剥きは、剥いた大根を並べたものがそのまま棒グラフになって成長が可視化される。ここまでわかりやすいものが他にあるだろうか。
とりあえず、上達はしている。
しかし二本目を剥き終わった時点で体には心地よい疲労感と集中力の余韻が残され、普段しない動きをしているので手が少し痛かった。指には大根の匂いがしみついていて、肉が柔らかくなってしまうのではと不安になった。
一日練習すれば......と言うけれど、人間の集中力と忍耐を過大評価しているような気もする。
手を切ると嫌なので集中力が切れたところでやめようと決めてさらに練習することに。
このへんになると、だんだんやりやすい持ち方などがわかってくる。
さて、ハウツー記事の書き方からすると
「こういう工夫をしたら劇的にうまくできるようになりました。みなさんも試してみてくださいね!」
というようなTipsがあるといいのだが、そういうのは特に見つからなかった。
結論から言うと、なぜだかわからないがある瞬間を境に急にうまくできるようになったのだ。
かつら剥きの神様が背中を押してくれたのだろうか。八百万の神の七百五十万番目くらいにそういう神様がいたっておかしくはない。
そう信じたくなるくらい、唐突にできるようになったのだ。
できることが増えるって素晴らしい。
何かを習得するのには1万時間の練習が必要、という法則があるそうだが、大根のかつら剥きに絞ってみればこの日実際に練習に費やした時間は、休憩の時間などを抜いたら3時間くらいだったと思う(そのへんが集中力の限界だったともいえる)
こんなにおてがるに達成感が味わえるなら、毎週末.....はさすがに無理にしても、毎月一つくらいはなにかを習得したいと思うくらいだ。
わかったこと
そう、考えないようにしていたけれど、かつら剥きを練習するとあとには大根が大量に残されることになる。机の上に白くてピラピラしたものが大量に残されたところは、祭りというかパーティーのあとといった趣があった。
近所にウサギかリクガメを飼っている人がいないか、本気で聞いて回ろうかと思ったほどだ。
剥いた大根は、鍋に入れるなどしてせっせと消費している。食べても食べてもなくならないけれど、幸い気温が低く傷みが遅いので無駄にせずにすみそうである。冬にやって良かったと思った。
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