キラリナ京王吉祥寺がオープンした
今年の4月、東京・吉祥寺のユザワヤ跡地に「キラリナ京王吉祥寺」が開業した。
キラリナです
たいへんキラキラしております
最近の商業施設らしく、大変きれいでピカピカしていた。
それはいいんだけど、ぼくが注目したのはその名前だ。正直なところ、キラリナ、おまえもか、と思った。
次の表は、最近オープンした商業施設の名前と開業年だ。
最近こんなふうに、日本語をもとにした造語で、カタカナ4文字くらいっていう名前の商業施設が増えている。
ぼくが一番印象に残っているのはヒカリエだ。
渋谷ヒカリエ
一時期、当サイトの編集部もここに入っていた。今はもう慣れたが、開業当時は「ヒカリエって!」というくらい名前に違和感があったのを覚えている。
この流れはせいぜいここ数年のことだと思う。少なくとも1970年代以降、日本の複合商業施設の名前は英語が主流だった。
中野サンプラザ(1973年)
六本木ヒルズ(2003年)
30年間変わらなかった「サンプラザ」の波が、ここ数年で急速に「ヒカリエ」化しているように感じる。
それは本当なのか?「ヒカリエ」化の端緒はいったいどこからなのか?次のページで1970年以降の変遷を年表にまとめてみました。
商業施設名の年表
1970年ごろからの商業施設の名前をまとめてみた。
主な商業施設名の年表
カタカナ部分の色分けは、赤が英語、緑がフランス語などラテン系言語、青が日本語だ。
するとざっくり、初期の英語時代、中期のラテン時代、後期の日本語時代に分けられるように思う。一つずつ見てみよう。
英語時代
1960年から2003年までは、主に英語かそれをもとにした造語が多い英語時代だ。
例:高田馬場ビッグボックス(1974年)
横浜ランドマークタワーや恵比寿ガーデンプレイスなど、どこに出しても恥ずかしくない英語ビルのひしめくなか、たまに日比谷シャンテ、ラフォーレ原宿などのフランス語が混じるというのがこの時代の感覚だ。
「光が丘IMA」は1987年にあってすでに日本語を取り入れている点を特筆したい。光が丘団地の真ん中にあり、IMAは「今」であり、練馬(NERIMA)の語尾でもあるというイカした名前だ。
この時代は2003年の「六本木ヒルズ」でいったん終わりを迎える。
ラテン系模索時代
2004年から2008年までは、英語からはそろそろ脱却したいけど、さりとてどうしようと模索している時代だ。
年表から抜粋
core(核)+edo(江戸)=COREDO日本橋、のような英語+日本語のパターンや、ラゾーナ川崎のようなスペイン語、丸の内オアゾのエスペラント語など、いろいろなパターンが試されている。
錦糸町オリナス
個人的には、2006年の錦糸町オリナスがこの後に続くヒカリエ系の端緒だと思っている。オリナスが開業したとき、オリナス=織り成す、という語感をオシャレととるべきかダジャレととるべきかの間で脳がゆれ、ぎりぎりダジャレ側に倒れる感じだったのを覚えている。でも今は慣れた。
日本語時代
錦糸町オリナス、有楽町イトシアの流れを受け、もらったとばかりに日本語に流れ込むのが2008年から続く日本語時代である。
年表から抜粋
2008年の赤坂サカスで、もはや流れは確定した感がある。オシャレとダジャレのはざま問題も、うまくオシャレ側として受け取ることができるようになってきた。
赤坂サカス
ここでは、語源を日本語の古語にもとめた「あべのハルカス(=晴れ晴れとさせる)」や、2014年でも周りに左右されず「ヒルズ」を貫く森ビルの一貫性を特筆したい。
「イーアスつくば」は実家の近くにあるのだが、まさか「いい明日」とかかっているとは気づかなかった。若干ダジャレ側である。
もしも池袋サンシャインが現代に作られていたら?
データをなぞるのはいったん休憩して、ちょっと空想してみたい。
もしも1978年の池袋サンシャインシティが現代に作られていたら、どんな名前になっていただろうか?
池袋サンシャインシティ
きっと日本語風のカタカナ4文字になっていただろう。サンシャイン=日照り、ととらえればたとえば
みたいな名前になっていたかもしれない。そうするとサンシャイン通りはヒデリオ通りってことになる。
もうちょっと続けてみよう。ラフォーレ原宿は1987年だけど、これが現代だったらどうか?
ラフォーレ原宿
なんていう名前だったかもしれない。H&Mの隣はモリナス原宿である。
最後は毛色がだいぶ変わって「江戸城」がもしも現代に作られていたらどうだったか? これはもうシンプルに、
が、かっこいいんじゃないだろうか。ちなみにこれは当サイトライターの大北さんから頂いた案である。
これらは他愛もない空想だけど、もし今の「ヒカリエ」化が続くなら、将来こういう感じの施設が着実に増えることになるんじゃないかと思うのだ。
ヒカリエ化の端緒について
いつから「ヒカリエ」化が始まったかについては、2007年の有楽町イトシアとする説のほか、2004年のビビット南船橋に起源を求める説もある。
しかしぼくとしては2006年の錦糸町オリナスを推したい。それは、錦糸町にオリナスを生み出すだけの素地があったからである。
英語時代の年表、再掲
日本におけるいわゆるショッピングモールの始まりは、1969年の玉川高島屋ショッピングセンターだと言われている。
その当時の商業施設の名前は、ショッピングセンター、ジョイナス、サンプラザ、ビッグボックスと、典型的には英単語2語の組み合わせだった。
そんな状況において、玉川高島屋より8年も早い1961年に錦糸町は「錦糸町テルミナ」をすでに持っていた。英語 Terminal をもとにしたとはいえ、カタカナ4文字の造語を名づけるセンスは時代を先取りしていたと言えるだろう。
錦糸町テルミナ(1961年)
そして2002年にはオリナスにつながる重要な商業施設「アルカキット錦糸町」が誕生する。
アルカキット錦糸町(2002年)
公式には説明されていないが、これが「有るか、きっと」のもじりなのは明らかだ。
これでピースは揃った。テルミナの持つカタカナ4文字造語のセンス、アルカキットの持つ日本語名(ただしダジャレ側)のセンス。錦糸町はこの二つを同時に持っていたのだ。そして2006年、「錦糸町オリナス」は誕生した。
錦糸町オリナス
なんで日本語?
なんで日本語なのか、については年表にあるようなトレンドの変遷、それから分かりやすさがあるんだろうと思う。
錦糸町のくだりはかなりの部分が思い込みだけど、ホントにそうだったらいいなあ。