なめながら歩きたい
取材当時は緊急事態宣言が発令されており、外出がままならぬ時期。
観光地やショッピングセンターも休業しており、日世さんにとっては「工場」が閉鎖された状態だった。「いつでも納品できる体制は整っています」と松島さんは言っていた。
街は徐々に以前の様子を取り戻している。そこに早く「ソフトクリームを買ってなめながら歩く」という光景も戻ってきたらなと思う。

取材協力:日世株式会社
ステイホーム中に恋しくなった食べものがいくつかある。そのひとつがソフトクリームだ。さすがにご家庭で再現できないから。
その「ソフトクリーム」、実は和製英語だ。そして「ソフトクリーム」という言葉は、日本に初めてソフトクリームを広めた会社が作ったという。
一体どういうことなのか、ソフトクリームの作り方から歴史まで全部聞いてきた。
その会社こそ、日世株式会社。「ソフトクリーム」の名付け親であり、国内唯一の「ソフトクリーム総合メーカー」だ。
社名にピンとこなくても、このキャラクターを見たら「あぁ~!」って言うはず。
行楽地のお土産屋や、高速道路のサービスエリアで見覚えがある人も多いだろう。うちの子供に見せても「あぁ~!」ってなってた。
このキャラクター(ニックン&セイチャン)は1950年代から使われているそう。それほど歴史ある企業である(その歴史は後ほど)
いったいソフトクリームは年間どれくらい作られているんだろう?
……と、聞いてみたかったのだが、松島さんは「うちはソフトクリームの製造販売はしていないんです」という。
ソフトクリーム総合メーカーだけど、ソフトクリームは作ってない……? 高度な謎かけ……?
松島さん:いえいえ、弊社が提供しているのは、製造機(フリーザー)と液体原料(ミックス)、可食容器(コーン)などです。これらを用いてソフトクリームを作るのは、あくまで販売店なんですよ。言うなれば販売店は「アイスクリーム工場」でもあるんです。
一般的なアイスクリームは、工場で生産され、溶けないように運ばれて、お店で売られている。それを僕らが買って、溶けないように運んで帰り、冷蔵庫から出して食べる。
対して、ソフトクリームはお店で作られ、ハイと渡されて、すぐに食べる。つまりソフトクリームとは「工場でできたてのアイスクリーム」なのだ。
松島さん:コンビニでもサービスエリアでも、ソフトクリームを作って売る場所は「アイスクリーム工場」ですから、飲食業の許可とは別に「アイスクリーム類製造業の許可」を取るよう求める保健所もあります。こうして「できたて」をお届けできることが、ソフトクリームの一番の特徴だと思っています。
日世さんが「ソフトクリームを作っていない」という意味はもうひとつある。
レバーを引くとクリームがニュ〜っと出てくるあの機械(フリーザー)、あそこの下にコーンを構えてグルグルすれば「ソフトクリーム」になる。
でも、容器に落とせばパフェにもサンデーにもなるし、メロンソーダに落とせばフロートになる。
全て「ソフトクリーム」になるとは限らないのだった。
松島さん:なので、「年間どれくらいのソフトクリームを作っているか」という質問には、正確にお答えできないんです。仮に、ソフトミックスが全てコーン盛りにソフトクリームに使われたとするなら、2億9千万食相当になりますね(※2018年の調査結果)
総合メーカーということもあり、フリーザーのメンテナンスも日世のお仕事。コールセンターは24時間365日受け付けており、修理が必要となれば代替機も用意する。手厚い。
だって「工場」が止まったら一大事だから。
もうこの時点で、ぼんやり浮かんでいたソフトクリームの概念が崩れつつある。あのお店もこのお店も、「工場」だったのかと。
ソフトクリームを作るには、フリーザー、ミックス、コーンの3点セットが必要で、日世はこれを全て国内で製造販売している。
ホームページを見ると、ソフトクリームミックスにはめちゃめちゃ種類がある。バニラだけでも8種類。なんでバニラだけでこんなにあるんですか?
松島さん:白いミックスで「白物」と呼んでいますが、全てバニラではないんですよ。バニラの香料が入っているものが「バニラ」で、入っていないのは「ミルク」。あとは乳脂肪分や味の濃さなどで種類が分かれています。
さっき「全てソフトクリームになるとは限らない」と言った。パフェに使う場合、バニラが強いソフトクリームを使うと、フルーツよりバニラの香りが勝ってしまうこともあるそう。用途や要望に合わせ、これだけ種類が増えたのだという。
そして、「白物」に対して色がついたミックスは「色物」と呼ぶそう。またひとつ、世界を切り分ける言葉を知れて嬉しい。
松島さん:色物の一番人気はチョコレートで、その後は抹茶、ストロベリーと続きます。チョコも3種類、抹茶も2種類揃えてますね。
そういえば、バニラとチョコが絡み合った「ミックスソフト」ってある。あれはどうやって作ってるんだろう。なにか特別な仕掛けが……?
松島さん:それはフリーザーの仕組みをご覧いただくとわかるんですが……
松島さん:フリーザー本体には、液状のミックスがタンクに保冷されていまして、「シリンダー」と呼ばれる部分にソフトクリームが出来上がった状態で満たされています。
松島さん:レバーを倒してシリンダーからソフトクリームを取り出すと、取り出した分だけミックスタンクからミックスが充填される仕組みです。充填されたミックスはシリンダー内で冷凍されながら攪拌されて、ソフトクリームになります。
レバーをグッと倒せば、倒している間じゅう星形の穴からソフトクリームがニュ〜っと出てくる。こうやって「できたて」のソフトクリームがこの世に誕生する。
ただ、これだと1種類の味のソフトクリームしかできない。
フリーザーには、タンク&シリンダーを2つずつ備えた「ダブル機」もあるのだ。ダブル機なら、複数の種類のソフトクリームを1台で作れる。こっちがバニラで、こっちがチョコ、というように。
松島さん:ダブル機は最終的な「出口」が3つあります。真ん中の出口は両側のシリンダーにつながっていて、2つの味を合流して1本にするんですよ。ミックスソフトはそれを巻いているだけ。
「複雑に絡み合っているように見えますが、仕組みは単純なんです」と笑う松島さん。今度ミックスを頼む機会があったらまじまじと見よう。
ところでソフトクリームの「コーン」、トウモロコシのコーン(CORN)だと思っている人も多いのではないか。
松島さん:あれは円錐のコーン(CONE)です。「三角コーン」のコーンと一緒ですね。そもそもトウモロコシではなく、小麦粉でできてますし(笑)
日世にはコーンも種類がたくさんある。レギュラー商品で25種類、デザインや味が全部違う。そんなに。
松島さん:最近の主流は「ローレルトップ」ですね。1998年に生まれたもので、クリームが高級志向に変わってきたころ。それなのに昔ながらの古いタイプのコーンでいいのか、と、この造形が生まれました。
こうして比べるとだいぶ形が違う。こういう柄を作るのって、専門のデザイナーがいるんですか?
松島さん:設計者はいますが、デザイナーはいません。コーンを焼くときの生地の動きも計算に入れないといけないんですよ。生地は金型で挟んで焼くので、金型内で均一に伸びるよう柄を設計する必要があるんです。
タイ焼きを思い浮かべてみるといいかもしれない。生地を金型に落とし、挟んで焼くと、尻尾の先まで生地が伸びて魚の形になる。あのイメージ。
ソフトクリームのコーンも、柄をデザイン優先で考えると、先端まで生地が届かなかったり、厚みにムラが出たりするのだ。
コーンにメッシュの柄が多いのも、ひょっとしてそういう理由からですか?
松島さん:確かにメッシュ柄は生地が均質に伸びやすいのですが、歴史的な背景もあります。1904年のセントルイス万博で、円錐に巻いたワッフルコーンにアイスクリームを乗せて販売したことが、コーンの始まり。メッシュ柄は、そのワッフルの名残なんですよ。
あのメッシュ柄に100年以上前の歴史が刻まれていたとは……と震えたところで、いよいよ「ソフトクリーム」が誕生した歴史を振り返ろう。
……と、言っても実は詳細は「日世歴史ミュージアム」というサイトにまとまっている。「当社の歴史がソフトクリームの歴史」と松島さんが言うだけあり、ここを見ればソフトクリーム史がばっちりわかる。
なので、特に「へー!」となった部分をピックアップして松島さんにうかがった。
●「ソフトクリーム」という言葉を作った会社
もともと日世は「二世商会」という貿易会社。創業者の田中穰治氏がアメリカでソフトクリームが流行している、という情報をキャッチして、フリーザーを10台輸入したのが1951年のこと。
英語では「ソフト・サーブ・アイスクリーム(soft serve ice cream)」という名前なのだが、終戦直後で英語に馴染みのない日本人には難しいと判断し、「ソフトクリーム」と命名した。
日本におけるソフトクリーム誕生の瞬間である。
ちなみに、フリーザーの輸入に併せて、コーンやミックスも輸入した。しかしコーンは船便でボロボロに壊れていることが多く、いち早く国産に着手したという。
木箱を開けたらボロボロになっているコーン、目に浮かぶし切ない気持ちになる。
●第1次ブームの立役者は「蕎麦屋と力道山」
当初、ソフトクリームは百貨店の大食堂などに置かれた。かけそば1杯15円の時代に、ソフトクリーム1本50円。高級デザートである。
一方、1950年代といえば、人々が街頭テレビで放送されるプロレスに熱狂していたころ。みんなシャープ兄弟と戦う力道山に釘付けになっていた。
そこで東京下町の蕎麦屋も、客寄せのため店にテレビを置くようになる。
でも、プロレスが放送されるのは夜の20時。みんな夕飯を食べてから蕎麦屋に来ちゃう。肝心の蕎麦が全く売れない。
松島さん:蕎麦以外になにか売ろう、ということで、ソフトクリームを置いたんですね。お子さんにもどうですかと。すると飛ぶように売れた。蕎麦屋と力道山によって、ソフトクリーム第1次ブームができたと言われています。
この第1次ブームでフリーザーがガンガン稼働し、店側のメンテナンスがいい加減になってきた。輸入品で修理も難しいし、衛生面でも良くない。というわけで、フリーザーもミックスも国産に移っていく。
●第2次ブームは大阪万博の「2~3年後」
1970年の大阪万博では、太陽の塔の真正面に直営店を出し、会場全体には約200台のフリーザーが置かれた。ソフトクリームをなめながらパビリオンを回るのがトレンドに。
たちまちブームに……と思ったら、万博が終わった2~3年後に、全国でフリーザーの売り上げが爆発的に伸びた。なぜ「2~3年後」に?
松島さん:これは私見ですが……。第1次ブームは蕎麦屋だったので、都市部に限られていたんですね。万博は全国から人が来た。地元に帰った人が「こういう美味しいものがあった」と話をして、そこから広まったのではと考えています。
時代は高度成長期。全国にビルやショッピングセンターが建ち始めたころ。そこで「あの美味しかったやつ置こう」という発想になったのだろう。
万博が終わっても「あれは美味しかったなぁ……」という思い出がずっと残っているの、とてもいい話で気持ちがほっこりする。
全国区に広がったソフトクリームは、ドライブイン、ファミレス、コンビニ、サービスエリア……と、時代と共に販路が広がっていく。
そして「第3次ブーム」と言えるのが「ご当地ソフト」の登場だ。これも日世さんの戦略だったんですか?
松島さん:いいえ、私どもが仕掛けたわけではありません。先ほど申しました通り、販売店は「工場」。オーナーさんが「うちで売ってる抹茶を入れてみよう」など自分たちで工夫して、独自のソフトクリームを作り始めたんです。自然発生的に生まれたんですよ。
自然発生したとはいえ、それって「うちの機械に勝手に変なもの入れないでくれよ!」ってことになりませんか?
松島さん:もちろん、固形物や生もの、ハチミツみたいに粘性の高いものなど、入れてはいけないものもありますよ。でも、その地方のもので美味しいものができるなら、それでいいじゃないですか。結局ミックスもコーンも使うので、うちの売上も立ちますから。うちの抹茶ソフトより美味しいものができても、それはそれでいいんです(笑)
どうやってご当地ソフトを作っていいかわからない、という販売店には、デザートプランナーが相談に乗ることもあるという。過去には映画で使われる「蕎麦ソフト」を監修したこともあるそうだ。
第3次ブームまで来て、時は2010年代に移る。そこから最近に至るまで、ソフトクリームのトレンドはどうなっているのだろうか?
松島さん:プレミアムグレードの商品に注目が集まっていますね。2013年にはプレミアム生クリームソフト「CREMIA(クレミア)」を発売しました。乳脂肪分12.5%含有、生クリーム25%のプレミアム商品です。
CREMIAの誕生秘話もウェブサイトに詳細にまとめられているので是非ご覧いただきたいが、特に注目したいのはコーンの部分。これ、お菓子のラングドシャでできているのだ。そこにソフトクリームが「巻かずに」乗っている。
松島さん:開発担当曰く、最初に高級クリーム素材ができて、「これ巻くか?」って話になったそうなんです。巻いたら普通だなと。そこでフリーザーの出口を開発しなおして、ホイップが立つような形にした。すると今度は「これ既存のコーンに乗せるか?」となり、ラングドシャのコーンを開発したんです。
フリーザー、ミックス、コーンの全部に開発の手が入ったトータルプロデュース。もはや作品である。「総合メーカー」の日世さんじゃなかったら、最後に妥協して普通のコーンに乗せちゃうかもしれない。
日世さんのプレミアム展開はまだある。その名もズバリ「JAPAN PREMIUM」。特定の地域で生産された果実だけを使ったソフトクリームである。
松島さん:「和梨なら千葉県市原市」というようにフルーツを収穫する地域も指定して、農家や農協の協力を得て作っています。そこで獲れたものでしか作れないので、全部売れたら終わり。数量限定でお届けしています。
ソフトクリームが初めて日本に紹介されてから、来年で70周年。
百貨店から蕎麦屋、そして全国へと「面」が広がり、ご当地ソフトが各地で「点」となって充実し、さらにプレミアム展開で「質」も上げた。
そうなると、次はもう世界である。
松島さん:アメリカに研修に行ったことがあるんですが、現地ではソフト・サーブ・アイスクリーム以外に色んな言い方があるんですね。マシンサーバー(機械から出すやつ)とか、トーチ(たいまつ)とか。意外とバラバラなんですよ。
なので、逆に私たちは海外に出すときも「ソフトクリーム」と言い続けています。この言葉を全世界に広めようと思っているんです。日本ではソフトクリームと言うんだぞ!と。
和製英語として作られた「ソフトクリーム」が、いつかバラバラだった名称を統一して、スタンダードになるかもしれない。
取材当時は緊急事態宣言が発令されており、外出がままならぬ時期。
観光地やショッピングセンターも休業しており、日世さんにとっては「工場」が閉鎖された状態だった。「いつでも納品できる体制は整っています」と松島さんは言っていた。
街は徐々に以前の様子を取り戻している。そこに早く「ソフトクリームを買ってなめながら歩く」という光景も戻ってきたらなと思う。
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