初心者にとっては世にもおそろしい道路
……いうわけで今回の記事では、運転初心者が、高速教習に対して思ったことを素直な気持ちで伝えたい。
合宿免許の教習でいちばん不安なこと。
ぶっちぎりのダントツ1位は「高速教習」だったのだ。
鑑賞するのは大好きです。高速道路
高速教習とは、高速道路で行われる車の実習だ。教習所の近くに高速道路がない場合、シミュレーターによる疑似体験で終わる場合もあるらしい。
だが、高速道路が近くにある場合は実際の高速道路を走る。走らなくてはいけないのだ。
事実を前にして思った。
なんでわたしは、全国に数ある教習所のなかから高速道路が近くにある教習所を選んだんだ、と。
SAとか、人に連れてってもらうぶんには大好きです。足柄SAは足湯しながらビール(ノンアル)が飲めるから大好き
とにもかくにも高速に怯えていた。なんなら教習所に入所する前から怯えていた。
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とにかくもうスピードの速さがこわい。100キロの数字に頭がくらくらなのである。だって、我々はふだん時速4キロで歩いている。自力で100キロ以上出せるのは、高速ばあさんくらいだ。
高速走ってたら100キロで走ってるばあちゃんが並走してきてびっくりした〜っていう都市伝説ありませんでしたっけか
とはいえ、である。
こわいと感じるのは「車を運転したことが全くないから」という可能性もある。一度運転してみたら変わる可能性はある。
期待をぱんぱんに膨らませていた。
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だけど。
教習所に入り
運転の練習をして、
何度もして
座学でも学んだら……
気がついたのだ。
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学べば学ぶほど、恐怖は膨らむのだった。
まずこわいのが「合流」だ。
高速道路で運転するには、インターから入ったあと、本線に入るまでの間に、加速車線のなかで徐々にスピードをあげていく必要がある。一連の工程は「合流」と呼ばれ、ぴかぴかの教習生たちや一部のドライバーたちを震え上がらせている。
私ももれなく震えていた。
だって。もし本線にちゃんと混ぜてもらえなかったらどうしよう、って思いませんか
長縄跳びで、ちゃんと跳べるかなぁって不安になる気持ちと似ている気がする
合流のための加速車線は、通常なら本線の左側にあるのだが、首都高に関しては、右側から入るパターンがあるとも聞いた。なにがどうなってそうなったんだ。全然わからない。おそろしい。
さらに恐ろしいのが「急ハンドル」だ。
座学の際に「高速道路でスピードを出しながら、急にハンドルをきると危険です。絶対にやめてくださいね。」と言われた。
納得はした。そりゃそうだろうと思った。
でも、もしもの話だ。動かすつもりのないハンドルをうっかり動かしちゃったら、どうすればいいんだろう。
自分を信用できません
私は知っている。この世界でもっとも信用できないのは自分だということを。8時に起きようと思っていたはずが、10時に起きるなんてしょっちゅうだし、トマトを買いにスーパーに行ったはずが、きゅうりを買っていることもある。
トマトを買うつもりがきゅうりを買っちゃうような人のことは信じられません
いっさい赤信号がないのもこわい。
教習で初めて知ったのだが、赤信号ってとても素敵な存在なのである。ほどよいタイミングで強制的に休息を与えてくれるから。
昔よく、ツイてる状態を「信号がずっと青」と例えていたけど、徒歩と自転車の場合に限った話だ。車の場合、たびたび赤信号をはさむことこそ幸運なのである。
なぜそう思ったかというと、運転するのには相当量の集中力を要するからである。少なくとも、運転初心者の私はそう思った。
赤信号万歳なのである。
車に乗り始めてから、あなたのことが好きになりました(画像は写真AC)
刻一刻とせまってくる高速道路に乗る日。
高速教習翌日の自分のスケジュールに思いを馳せながら、「ああ、この日のわたしはもう高速道路を走ったあとの世界線にいるんだ」と何度も思った。
そのころには世界線、変わるんだなと思ったのだ
ふと、仲間たちのようすを見てみようと考えた。
仲間たちとは。Twitterで「高速教習」「高速教習 こわい」などのキーワードで検索すると出てくる人々のことである
ビビり散らかしている仲間たちと触れ合うことができる。
SAでソフトクリーム食べていたり、教官がおごってくれたというコーヒーを飲んでいたりする楽しげな投稿もあった。「高速教習こわい」とつぶやいた数時間後に「楽しかった」と言っている人を見ると、私にもそうなる可能性があるんだ、と元気になってくる。
そして、見ているなかで気がついた。高速教習は、教習生2、3人が1グループになって行うことが多いようだ。
ひとりじゃない! 安心した。
生徒ひとりで高速教習
だが、私はひとりだった。先生はずっと引率してくれているけど、先生以外は誰もいなかったのだ。
先生とふたりきり、地獄のドライブが始まった。
私の合流の仕方を見た先生は、遠回しに下手くそだと言っていた。私としては上出来だったが、先生の目は厳しいのだ。
1つ気づいたことがある。先生が褒めてくれなくても、自分で自分を褒めればいいのだ。だって、うまれて初めての高速で、無事に合流できるって滅茶苦茶えらいことだ。
すべての初めての合流者に拍手をしたい
2つめに気がついたのは、必死に運転しているときに声をかけられても、意外と話に応じられることだった。
ただ、総じて会話が浅くなる。
「群馬の有名人って誰?」と聞かれて「町田啓太」と答えるも、町田啓太の魅力について言及する余裕がないのである。「丸亀市には丸亀製麺がないんだよ」と急に言ってきた先生に対して、「え!」とまでは言えるんだけど、「え!」しか言えないのだ。
こんな状態でインタビューしてくださいと言われたら詰んじゃうなって思った。でもきっと言われないから大丈夫なのである。
3つめの気づきは、高速道路を走っているとき、自分のすべてがハンドルにかかっているという重圧のものすごさを知ったこと。
重かった。ほんとうに重かった。
上野のシャンシャンが肩に乗ったらこのくらいなのかもしれない。シャンシャンはいま、102キロだという。
重い
高速道路から戻って教習所のアスファルトを踏んだとき、「地上だ〜〜〜!」と思った。高速道路もれっきとした地上ではある。
ごはんがとてもおいしく感じた
川がとても広く感じた
いま、悩んでいる。もう二度と乗らないのがいいのか、もう一度挑戦したほうがいいのかということに。
もしもう一回乗ることができたら中央道に乗って山梨に行きたい。せっかく免許を取ったんだもの。行った方が……いいですかね。
免許をとったのはデイリーの記事がきっかけ
去年、スーパーのピザの食べ比べをしたときのことだ。ピザの箱を運ぶのが大変だった。車だったら運びやすいのに、とふと思った。
そしてその2か月後、はじめて家庭用ゲーム機を触った。やってみたいことにはとりあえず手を出して置いたほうがいいんじゃないかと思った。で、前職と今の仕事の谷間で免許を取得した。
その後満足に乗れているわけではないけど、それでも車を見かけるたび、「わたしも乗れるんだ! あの乗り物に。」と思って誇らしい気持ちになる。身分証明としても使いやすい。パスポートと違ってお財布に入るし、マイナンバーカードほどは、紛失時の心のダメージが少なそうである。
身分証明にしか使ってない……ってことにならないようにしたい。たぶんこれは、免許とりたての民の多くが思っていることなのだろう。