おい、今日、キャッチボールやろうぜ
大人はあれこれ計画しすぎじゃないかと思う。「磯野~!野球しようぜ~!」といった具合に友達が不意に訪問してくれたとして、喜ぶのはきっと少数派だろう。かくいう僕もいやだ。
明日仕事があるし、家事がたまってるし、もっと寝たいし…。すべての時間が自分の思い通りにならないと気が済まない。睡眠時間でさえコントロールしようとする始末だ。たぶん、急に人が訪ねてきたら腹が立ってしまう。
でも、子供の頃の気持ちってそんなだったっけ。もっとざっくり暮らしてなかったか。時間を気にせずボンヤリしてたけど楽しくなかったか。
不意の訪問もおおむね嬉しかったし、約束していた友達に別の用事ができて遊びに来れなくなっても腹は立たなかった。あるがままを受け入れていた。
子供時代を懐かしむことにさして意味はないと思っているが、あの頃と同じ行動を取ることでポジティブな感情を呼び起こすことはできるのではないか。それには興味がある。
大人になった今でもワクワクしたい。カッチリ時間を決めずに遊びの約束をしたい。
ほら、だから、職場の後輩よ。H君よ。
突然だけど、今日、キャッチボールやろうぜ。
集合時間は決めない。仕事が終わって家に帰ったらほどよいタイミングで家に迎えに来てくれ。LINEも電話も一切なしね。次に会うときは俺の家の玄関前、合図はインターホン、よろしく!
そういった次第で、まくし立てるように職場の後輩くんと時間未定でキャッチボールをする約束を取り付けた。気軽に遊びに誘える人間が他にいないのである。これはハラスメントに当たるだろうか。
後輩くんは二つ返事で気持ちよく了承してくれたあと、「窪田さん(筆者)のアパートの場所は分かりますけど、何号室か分からないないんでそれだけは教えてくださいよ」と、妙に大人ぶった質問をしてきた。
郵便受けにデーヴァナーガリーで「kubota」って書いてあるから、それが家!とぶっきらぼうに答えた。これだ。思い出してきた。この感覚だ。子供の世界は数字じゃないんだ。
早上がりだった後輩の退勤を見送って、その一時間後に仕事を上がった僕はまっすぐ帰宅した。今日は友達(ということにします)が家に来てくれるのだ。なんだかウキウキしてきた。
友達が来るのを待つ至福
17時の定時で仕事が終わり、家に帰り着いたのは17時25分過ぎだった。
彼は何時に来るだろうか。晩ごはんは食べてくるかな。そういえばお腹が空いたな。下手したら18時を過ぎるかもしれないな。腹ごしらえするか。うひひ。冷蔵庫になんかあったかな。
友だちと遊ぶ前の食事は行儀悪く高速で食べていいみたいな不文律が子供にはある。
飲むように酢の物を食べた。酢で刺激されて胃腸はさらなる食べ物を求め、それに応えて僕はインスタントラーメンの調理をはじめる。
ちょうどお湯が湧きはじめたころ、インターホンの音が鳴った。スタッカート気味のピンポン。時刻は17時30分。思いの外はやいが、おそらく後輩だろう。
メゾネットタイプの2階にある我が家は玄関まで降りるのに時間がかかるので、玄関側に面している脱衣所の小窓を開けて外を見下ろした。
やっぱりそうだった!いる!
ウケた。
自分で仕向けたこととはいえ「インターホンの音に反応して外を見たらバットを持った友達がいる」というシチュエーションに笑ってしまった。気分は完全に子供時代で、どこか照れくさくて面白い。これだけでもう満足である。
「バット見てくださいよ。グリップ替えたんすよ」と言って変わった形状のバットを見せてくれた。100点満点のセリフである。小学生は学校に私物を持ち込めないから、放課後に自慢するしかないのだ。
各々、自分の車で運動場に向かうことにした。よく考えると迎えにきてもらった意味はない。でも意味とかじゃないところに意味がある。