毎日が「とくべつな日」に
子どもが中学に上がるタイミングで毎日弁当を持たせることになった。
僕の暮らす神奈川県では中学からは給食のない学校が多いのだ。僕自身中学までは給食を食べて育ったので、はじめは「まじかよ!」と思った。もしかしたら「ふざけんなよ」くらい思ったかもしれない。
これまでも運動会や遠足の時には弁当を持たせていたのだけれど、それはあくまで「とくべつな日」であり物珍しさで楽しく作れていたのだ。しかしこれからは毎日が「とくべつな日」である。テンションが続くのだろうか。
でも作らないという選択肢はない。どうせ毎日やるのであれば進んで作ってやろうじゃないかと思ったのだ。それが3年前。
幸いなことにうちは僕も妻もある程度料理をするので、べつにどちらが作ってもよかったのだけれど、なんとなく興味本位で僕が立候補したような気がする。毎日弁当を作るのってどんな感じなんだろう。あの時の自分の親の気持ちをなぞってみたくもあったのかもしれない。
とはいえ3年というのはちょっとした期間だった。
今となってははっきり思い出せないが、最初の半年くらいは弁当の完成までに毎日1時間くらいかけていた。この頃は「フライパン一つで!」「レンジで簡単!」みたいなレシピを手あたり次第に保存したり、インスタグラムで弁当をアップしている人のアカウントをフォローして真似してみたりもした。もうだめだと思って子どもの同級生の親に相談したこともある(毎日どうしてんの?何か楽なレシピ知らない?など)。
でも半年か1年か、そのくらい経った頃だろうか、弁当作りが急に軌道に乗り出したのだ。
これにはなにか明確な出来事があったわけではなく、じわじわと上がってきたスキルが、弁当作りに最低限必要なレベルの閾値を越えたんだと思う。それから先、今日までは特に苦労した覚えはない。
つまり誰でも1年くらい続けていればある程度のレベルには達するし、それにともない弁当作りは楽になるということだ。
とはいえ「いいから半年続けろ」みたいな根性論でまとめるのもちょっと不親切だと思うので、3年間弁当を作ってみてわかったことをプラスの面とマイナスの面に分けてまとめてみたいと思う。興味を持った人はつべこべ言わずに半年続けてみてほしい(けっきょく根性論)。
まずはマイナスな面から。
マイナス面はこれに尽きると思う。
少なくとも朝、いつもより30分くらいは早く起きる必要があるのだ。夜は遅くまで起きていたいし朝はいくらでも寝ていたいだろう。早起きするのは誰でも嫌である。
これについては今でもつらいなと思うことがある。週に1日くらいはある。しかしこれも後に述べるプラスな面で十分相殺できるのでちょっと待ってほしい。
自分で料理をするようになると、人が料理しているのを見るときの見方が変わる。もっとこうしたらいいのに、とか思うようになるのだ。
そのブロッコリーは茹ですぎではないか、色合いが単調すぎないか、そこは焼かなくてもレンチンでいいのでは、などなど。人の料理が気になってつい口をはさみたくなってしまう。
しかし人に作ってもらうからには出しゃばってはいけない。あなたの料理スキルが少しくらいあがったからといって世の中から戦争がなくなるわけではないだろう。誰かに食事や弁当を作ってもらったらおおげさなくらい喜んだりほめたりした方がいいのだ。その方がお互い気持ちいいし、うまくいく。
まてよ、そしたらやっぱり巡りめぐって戦争がなくなるんじゃないのか。弁当は地球を救う。
マイナスな面はこのくらいにして(ほんとにこのくらいしか思いつかなかった)次はお待ちかねプラスな面である。これは書ききれないほどある。
これはけっして「うまくなった」ということではない。時間内に限られた材料で、滞りなく弁当を完成させることができるようになった、ということだ。
弁当について言えば、前日寝る前に冷蔵庫をざっと見渡しておく。で、翌朝目が覚めたら布団から出る前に頭の中で3品作ってみるのだ。メイン1品、サブ2品、飾り1品である。メインは肉か魚を、サブは野菜を、飾りは果物が多い。
頭の中で一通り作る物が決まったらようやく起きだして、それをキッチンで再現する。ほぼ記憶をなぞるだけなので、調理時間は20分から30分くらいである。この流れが身につくまでにやはり1年くらいかかったけれど、一度身につけてしまうとこれは効率的である。
僕は出張が多くて朝いないときもある。そういう日には妻が弁当を作る。
二人とも作れるようになっておくと、どちらかが出かけていたり風邪を引いたりしたときでも慌てることがないのだ。
あとこれは弁当に限らず、役割りは一人に固定しない方がいいと思う。できるところはぜんぶ自分がやる、くらいの意識で互いに動いていると、たまに相手が気を利かせてやってくれたことにありがたみを感じるし、逆に「なんでやってないのだ」という怒りも湧かない。
給食だった頃はバランスが計算されているのでお任せでよかった。でも弁当となるとこちらで一から考える必要がある。
揚げ物ばかりだとカロリーが高すぎるし、かといって野菜だけだと味気ない。僕はだいたい朝食と弁当とで食材を15~20品目使うことを目安にしている。一日に食べる食材は30品目を目安に、と聞いたことがあるので、朝昼で20とっておけばまずまずだろう。
弁当作りたくなってきただろう。プラスな面はまだあるぞ。
ぼんやりと生きていると達成感を得られる機会というのはなかなかない。マラソン大会に出たり寒中水泳したりすればそりゃあ達成感も得られるだろうけど、毎日やるにはちょっとつらい。
弁当には毎日ゴールがある。自分の力で完成形まで持って行く行為は、何年やってもその都度達成感を感じられるものだ。
くし形にカットしたポテトフライが最後に思った場所にすぽっと納まった瞬間には、おこがましいが神が世界を作った時の気持ちすら想像できる。「神は造ったすべてのものを見た。それはとても良かった」である。
食事は塩加減とか焼き加減、好き嫌いや量など、人によって評価や基準がさまざまである。
弁当を作り始めて半年くらいは子どもがおかずを残して来ることも多かったが、それは仕方のないことだろうと思いあきらめていた。嫌いなものが入っていたら食べたくないだろうし、食べる時間がないことだってあるだろう。
しかしそういう日々の結果を翌日以降の弁当にフィードバックして改善していった結果、いまではほぼ何も残してこなくなった。弁当を介して相手の好みとか状態を理解することができるのだ。
マイナス面でも書いたように、弁当を作るには早く起きる必要がある。
そのため夜はできるだけ早く寝るし、深酒することもなくなった。早起きにはある程度体力も必要なので、ジョギングしたりもするだろう。おかげで僕は今のところばかのひとつ覚えみたいに元気だし、これまで一度も弁当を持たせられなかった日はない。
ほかにもプラスな面を挙げるときりがない。最近仕事でブログを作る機会があったのだけれど、毎日そんなに書くこともないので作った弁当を載せている。弁当はブログのネタにもなっているのだ。
しかし言ってしまえば朝は眠い。あと30分寝ていられたらどんなに素敵だろうと思う。
でも包丁を持って半分寝ながらジャガイモの皮なんかをむいていると、徐々に目が覚めて頭が回り始めるのがわかる。やはり刃物を持つとテンションが上がるのか緊張するのか、目が覚めるのだ。
ここまで読んでくれた人は弁当作りの面白さを少しは感じてもらえたのではないだろうか。気が付くとコンビニで売られている弁当を見る目も変わっていると思います(なるほどスパゲッティを敷くのか、容器に葉っぱの柄がある弁当箱ほしいな、等)。
これからも続きます
こういうまとめ記事を書くと弁当作りもおしまいみたいに思えるが、来年から下の子も弁当が必要になるので、この先少なくともあと3年の更新が約束されたわけだ。技術に磨きをかけるチャンスである。3年後にまた記事を書きたいと思う。