デイリーの記事は研究の種になる?
稲見教授の研究テーマは「身体情報学」。ARやVR、ロボットなどのテクノロジーを用いて、人間の機能を拡張する研究を行っている。
透明人間のように見える光学迷彩コートなど、その発想にどこか親近感を覚えてしまう稲見教授は、デイリーのどんな記事が好きなのだろうか?
稲見:まずは「空中浮遊写真を撮る方法」ですね。我々が立体物を立体として意識する時、大きなポイントになるのが影と背景。この記事では、周りに芝生があって、その中に影があることで飛んでいるように見えるんです。
じつは、これって有名な心理学の現象や、私自身の研究分野であるロボット工学にもつながる手法だと思います。こちらの動画を見てください。
このロボット自体は向きを変えることしかできませんが、ディスプレイを動かすことでウロウロと移動しているように見せています。次に、こちらの動画を見てください。
このロボットもジャンプしているように見えますが、実際は屈伸しているだけ。背景を加速させることで、ジャンプして着地しているように錯覚するんです。空中浮遊写真の記事と同じで、背景でそれっぽく見せているだけ。
最近ではNTTコミュニケーション科学基礎研究所の河邉隆寛さんがプロジェクタを用いて絵や文字をを浮かすことができる『浮像(うくぞう)』という研究をされています。こちらの動画が原理も含めてわかりやすいです。
このように、デイリーポータルZの記事は、私たちがやっている研究とつながる、あるいは研究の種になるようなものが多いように思います。記事をきっかけに、みなさんに実験してもらえるのもいいですよね。
研究者が本気で悔しがった「通勤タイムアタック!」
「通勤タイムアタック!」という記事も面白かったです。いや、面白いというより、悔しかったですね。私に限らず、多くの研究者が「してやられた!」と思ったんじゃないでしょうか。ウェアラブル技術の研究者として、なぜこれを思いつけなかったんだと。
これは2010年の記事ですが、自分の「ゴースト」と競う発想自体は当時からありました。たとえば、マラソンの練習でAR(拡張現実感)のゴーグルをつけてバーチャルの自分と競う。あるいはプロジェクションマッピングで壁に自分の記録を投影し、その前を走るといったもの。どちらも視覚からのアプローチです。競争となると、どうしてもそうなるんですよね。でも、この記事では聴覚の世界に落としたのが、当時としては斬新だったと思います。
ちなみに2010年といえば、その前年にセカイカメラが出てきてスマートフォンを使ったARが注目されたけど、さほど盛り上がらずがっかり感があった時期です。その後、Googleグラスなどのウェアラブル端末が出ましたが、普及しなかった。つけたままレストランに入ったりできないからコンシューマーまで広がらなかったですよね。僕もゴーグルをつけたまま帰宅をしたら、妻に叱られました。「まさか、それで電車乗ってないよね?」と。
グラスをつけたまま出歩くハードルが高い日本において、今注目されているのが「ヒアラブル」。ウェアラブルのように視覚ではなく、音の世界に特化したデバイスです。そもそも聴覚のARはウォークマンというイノベーションによってすでに達成されていて、街中でも馴染んでいる。この記事はサウンドスケープを手掛かりにして、聴覚の拡張現実感の可能性を示した先駆けだったと思います。
早回しの時計が時差の壁を超える
「早回しのように見える(?)動画」の記事も感動しました。“存在”と“時間”って哲学になるくらいの話なんです。この記事は哲学というより心理学的ですけど、認知としてすごく面白い。
実際に、同僚の中邑賢龍先生は時計の速度を変えることで人を焦らせたり、作業の効率を上げられないか研究しているんですよ。たとえば時計の分針を40分で1回転するように設定してワークショップを行う。すると、感覚としては6時間くらいやったような感じなのに、実際には4時間しか経っていない。2時間ぶん得した気になるんですよね。
もしかしたら今後、この時間を早回しするという概念が広がっていくかもしれません。たとえば、私は海外と遠隔で会議をすることも多いのですが、一番苦労するのが時差の壁。距離の壁はバーチャルリアリティやビデオ会議システムで越えられるようになりましたが、時差はまだまだ難しい。一時期、フランスとアメリカの東海岸、そしてワシントンD.C.の3拠点で共同研究を行っていたのですが、会議の時間を合わせるのが大変でした。どこか一つは午前4時に起きて参加しないといけないなど、力関係の弱いところがしんどい思いをするんです。
そこで、時差の壁を超えるために、こうした早回し的な仕掛けや考え方が有効なんじゃないかと思います。以前、同僚の暦本純一先生がおっしゃっていたことですが、世界中の人が1日26時間、あるいは22時間くらいで生きてみるのがいいんじゃないかと。そうすれば、みんなが地球の自転周期から少しずつずれて、2週間くらいで一周する。世界中の人が均等的に、少しだけ幸せ、あるいは不幸せになりながら会議ができるわけです。
いずれにせよ、これだけ働き方がフレキシブルになってきた現代においては、時間はもっとパーソナライズされてもいい。人や組織によって早回ししたり、仕事をする相手によって変えていいはずです。自分は日本にいても、仕事相手がいるロンドン時間に合わせて仕事をするとかね。最近は青空の仕組みを再現する照明なんかもあるし、VR的な仕掛けと組み合わせるやり方もあります。この記事からは、そんな未来も読み解けます。
「ヘボコン」はイグノーベル賞級の発明である
「ヘボコン」もすごいですよね。もはや記事ではなく、一つのジャンルですが。今や、「ロボコン2.0」といっていいくらいだと思います。
というのも、本家ロボコンのような技術系のイベントやコンテストって、技術に興味がある人の先にはなかなか届かないんです。私自身も科学館で講演したり、研究のアウトリーチ活動で成果を公開したりしていますが、参加してくれるのはもともと技術に親しみがある人たちだけ。本来は、その向こう側にまで声を届けないといけない。
そこで、ヘボコンですよ。ロボコンというフレームワークを使いながら、あえて設計されたゆるさによって世界が広がった。まるで、『ロウソクの科学』という本を書いたマイケル・ファラデーのようですね。彼は、それまではラテン語を勉強しないとできなかったような学問を、クリスマスレクチャーなどを通じて身近にした人物です。
全ての分野に言えることですが、放っておくとコアな人間ばかりが集まり、新たな参加者にとっての難易度が上がってしまう。ポップさがなくなると多くの人の支持を失い、文化として廃れてしまうわけです。「地味ハロウィン」も同様ですが、裾野を広げて、いろんな人がそれぞれの想いで参加できる状態が望ましいと思います。
大学の研究においても、同じことが言えます。日本は毎年のようにイグノーベル賞をとっているのですが、これは研究の多様性が広がったことの証でもあります。イグノーベル賞がとれなくなったら、おそらくノーベル賞もとれなくなるでしょうね。
ロボコンとヘボコンの関係性も似ていて、ヘボコンができたことでロボコンの裾野も広がった感じがある。文化の発展には、メインカルチャーとポップカルチャーの両面が必要なんですよ。だから、ヘボコンはイグノーベル賞級のすごい発明だと思いますよ。
研究にもデイリーにも通じる「困ったら足を使え!」の法則
ここまでは研究と関連するものを選んできましたが、それ以外にも好きな記事はあります。「なくなったサイトで見る場所へ行く」や「挟まれると痛いエレベーター調べ」などは印象深いですね。どちらも足を使って調べている。僕らの研究でも、「足で見て、手で考えろ」と言いますが、困ったらとりあえず体を動かしてみるのは大事なことです。神様が降りてこない時は、まずは歩き回り、色々調べて比較してみようと。
まあ、なぜ痛いエレベーターを調べたんだ? っていうのはありますけどね。
価値ある研究は「面白い」から始まる
先ほども言いましたが、デイリーポータルZがやっているようなことって、我々の研究の種になり得るんです。たとえば、頭にハンガーをかけると、首が自然と動いてしまう「ハンガー反射」と呼ばれる現象があります。これの原典は、探偵ナイトスクープという番組でした。今では、電気通信大学の梶本裕之先生が、このハンガー反射をベースにした研究に取り組まれ、医療現場でも使われています。最初はただの興味本位で検証してみたことが、研究につながった事例は他にもかなりあるんですよ。
研究の価値って、まずは面白さなんですよね。もちろん、国から研究費が出ている以上、社会の役に立つことが求められるわけですが、最初から役に立つものだけを作っていこうとすると面白さが失われてしまう。論文が通りやすい、予算が取りやすいだけで研究テーマを決めてしまい、多様性が損なわれます。だから、まずは面白い・面白くないできちんと判断することが大事ですね。
まとめましょうか。デイリーポータルZって何なんだろうと考えた時、コンピュータビジョンやロボット工学の第一人者である金出武雄先生の「素人発想、玄人実行」という言葉が浮かびます。つまり、研究者がやるべきは、素人のような発想をして、玄人のように実行することであると。誰もが思いつくことかもしれないけど、実際にやるときには誰もやったことがないようなワザを使うんです。
一方で、デイリーポータルZは玄人のように発想して、あえて素人っぽく見えるようにゆるく実行している。そんなふうに見受けられます。そして、それが独特のヘボさ、魅力につながっているのではないでしょうか。勝手な見立てかもしれませんが。
インタビューを終えて
今回もとてもいい気分の取材だった。稲見先生、これを読んでいるみなさまありがとうございます。
いまだに「面白い」と「役に立つ」で迷うことがあるのだ。
役に立ったと言われたい煩悩というか、「役に立つ」の魔力に引きずられる。
いやまてよ、そもそも「面白い」と「役に立つ」は相反するものなのか。「面白い」も「役に立つ」もジャンルのひとつなのではないのか。などくよくよ考えている。
今回、稲見先生が最後「面白い」の役割を教えてくれたことで自信がついた。面白ドリブンで素人実行(なんだか危なっかししいですが)でいこう。
(林雄司)