先生に話を聞くとおもしろいぞ
大学の教授と聞くとちょっと構えてしまうのだけれど、黒岩先生はいい意味で思っていた教授象とは違っていた。それこそ黒岩先生のいう先入観だったのだろう。いかんいかん。
前に他の教授にお話を聞いたことがあったのだけれど、その方も本当に親切に専門分野について易しい言葉で説明してくれた。もちろん中には気難しい先生もいるんだろうけど、それこそ千差万別なので、わからないこと、知りたいことは積極的に聞きに行くとおもしろいと思う。僕はこのあと、高校の生物を勉強しています。
「男性を決定付けるY染色体はいつか消えてなくなります」
そんな衝撃的な内容の本を読んだので、著者である大学の先生に本当かどうか聞きに行ってきました。
Y染色体、本当にいつか消えてなくなるらしいですよ。
この本を手に取ったきっかけは知り合いに勧められてなのだけれど、読んでみようと思ったのはそのタイトルが僕の好きな小説と同じだったからということもある。
小説「Yの悲劇」はエラリークイーンが1930年代に発表したミステリーである。
この本、エラリークイーンの小説と同じタイトルなのである。ただし区別するため「Y」にカッコがついている。
今回はこの本を書いた北海道大学の黒岩先生に話を聞きに来た。
黒岩「タイトルは編集部にお任せしたんですが、安藤さんくらいの年代の、それこそ普段は推理小説を読んでるような男性にも興味を持ってもらいたいと思って書いたというところはありますね」
黒岩麻里
北海道大学大学院理学研究院生物学部門教授
黒岩研究室HP「Kuroiwa Lab」
タイトルに惹かれて読み始めた本だったのだけれど、その内容が小説に負けずとも劣らない衝撃的な内容だったのだ。この本を読んで僕が驚いたのは主に以下
・Y染色体はいずれ消えてなくなる
→え!そしたらオスはいなくなるの?
・母親は妊娠中に息子からY染色体をもらう
→ええ!お母さんがお父さんになるの?
・性別は2種類だけではない
→えええ!じゃあ何種類なの?
ヒトの染色体には性を決めるX染色体とY染色体とがあって、XXだと女性に、XYだと男性になる。というのは中学の頃に理科で習って知っていた。
「Y」の悲劇によると、そのY染色体がいま消滅の危機に瀕しているというのだ。そしたら男性はいなくなるんですか?
詳しくは本の中に書かれているのだけれど、黒岩先生に直接聞いてみた。
ーーY染色体がいつか消えてなくなるというのは本当なんですか?
「本にも書いた通り、性を決定するY染色体はその性質上、進化の過程で徐々に短くなっていくことがこれまでの研究からわかってきています。短くなっていって、いつかは消滅する運命にあると言われています」
これは男として、深いところでショックである。でもY染色体がなくなったら男性がいなくなって人類は滅んでしまうのではないか。そうなんですか?
「Y染色体がなくなると即オスが絶滅する、とはならないと思っています。これも何万年か、あるいはもっと先の話なので私たちの世代が直接体験できることではないんですけどね」
黒岩先生がいうには、Y染色体というのは性決定に関わっている以上、有害な遺伝子を次の世代に残さないための「進化」として徐々に短くなっていったのだとか。(この仕組みについてはちょっと専門的な話になるので気になった人は黒岩先生の本を読んでみてください)
「たとえば魚類の中にはYで性を決めていたものが、まだYが消滅する前に別の染色体で性決定するようになった種類もいます。彼らはそれでYが無くならずに済みました」
Y染色体はいずれ消滅する。しかしその消滅までの時間稼ぎをしようとする動きがあったり、Y染色体の代わりに性決定をする別の染色体の存在が示唆されたり、この分野はいままさに研究途上なのだとか。
僕らの世代とか次の世代とかでY染色体が消えて男性がいなくなる、みたいな話ではまったくないらしいので安心してほしい。
ーーこれまでの歴史の中で、同じようにY染色体が消えてしまった生き物の例っていうのはあるんですか
「それはですね、わからないんです。消える過程を研究してきた例がないんですね。わたしたちヒトのYみたいに、いつか消えてしまいそうな生き物は他にもいますし、逆に大きなXYを持つ生き物もいます。遺伝子ではなく環境で性がきまる生き物もいます。」
ーー適者生存の原理(環境に適した者が生き残る)でいくと、環境に応じてあとから性が決まった方が有利っぽくないですか
「その方が環境に適応した進化のようにも見えますが、たとえば気候変動とか温暖化とか、そういった要因で性が偏ってしまいますよね。だったら遺伝子で性決定した方がいい、ということも言えます。今の世代だけで答えは出せないんです」
なるほど。進化というのは今がよければそれでいい、みたいな単純なものではないのだ。
あと本に書かれていたことでびっくりしたのは、男の子を妊娠した場合、出産後もお母さんの体内にY染色体を持つ細胞が存在するようになるという話だ。そのY染色体はもちろん父親からのものである。
そんなことってあるんですね。
「この本を読んでくれた人はみんなそこで驚きますね。私も最初は驚きました。でもこれも事実です。これがもしかしたら女性の免疫疾患につながっているんじゃないかっていう研究もされています」
よく長年一緒にいると夫婦が似てくるっていう話があるけど、あれももしかしてお母さんの体に入ったY染色体が影響しているんだろうか。
「その影響や効果についての研究はまだこれからなので「わかっていない」としか言えないのが現状です。細胞の数としては少数なので影響はないという考え方もありますが、XYの細胞が母親(女性)の脳に存在していたという報告もあるので、もしかしたら神経細胞に影響して考え方や性格が夫に似る、ということがあるかもしれないと「妄想」することはできますね。」
おわかりだろうか、黒岩先生の話はとにかく面白い。
僕は学生の頃は生物を選択しなかったんだけど、こういう話を聞いたあとで受験勉強をしていたら、きっともっとやる気が出ていたんじゃないだろうか。大人になってからそう思うことってわりと多い。
ーー性別は男女の2種類だけじゃない、というのも興味深かったです。性というのはそんな単純に分けられるものではないということですか?
「性のあり方というのは千差万別で、グラデーションで分布していると考えてもらった方がいいのかもしれませんね」
五輪でも話題に上がったりと、昨今のジェンダーギャップ問題については僕なりに考えるところではあった。そもそも生物学的な性がグラデーションで分布しているのであれば、そりゃあ単純に男女で区切るのが難しいのも当然である。
ーー人間以外の生き物にもジェンダーギャップみたいな問題が存在したりするんでしょうか
「メスのふりをする擬態、オスのふりをする擬態、みたいなのは他の生き物にもあります。でもそもそも「ジェンダー」っていう考え方自体が人が定義したものなので、そこにギャップを感じたりするのも人間特有なんじゃないでしょうか」
ーー自ら足かせを作ってそれにストレスを感じてる、みたいな本末転倒感があるんですが、長い目で見てそれが進化に悪影響を与えたりしないんですか
「社会として管理するには男女で分けてルール化するのが楽なんでしょうね。人間が決めたルールなんて進化の過程においては些細なことなのかもしれないですけど、わからないですね、バタフライエフェクト(小さな因子がめぐりめぐっていつか大きな結果をもたらすこと)でいつか問題になるなんてこともないとは言えないので」
普段の暮らしの中で「進化」とか「遺伝」なんて考えることはほとんどないのだけれど、そういう大きな流れの中で、ほんの一瞬だけ生まれて消えていくんだと思うと、小さな悩みとかどうでもよくなりますよね。
本の内容もさることながら、僕が面白いなと思ったのは「あとがき」だった。
>科学的なエビデンスがあるから絶対的に正しいものかというと、そうではありません。
研究者も人間なので気づかないうちに身につけたバイアスが必ず存在する。とくに性の領域はトピックとして繊細で、だからこそ思い込みや過去の研究にひっぱられてしまうこともあるのだとか。
いまわかっている事実は100年後には覆されるかもしれない。だから研究は続くし、それを念頭に置いて謙虚にデータに向き合わなくてはいけないのだ。
黒岩先生の優しい語り口からは、科学者の覚悟というか信念みたいなものを感じました。
大学の教授と聞くとちょっと構えてしまうのだけれど、黒岩先生はいい意味で思っていた教授象とは違っていた。それこそ黒岩先生のいう先入観だったのだろう。いかんいかん。
前に他の教授にお話を聞いたことがあったのだけれど、その方も本当に親切に専門分野について易しい言葉で説明してくれた。もちろん中には気難しい先生もいるんだろうけど、それこそ千差万別なので、わからないこと、知りたいことは積極的に聞きに行くとおもしろいと思う。僕はこのあと、高校の生物を勉強しています。
黒岩先生の本。Kindle版です。紙の本はリンク先で「単行本」を押してください。
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