「小さい餃子」の衝撃

トルコの「マントゥ」という餃子が紹介されていました。
その本によると、マントゥはスプーンに何個ものってしまうくらい小さい水餃子なのだとか。
小さなマントゥを手作りすることで、「手先が器用で料理上手」ということをアピールできるのだそう。

私はかわいくてちんまりした「手まり寿司」を見ると、

なので、「食べ物を小さくする」という発想そのものがありませんでした。
「餃子を小さく!?な、なんでそんなことするの!?」という驚きより、「小さい餃子をつくる」というアイデアが浮かばない己の了見の狭さに頭を殴られたのです。
何十年経っても、自力ではどうがんばったって「小さい餃子」なんて思いつかなかったでしょう。
小さい餃子を作る営為とは・・・そしてその味わいとは・・・概念に衝撃を受けた以上は、体験して血肉にしていかねばなりません。
ご自慢の「手先の器用さ」


ここでも「小さな水餃子」と紹介されておりますね。
他の本やサイトで調べた感じ、トルコの中部にある都市・カイセリで有名な食べ物らしく、カイセリ・マントゥと表記している場合もありました。


つづいて餡を作っていきます。


「へ~、玉ねぎはみじん切りじゃなくてすりおろしなんや~」とひとまずレシピのいう通りに。この後、すりおろす理由を真に理解することになるのです・・・
見たことのない調理過程
さて、ここまでは普通の餃子とだいたい似たような作り方ですが、


さらに、

私の知ってる餃子レシピから分岐し、パラレルワールドへの突入が始まりました。
そして・・・!

みんなでわいわい包む餃子パーティーではお目にかかれない作業工程がスタート。パティシエのような精密作業です。買っててよかったピンセット。


どこか「算数」を彷彿とさせますね・・・トルコの中学受験では「マントゥ算」とかあるんでしょうか。(あと、なんかアメリカの選挙の図っぽいですね)
餃子の小ささは有限か
それでは包んでいきます。


日本でよくみられる餃子の包み方とは異なり、



作っている間、「小さい・・・」もしくは「私、でかい・・・」という感慨しか沸き上がってきませんでした。
これを少数の人が一時的な企画として作っているのではなく、トルコのカイセリでわりあい一般的なのがすごいです。
「小さい餃子」の衝撃②
冒頭で「小さい餃子」なんて発想が自分の中になく、どでかいショックを受けたと書きましたが、それに似た衝撃を大学時代でも受けました。
落語研究部時代、みんなで「次の冬に開催する落語の寄席(公演会)のタイトル」を考えていたときのことです。
「冬にちなんでいたほうがいいかなあ」と「こたつ寄席」や「師走寄席」といった候補が出る中、


「〇〇寄席」というフォーマットを脱ぎ捨てた、およそ寄席には似つかわしくないこのネーミングに、私はとんでもなく大きな衝撃を受けました。
「私が4、5回生まれかわっても、こんなん思い浮かびっこない・・・」と完全に敗北したのです。(結局、「寄席だということがわかりやすい方がいい」という理由で、「こたつ寄席」になった)
うまく伝わったかどうかはちょっとわかりませんが、「小さい餃子」は「🍎りんごほっぺ🍎」と同じくらいかそれ以上のインパクトを私にもたらしました。