物は試しに菊の花を食べてみる
晩秋のある日、野菜の収穫のために畑へ行ったら、黄色い菊がたくさん咲いていた。この菊を植えた母親から、これは食用だと教わっていたが、これまで一度も食べたことがない。
菊はなんとなく苦そうだし、どうしても仏花のイメージがあるし、わざわざ食べる理由がよくわからない。花を食べようと思うのは、ズッキーニかオクラくらいだ。
でもそういえば、学生時代に住んでいた山形には「もって菊」という食用菊があって(あれは紫色だったかな)、地元出身の同級生から「もってのほかおいしいんだず!」と強めに言われて、ぜんぜんピンと来なかった覚えがある。もってのほかおいしいってなんだ。
これ全部を母親が食べ切るとも思えないので、せっかくだからちょっと試しに食べてみようと、花を三つほど摘んで帰った。
確か食べるのは花全体ではなくて、花びらだけだったはず。適当にむしって、小鍋に沸かした熱湯にくぐらせて、ザルにあけて水で冷やし、冷蔵庫にあったポン酢を掛けて食べてみる。
特に期待をしていなかったので料理工程の写真を撮っていなかったのだが、これが意外とおいしかったのだ。
びっくりするほど好みの味なのだが、甘味もうま味も脂肪分もない。なんでこれをおいしいと思うのだろう。
味も歯ごたえも香りも見た目も、これまで食べた食べ物の文脈にある「ごちそう」とは違う価値観だ。たぶん学生時代に食べていたら、ピンとこなかったであろう味。
この魅力をしっかりと確認すべく、翌日再び畑へと向かった。
食用菊は「食いで」がある
畑に咲いている食用菊は、花全体が黄色いものと、外側が白くて中心部分が黄色いものの二種類。後者は純粋な食用菊ではなく交雑している可能性もあるが、食べられないことはないだろう。
どちらも花びらが高密度でモサモサと生えている。
それに対して食用でない菊(食べられるとは思うけど)は、中央部分に雌蕊(たぶん苦い)が密集して生えていて、花びらの枚数がずっと少ない。仮に味が同じだったとして、どちらが食糧として適しているかといえば、もちろんモサモサした食用菊だ。
食用の菊というのは、苦味が少ないだけではなく、「食いで」があることが大切なのだろう。
花びらをむしるのが楽しい
帰宅後、張り切ってたくさん摘んできた食用菊の花を水で洗い、その花びらを抜いていく。前回は何も考えずにむしったが、こうして改めて抜いてみると、これがとても気持ちいいのである。
花びらを複数枚指でつまんで引っ張ると、適度な抵抗のあとにずぼっとまとめて抜けてくれるのだ。すごくコンパクトな収穫の喜び。そして漂う菊の香り。
わざわざ花びらを食べるなんて面倒くさそうだなと思っていたが、菊を食べる楽しみの何割かは、この花びらを抜く気持ち良さにあるのかもしれない。
これは自分で調理をしないとわからない喜びだ。あるいは花占いをしないと。
抜いた花びらを水で洗うと、すごくパリッとした質感で、花びらがイメージさせる儚さが一切ない。さすが食用。
通常は加熱をして食べる菊の花だが、せっかくなのでこのまま生で少し食べてみる。花びらの踊り食いだ。
口に入れるとうっすら広がる仏壇のイメージ。生で食べてもそこまで苦くはなく、シャクシャクとした薄い歯ごたえがおもしろい。
生のまま調理してみる
生でも食べられることがわかったので、シンプルなサラダに散らしてみた。これぞ国産エディブルフラワー。派手な黄色がチーズや卵をイメージさせるが、そこにあるのは菊の花。
花びら多めで口に運んでみたところ、味と食感がサニーレタスと被り気味だが、それでも独特の香りと風味がサラダのアクセントになっている。
生の菊の花びらは立派なハーブだ。これはいい。
サラダの次はパスタ。オリーブオイルと塩と花びらだけで和えてみた。パスタを菊の風味だけで食べるという、ミニマムな構成に心が躍る。
これが菊をもりもり食べている感じがして、すごくよかった。ベーコンやニンニクが入ればもっとおいしいのだろうが、そのおいしさは別の機会に食べればいい。
もちろんこのシンプル過ぎるパスタを、自分がおもしろがっているからこそ美味しいと感じることは理解している。前情報なしにこれだけハイと出されても、まったく意味がわからないだろ。
それでも秋を盛り込んだコース料理の一皿として、相当の可能性を感じてしまう。