特集 2020年4月24日

要約『なぜ世界は存在しないのか』

『なぜ世界は存在しないのか』の著者マルクス・ガブリエルは1980年生まれのドイツ人哲学者である。29歳という異例の若さでボン大学の教授になるなどたいへん優秀な人だ。

この本では「あらゆるものが存在するが世界は存在しない」という「新しい実在論」の原則を説明しようとしている。2年前に日本で流行った本であるが、最近読み返したのでその要約をしてみた。

1986年埼玉生まれ、埼玉育ち。大学ではコミュニケーション論を学ぶ。しかし社会に出るためのコミュニケーション力は養えず悲しむ。インドに行ったことがある。NHKのドラマに出たことがある(エキストラで)。(動画インタビュー)

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「なぜ世界は存在しないのか」と大上段に構えていうガブリエルですが、どういうことなのか気になりますね。ですが、その説明をするにはまず「形而上学」と「構築主義」というのを理解する必要があるそうです。めんどくさそうですが……まずは付き合ってあげましょう。
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形而上学と構築主義を乗り越える新しい実在論

まず世界について取り組む伝統的な考え方として形而上学というものがある。形而上学とは世界全体についての理論を展開しようとする試みのことで、いわば世界を発明した考えかただと言ってよい。しかし人間の視点がなくても成立する世界観であるから、対象の諸様相がそれぞれあることのリアリティを考えられないのが欠点である。

一方、形而上学より後にあらわれた哲学者カント以降の考え方である構築主義は「人間から見た世界」についての理論である。「事実」は存在せず、重ねられた議論や科学的な方法でもののあり方は構築されるという考え方だ。しかし、この考え方では構築が対象とする1つのものの実在感を考えられず途方に暮れてしまう。

これらの問題を解決しようとするのが新しい実在論である。新しい実在論は第一に「わたしたちは物及び事実それ自体を認識することができる」、第二に「物および事実それ自体は唯一の対象領域にだけ属するわけではない」という命題からなる。

形而上学が人間がいない世界の話で、構築主義は人間の見た世界の話らしいですね。それで「新しい実在論」というのがガブリエルが言いたいことだそうです。「わたしたちは物及び事実それ自体を認識することができる」は単に実在論のことですね。「物および事実それ自体は唯一の対象領域にだけ属するわけではない」がキモらしいですが。つまりどういうことなんでしょうか。というところでとつぜん山の話になります。
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富士山と『なぜ世界は存在しないのか』
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3つのヴェズーヴィオ山

例えば2人がそれぞれの場所からヴェズーヴィオ山を眺めているとしよう。形而上学ではただヴェズーヴィオ山そのものがあり、その実在は自然科学的に説明されるべきだと考える。一方、構築主義では2人から見える2つのヴェズーヴィオ山があると考える。が、それぞれの視点(パースペクティヴ)におけるヴェズーヴィオ山という見かたがあるに過ぎず、ヴェズーヴィオ山の実在に迫ることはできない。新しい実在論ではヴェズーヴィオ山のそのものに2人が見た富士山を加え、3つが平等に存在すると考える。

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図にするとこうなるでしょうか。つまり形而上学と構築主義のいいとこ取りみたいな考え方ですね。ところでヴェズーヴィオ山とは……イタリアにある火山だそうです!

そしてガブリエルは急に自然科学のことをディスりはじめます。

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世界は宇宙のことではない(物理学による「世界」と「宇宙」の誤用)

自然科学(もっぱら物理学)では自然科学で捉えられる対象領域を世界と見ているが、それは宇宙と呼ばれるべきものである。自然科学で研究されるもののなかにフィクションにおける存在や芸術の価値は含まれないであろう。自然科学で『ファウスト』を研究するとしたら紙やインクの粒子の性質を対象にする他ない。ゆえに自然科学が対象領域とする宇宙は、世界全体より小さいことになる。

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自然科学が対象領域とする宇宙は、そもそも世界全体より小さい。

自然科学が対象とする領域は宇宙であって、世界よりは小さいってことですね。たしかに人文科学もあります。でも世界は存在しないんじゃないでしょうか。どういうことなんでしょう。

話は続きます。キーワードは「意味の場」らしいです。

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宇宙を飛ぶ『なぜ世界は存在しないのか』
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キーワード「意味の場」

私達がなにかについて考えるとき、なにかは私達の思考という意味の場の中にあらわれる。意味の場とは、おしなべてなにか対象がなんらかの仕方で現れてくる場のことだ。そして意味の場にあらわれてくること、これを「存在する」という。物理学や美術史、日常のあらゆる場面でのものの見方は意味の場となる。

「存在する=世界の中にあらわれる」ではなく「存在する=意味の場の中にあらわれる」ということが定義づけられました。

意味の場というのはこういうことでしょうか。例えば昼休みに昼ごはんのメニュー表を眺めるときには「食べたいものを探す」という意味の場にもろもろの食べものがあらわれてくるのであって、物理学的であったり文学的な仕方では意味の場に食べものはあらわれてくるのではない、ということ、らしいです。考え方の枠組みとかある状況での視野と捉えてよさそうですね。

さていよいよなぜ世界が存在しないのかということに話は移っていきます。

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なぜ世界は存在しないのか

世界とはすべてを包摂する概念であって、それ以外一切のものがその中に現象してくる意味の場である。つまりすべての意味の場の意味の場である。しかし世界が存在するには世界があらわれる意味の場がないといけない。世界は一切を包摂するはずなので、世界があらわれる意味の場はまた更に大きな世界の中になければならない。

つまり視野の中に当の視野そのものが映らないように、世界は世界の中に現れてこないのである。この齟齬が、すべてを包摂するようなひとつの世界なるものが存在しない理由である。

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世界は一切を包摂するはずなので、世界が存在する意味の場はまたさらに大きな世界の中になければならない。しかしそれは不可能だ。(『なぜ世界は存在しないのか』p111,図2を参考に作成)

世界は存在しない、しかしその代わりに無数の小さな世界(意味の場)が存在するのである。

わたしたちが生きている世界は、意味の場から意味の場への絶え間ない移行、様々な意味の場の融合や入れ子の動きとして理解できる。しかしそれらを包摂したひとつの「全体」は存在しない。

なんでも屋に「なんでも屋」自体を買いたい金持ちがやってきたら商売おしまいになってしまうから「「なんでも屋」を売ってるなんでも屋」が必要で、さらなる金持ちが「「なんでも屋」を売ってるなんでも屋」自体を買いに来たら商売おしまいになってしまうからさらに……、という感じなんでも屋に終わりがない感じでしょうか。

おなじように「存在する=意味の場にあらわれる」だったので、世界が存在するためには世界が存在するための意味の場が必要なんですな。じゃあ世界はすべてを含んでないじゃないか、と。

ということで世界は存在しないということが説明されました。じゃあこれでこの本はおしまいかというと…なんとまだ続きます。まだ半分です。

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色えんぴつに挟まれた『なぜ世界は存在しないのか』

肯定的実在論の2つの主張

否定的実在論の「世界は存在しない」という主張に対応する肯定的実在論の2つの主張がある。

1つめは「限りなく数多くの意味の場が必然的に存在する」。これはいかなる意味の場もそれだけで孤立して存在できないことを意味する。

2つめは「どの意味の場もひとつの対象である」。これは対象が意味の場の意味に分かちがたく結びついているということである。意味の場が互いに区別されるのは、意味の場の意味によってであり、中身(意味)のない意味の場はない。また複数の意味の場が存在しうるためには、それらの意味の場が互いに区別される必要がある。これは同一性・個別性が本質的に重要だということを意味する。

「…で?」っていう感じですね。ちょっとむずかしいことを言っていますが、ラーメン屋(意味の場)にはラーメン(意味)があって、うどん屋にはうどんがあって、なにもない店は何屋でもないし、こういうのがたくさんあってそれらはきっちり別れてるよ、という話でしょうか。

続いてマルクス・ガブリエルはこれらの武器を手に持って、世界(存在しないはずの!)を考える自然科学と宗教を批判しにかかります。

自然科学について

続いて世界を対象として視る自然科学について考えてみたい。自然科学の進歩はすばらしいことだが、世界のすべてを科学主義的に捉えようとするのは間違いである。この科学を神格化し「自然科学で何でも解き明かせる」という誤解から自然科学を守るのが新しい実在論である。行き過ぎた科学的世界像は最終的に世界を対象にしなければならないとすることによってつまずかざるを得ない。なぜなら世界は存在しないからだ。どのような科学も世界それ自体を明らかにすることはない。

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春の『なぜ世界は存在しないのか』

自然科学の進歩については「いいことだよ」と言いながら、その行き過ぎついてはNOを突きつけるガブリエルさんでした。それにしても「なぜなら世界は存在しないからだ!」は言ってみたいセリフですね。

続いてガブリエルは宗教について新しい実在論の視点から考えます。

二つの宗教の形態

同じく世界を取り扱おうとする宗教についても、新しい実在論の見地からながめてみたい。まず宗教は二つの形態に分けることができる。ひとつはフェティシズム、もう一つは無限なものに対する感性と趣味である。

フェティシズムは自ら作った対象に超自然的な力を投影することであり、科学主義もこれにあたる。宗教にしろ科学主義にしろ、フェティシズムには世界の成り立ちを決定するような「世界の背後」を想定する。それゆえフェティシズムはよくない宗教である。

一方、フェティシズム(=偶像)を否定し、無限なものに対する感性と興味である宗教である。この宗教における「神」は、どんなものも(たとえわたしたちの理解力を超えていたとしても)けっして無意味ではないという理念である。

後者の意味での宗教とは、どんなものにも意味があるはずだという情熱を持って、無限なもののなかにある意味の痕跡を探求する営みのことである。

宗教の意味

宗教の源になるのは、どのようにしてこの世界に意味が存在しうるのかを理解したいという欲求である。果たしてこの無限のように広い世界の中にいる小さなわたしたちの人生に意味はあるのか。かくして宗教とは神の意味という無限なものからわたしたち自身への回帰そのものであり、わたしたちはその無限の神を通じた自己探求を繰り返しつつある存在にほかならない。そのもどかしさが示すとおり、フェティシズム的でない宗教は世界を説明するものとは正反対のものである。

無限とか言われると参っちゃいますが、ガブリエルももどかしいって言ってますね。フェティシズム的でない宗教は、新しい実在論に近いようです。ここまで来るとフェティシズム的な視野狭窄に走るのはよくないというのは分かる気がしてきます。

続いてマルクス・ガブリエルは芸術の意味に目を向けます。

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秋の『なぜ世界は存在しないのか』

芸術の意味

芸術の意味は単なる娯楽なのであろうか? いや、そうではなく芸術の意味はわたしたちを意味に直面させることにある。日常生活の場合と違って、「見る」ことなり「聴く」ことなり、その行為自体についての構造を対象として経験する。芸術を見るとき「何を見ているのか」「見るということはどういうことなのか」と、己の行為自体をメタ的に考えさせることになる。そのため、芸術によってわたしたちは絵や音楽などの対象にたいして多様な態度をとるように促される。こうして芸術は通常の意味の場から芸術を鑑賞するという意味の場へ対象を移動させ、ものの見方を変えさせる。

どんな対象も何らかのある特定の現象の仕方で現象する他ない。たとえば単なる「イヌ」と罵倒語としての「犬畜生」との違いに見て取れるように、ちがった光の当て方によって違った現象の仕方をする。そのことを経験させてくれる芸術は思考の束縛からわたしたちを開放してくれることだろう。

行き過ぎた科学主義やフェティシズム的な宗教を否定するガブリエルは、多様な意味の場を与える芸術の意味を肯定的にとりあげます。1つの価値観に囚われることに反対するのは、なんというか民主的な考え方ですね。

残りのページ数も少なくなって、ガブリエルの言うこともだいぶ体に染み渡って来た感じがします。本ってそういう現象ありますよね。

多様性

ほかの人は別の考え方を持ち、無限に多くの意味の場を共有しながらも別の生き方をしている。それぞれの生き方をむりやり統合すべき統一性はないということを認めることこそが、すべてを包摂しようとする思考の脅迫を克服する第一歩である。

だからといってすべての見方が等しく真であるはずはないので、だからこそわたしたちは議論し、学問や芸術を振興するのである。

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どこかへと飛んでいく『なぜ世界は存在しないのか』
世界もなければ生き方を締め付ける統一性もないそうです。だいたいわかってきました。それと同時に新しい実在論は多様な意味の場を生み出すらしいです。そしてガブリエルは人生の意味について次のように語って終わります。

人生の意味

わたしたちの人生に不幸なことは存在する。しかし、存在する一切のものが無限に数多くの意味の場の中に同時に現象しているのである。つまりどんな不幸なこともわたしたちに対して現象しているのとは違ったありかたで現象することもある。これは励みになる考え方ではないだろうか。

これまで見たとおり、世界が存在しないことが意味の場の無限の多様さを惹き起こす。だが、あらゆるものが存在するからと言って、あらゆるものが良いとも悪いとも言えない。人生の意味とは、生きる、そして尽きることのない意味に取り組むことにほかならない。

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