ビビるほど気持ちよかった窓ガラス書道
神職という職業柄、勤務中には筆を握っていることが多い。御朱印や祝詞を書いたり、ボールペンが手元にないときには毛筆でメモを取ったりする。
今の仕事に就くまでは書道の経験がなかったから、毎日筆を触る生活がはじまると字がどんどん書けるようになって楽しかった。楽しかったけど、5年も経つと慣れて墨書が日常になってしまった。
刺激っ…!もっと刺激が欲しいっ……!
目の前にあるサッシの窓ガラスに字を書いてみることにした。毛筆と言いつつ普段から使い慣れているのは筆ペン(墨汁をつけて使っている)なので、それを筆と見なして話を進める。
うずうず。誰も見ていない隙を見計らって、筆を走らせた。
きもちいい!
墨汁が弾かれるもんだと思っていたけれど、逆になめらかにガラスに吸い付いていく。味わったことのない感覚だった。大いなる神様が定め給いし書道なる物、実はこっちが正解なんじゃないか?
とりあえず満足できたので証拠を隠滅した。
これは果てしない可能性を感じるぞ。ホームセンターでガラスを買って思う存分家で字を書いてみようじゃないか。
ガラスを買ってきたぜ
ホームセンターでガラスと他に試してみたい素材を買ってきた。
手始めに銅・真鍮・アルミの金属類に字を書いてみよう。ガラスより書き心地がよかったらそっちに舵を取ろうという、先の展開を見据えた一手である。
用意した金属類に文字を書いてみたところ、すべて似たような書き心地だった。
右のアルミに顕著だが、撥水性のせいか墨が乗りきらずに弾かれている。ガラスに文字を書いたときの、あの包み込んでくれるようなねっとり感のよさとは比較にならない。
ガラス書道の良さ
次に買ってきたガラスに筆で字を書いてみよう。職場で試したときと同じ感覚が味わえるといいのだけど。
それでは、いざ。
筆がぬっ……と吸い込まれるような感覚!想像どおりだ!きもちいい!
ええと、なんと言い表そうか。
マット感のあるマンガのカバー(『らき☆すた』とか)を撫でているような感じ?珪藻土マットに水が吸い込まれていく足の裏の感覚?
とにかくプリミティブな快感がある気がする。紙に字を書くのって間違ってるんじゃないかとすら思う。
よし。毛筆でガラスに字を書くのは楽しい!タイトルに偽りなしである。
いままで触れてきたのは感覚的なことばかりだったので、ここから先は言葉で伝わるガラス書道の良さをいくつか書いていこう。
その1「墨量が字の巧拙に及ぼす影響の少なさ」
そもそも、書道で難しいのは墨量の調節だと思っている。墨をつけすぎると字が無様ににじむし、少ないと貧相にかすむ。練習や技術でどうにかなる部分なのに軽視されすぎてないだろうか。
この墨量問題、ガラスに書けば字の上手い下手にそこまで影響を及ぼさない気がした。
違いが分かりづらい結果になってしまったが、ガラスの方は滲んでいないのが分かるだろう(格好はわるいけど)。
小学生の時はなにをどうやっても字が半紙の上でボヤっとにじむのが嫌だったので、それが解決したのは嬉しい。これで子どもたちのコンプレックスを解消できるぞ。
その2「修正が可能」
半紙に書いた字は基本的に修正できないし、気に入らない部分に線を付け加えることも「2度書き」としてタブー視されている。
でもガラスなら字のイジりたい部分だけイジれるのだ。
字は濡れティッシュで簡単に消すことができる。書いた直後でも、書いて一晩経ったあとの字も簡単に消せる。ガラスに墨は浸透しないんだろうぜ!たぶんな!俺っちブンケイだからよくわかんないけどよお!
…といった具合である。今回は字をまるごと消したが、もちろん一画単位での修正も簡単である。最高だ。マジで書道の授業はガラスでやったほうがいい。
その3「毎日違う書が飾れる」
絵画や書が飾ってある家は富裕層っぽくて憧れる。そうだ、自分で書いた作品を飾るだけならラクなうえにタダじゃないか。
でも、飽きがくるだろう。絵とか書とかって。変化しないしな。行雲流水の精神を是とする私には物足りない。
そこでガラス書である。ガラスに書かれたものは一瞬で消せるし、毎日違う作品をつくって飾ることができるのだ。
作例を以下にあげよう。読者諸姉諸兄の文化的新生活の一助になれば幸甚である。
う〜ん、最後のがいちばんいいな。
じっと眺めていると文明開化の音がしてくるようだ。おまんら、日本の夜明けはだいたい6時ぜよ!!