エグングンがはじまる
大蛇の神殿(Temple Des Pythons)の前で、人びとがぐんぐんに密集する。ついにエグングン祭りがはじまるのだ。
アビジャンでスマホを失った「盗まれのプロ」の同行者Tさんは、ガーナの電器店で中国製を買った。そして私は、トーゴの暴漢からiPad Proを取り戻していた。
準備は万端だった。ぐんぐんに気持ちが高まった。
先祖が憑依して踊りだす
エグングン(Egúngún)は、西アフリカに住むヨルバ族の風習だ。
ヨルバ族の人たちは、肉体の「死」を命の終わりと断定しない。先祖は精霊となって、特別な衣装を着たシャーマンに憑依して踊りだす。それがすなわちエグングンである。
エグングンの衣装(ノースカロライナ美術館蔵、画像使用の許諾済み)
エグングンの深奥は、外来の者には知りえない。ブードゥーの信仰が根ざした集落で、ひっそりと多発的に催されるからだ。
我々は最もメジャーなエグングンを狙った。「海岸の町・ウィダーのどこかで1月10日にやる」との情報だけを頼りに、あとは現地で取材するしかなかった。つまりはいつものスタイルだった。
トラベル・アドバイス①「ホテルを予約しよう」
エグングン祭りは大人気だ。ウィダーの宿は1か月前にほぼ満室となる。我々は出遅れて、唯一の売れ残りを予約した。
男2人で4畳半のワンルームに泊まった。クーラーが壊れ、トイレの鍵が壊れた。コンセントの過電流でiPad Proが壊れた。受難を求める者には最高のホテルだった。
受難を求める者には最高のホテルで、ドイツ人のお婆さんに会った(ドイツ人の旅行者がいない国は存在しない)。お婆さんはすでにエグングンの日程を調査済みで、そのメモを複写させてもらった。古代文字を解読したような気持ちに私はなった。
「神殿の儀式は朝8時から」と、お婆さんは言った。
それぞれの集落からやってきたであろう人びとが、それぞれのスタイルで参拝してゆく。
そこには祈祷があり、舞踊があり、合唱があり、ジャンベ(太鼓)のビートがあった。白煙がたちこめ、聖火が運ばれ、生身の蛇が首に巻かれた。待たれていた日の熱気があった。
儀式を終えた歴々は、車に乗り込み、次なる会場へと走り去った。白人向け観光ツアーが小型のバンでそれを追いかける。
インディペンデント系の旅行者である我々は、すぐさま往来のバイクの兄ィに小銭を握らせた。「あの車を追いかけてくれ!」
「Oui」と兄ィが笑った。「おれの背中に掴まってろよ」
その道はかつて奴隷の道と呼ばれていた。百万を超える黒人たちが、帰らざる門(Porte de Non Retour)からアメリカに売られた。
バイクは奴隷の道を抜け、帰らざる門に向かってゆく。ブードゥーの祭りはエグングン、その宿命の開催地へと。
ブードゥー市場に行く
エグングン祭りの数日前、トーゴの呪物市場(Fetish Market)に足を運んだ。
参観料を払えば撮影OKで、ベナン出身のガイドさんが解説もしてくれる。ブードゥー入門としては最上のスポットなのであった。
生贄の血を注ぐための器具
「Satoruさん、シャーマン(呪術師)には気をつけてください」と、友人のMさんが出発前に言った。
かつて彼女は、国際機関Rで紛争国Sに駐在していた。傷痍者に義足を届ける仕事だったが、それを地元のシャーマンに妨害された。
「義足があると、人びとの呪術への畏怖が薄らいでしまう。つまり我々とシャーマンは競合他者だったのです」
私は奥さんの訓戒を思い出した。目に見えない力を侮るな。祀りかたを知らずに呪物を買うな。これを厳しく命じられた。
神道を信じる奥さんは、結婚前には巫女でもあった。すなわち広義のシャーマンである。私の人生におけるシャーマンとの接点が、ここにきて急に前景化してきた。
我々のほかに観光客はいなかったので、ガイドさんからブードゥーの話をじっくり聞けた。
曰く、半鐘を鳴らして集会を知らせる。曰く、男性器を模した棒で子宝祈願をする。曰く、ご神木には縄や布を巻いて崇める。路傍にある道祖神の像にお供え物をする。祭りの日には笛を吹く。
「おや?」と私は思った。この話には親しみがある。極東のアジアの島国にも、たしか似たような風習がなかったか。
子安貝つきの革袋をお守りにする。子安貝はダホメ王国の貨幣だったことを踏まえると、これも極東の島国に通じるものがある
旅を司る精霊と交信するアイテム。道中に心配事があるとき、穴から精霊に話しかける(普段は穴を塞いで「通信OFF」にしておくのがマナー)
奥さんの言いつけを遵守した
トラベル・アドバイス②「ダホメ王国を知ろう」
ブードゥー教の始祖とされるダホメ王国(1600~1904年)は、世界史のなかでもユニークな位置を占める存在だ。
文字の概念はなかったが、行政機構は洗練されていた。公務員の役職には必ず男女のペアで配属された。女性だけで組織される軍隊もあった。捕虜は容赦なく殺戮された。
ダホメ王国は人口統計の価値を理解していた。定期的にボトムアップ式の国勢調査があり、その結果は王のみが知り得る機密事項だった。数字を外に漏らした村長は絞首刑になった。
物品の価格を決めるのは、市場原理でも国家統制でもなく、地方の女性商人や職工組合だった。その経済システムはどの国にも似ていなかった(私は旅行中にカール・ポランニーを読んでいた)。
近隣国との武力衝突が頻発して、大砲1門と721人の奴隷が交換された。西欧の武器商人が富を築いた。移送中に病んだ奴隷は海に捨てられた。アメリカの経済が豊かになった。
ゲゾ王(マダグングン王子)の時代に使われた国旗
ダホメ王国を知ることで、旅の滋味は深くなる。
祭祀と政治が一体化したアボメーの王宮。奴隷狩りを逃れた人びとが住むガンビエの水上集落。そしてウィダーの帰らざる門。
いつか「地球の歩き方 ベナン」が編まれるなら、この3地点は特記されるに違いない。
「アフリカのヴェネツィア」とも呼ばれるガンビエの水上集落
エグングンがはじまった
我々はバイクに乗って、帰らざる門に到着した。エグングン祭りはここで開催されるのだ。
「なにしろブードゥーの大御所が一堂に会するのだから、物々しい雰囲気だろうな」と思いきや、そうでもない。ベナンに来てからずっと感じていた、のどかな時間がここにも流れているのだった。
「精霊の憑依待ち」らしきエグングン衣装
紅茶を飲んで、ちょっと一息
セキュリティもゆるい。ベナンの閣僚やアメリカ大使などの要人が出席するのに、入場検査の類はない。
かつて手荷物を没収されたイランのエマーム・レザー廟(イスラム教シーア派の聖地)とは比べるまでもなく、その空気はむしろ私の記憶にある千葉県習志野市の小学校の運動会に近い。まあそれはそれでハッピーなので、私としても異存はない。
砂場に区画ごとのテントがあるのも運動会っぽい。来賓席、保護者席…
身分の高そうな人たちが集まってきた
校長先生だかPTA会長だかの遠大なスピーチが終わって、次の部は「のど自慢&舞踊大会」である。
どうやら集落ごとの対抗戦らしく、「XX村から来ましたXXです。今日はがんばります。よろしくお願いします!」みたいな挨拶が冒頭にある。マイクの音量が大きすぎて音割れを起こしたりする。まことに平和そのものである。
どの組もさすがにレベルが高かったが、何事にも例外はあるもので、1組だけ規格外のチームがいた。
そのチームのダンスは不揃いで、太鼓のリズムは乱れ、歌姫の熱唱は音程という概念を超越していた。圧倒的な前衛芸術が披露されているのか、圧倒的な練習不足であるのか、そのどちらかであることは疑いなかった。
「メルシィ・ボークー!」と、司会のおじさんが叫ぶように言って、そのパフォーマンスは開始まもなく中止となった。
そしてついに、真打が姿を見せるときがきた。
精霊が憑依したのは、威厳のある、それでいて愛嬌もある、円錐のフォルムをした異形であった。クロード・モネという画家が描いた「積みわら」を私は連想した。
この「積みわら」は、ふさふさしていて重たそうだが、動き出してみると意外にもスピードがあり、おまけに好戦的で、周りの男たちに襲いかかっていく。どうやら気性の荒い精霊のようだ。
手に負えなさそうな「積みわら」だったが、勇敢な戦士たちの活躍によって、ついにその一体が倒された。
すると、「積みわら」が、なにやら蠢くものを吐き出した。
それは神殿に祀られた大蛇であった。
選ばれた男が、シャーマンの王らしき人物に大蛇を捧げる。
ブードゥーの祭りはエグングン、その伝統は2020年にも継承されたのであった。
ブードゥー・ジャズのグループに入った
エグングン祭りは前日から盛り上がる。銀行などは休みになるし(外貨両替もできなくなる)、あちこちの路地裏から祭囃子が聞こえてくる。海岸の町が非日常の喜びで満たされる。
私はブードゥー・ジャズのコンサートに参加した(その直前に編集部石川さんからインタビューを受けた)。そこでジャズメンの支配人と親しくなって、あとから日本凱旋ツアーの支援を頼まれたりもした。
最近では、Whatsapp(メッセンジャーアプリ)の連絡グループにも入れられた。69名のメンバー(私以外は全員黒人)から、次回公演の相談、自撮り画像、デモ音源などが、私のスマホにどんどん送られてくるようになった。
私とブードゥー・ジャズの関係がこれからどのように発展するのか、それを知るのは精霊だけであるようだった。
コロナ対策のお守り画像が送られてきた