方言の専門家
これまで津軽弁について全く馴染みが無かったが、津軽弁ネイティブに教えてもらうと少しわかった気になれた。これって、けっこう贅沢な時間だったのではないか。「事前に自力で考え、そのあと専門家に解説してもらう」という知的好奇心くすぐり体験を、方言という形で実現することができた。
そして、地方出身者の多くは、その方言の専門家なので、複数人でお互いの方言をまじめに学びあうというのも面白いかもしれない。
「日本一難解な方言」とも言われる津軽弁。自力でどこまで解読できるのかやってみた。
同じ日本語なのに、言葉の表現やイントネーションが全然ちがう。それが方言というものだ。特に、青森県の方言は難解なことで知られている。青森県には津軽弁・下北弁・南部弁などがあるが、一番有名なのは津軽弁だろう。
これは完全に興味本位なのだが、津軽弁を全く知らない筆者が、津軽弁で書かれたものだけを見て、どこまで理解できるだろうか。もしかすると、頑張れば解読できるのかもしれない。
ということで、この記事では津軽弁を攻略したい。題材として、津軽弁の標語を使う。実は、青森県警は「方言を活用した広報標語」と題し、津軽弁の標語をWebページに掲載しているのだ。
この標語が面白く、しばしばテレビやネットで取り上げられているようだ。そういえば筆者も月曜から夜ふかしで見た覚えがある。どうして面白いかというと、とにかく意味がわからないのだ。
こんなにも意味がわからないと何だか燃えてくる。何とか解読できないものか。
解読のルールはとてもシンプルである。
青森県警のWebサイトには、津軽弁の標語が59個掲載されている。個々の標語の意味はわからなくても、何個か見ているうちに、ぼんやりと意味が推測できるはずだ。もちろん、辞書やWeb検索はNGだ。
先に白状しておくと、この時点では完全に侮っていた。言うても同じ日本語じゃないですか。しかも標語である。標語のテーマはだいたい同じなので文脈判断である程度いけるはず。100点満点は無理にしても80点ぐらいは行けると思っていた。
しかし、やってみると笑っちゃうぐらい難しい。解読作業は極めて困難を極めた。2時間ほど検討して半分も埋まっていない。それでも最後は「エイヤ!」で全部埋めた。
最後のほうは、TOEICの時間切れ直前にとりあえずマークを塗りつぶす作業と同じだった。解読の限界を感じた。
一応、単語ごとに標語を逆引きできるようにもした。複数の標語に登場する単語は、これで意味を類推しやすくなった。そういう執念はすごいみせた。
さて、ここからは解読結果と答え合わせをお見せする。答え合わせに付き合ってくれたのは、デイリーポータルZをはげます会の会員で、津軽弁ネイティブでもある渡辺さんだ。
ほり:今日は津軽弁を解読してきたので、答え合わせをお願いします
渡辺:こちらこそよろしくお願いします。それにしても、よくまあそんなところに興味を持たれましたね
さっそく、筆者の予想を渡辺さんに見せて、判定してもらう。
ほり:まず、濁点を消すと読めることに気が付いたんですよ
渡辺:ふふふ
ほり:「ご → こ」「づ → つ」「が → か」のように、濁点を消すと意味が通じる場合がありそうです。この法則、合ってますか?
渡辺:その法則は合ってます。ただ、文の意味は違いますね。1句目の「わっきゃあば」は「わっきゃ = 私って」「あば = おばあちゃん」なので、意味は「おばあちゃんなんて言われたことない、私って『あば』(津軽弁でおばあちゃん) なので」になります
ほり:なるほど、標準語のおばあちゃんと津軽弁のおばあちゃんか。つまり、「オレオレ詐欺の電話が標準語でかかってきても、津軽弁の人は引っかからない」という面白さか…!
渡辺:いきなり難しいのに挑みましたね。ちなみに、2句目は惜しい。「くれ = 暗い」は合ってますが、「けんど = 道路」です
文の細かい意味は全然当たらなかったが、「濁点を消す」という超重要な法則は合っていた。津軽弁解読の第一歩である。
続いて、オレオレ詐欺の標語で見つけた言葉についての予想。
ほり:オレオレ詐欺に対し「な、だだば」という津軽弁が通じなければ偽息子という、津軽ならではの撃退方法ですね。「な、だだば = はい、もしもし」ですか?
渡辺:「はい、もしもし」じゃないんですよ。「な = お前」「だだば = 誰だ」で、「な、だだば = お前誰だ」です
ほり:あ~。そっちか~!確かに、「はい、もしもし」ならスルーされても気づかないけど、「お前誰だ」をスルーしたら通じてないのがバレますからね。そこまで考えれば正解できたかも。悔しい!
渡辺:ちなみに、「ちかしけんな」は「ちかしい = なれなれしい」「けん = ~みたい、~ふりをする」なので「ちかしけんな = なれなれしいふりをするな」です
これは頑張れば正解できたはずの問題である。こういう問題をとりこぼすのは非常にもったいない。
続いてもオレオレ詐欺関連。
ほり:ちょっと自信あります。「じぇんこ = 現金」ですよね?
渡辺:はい、その通りです
ほり:やった!
石川:おめでとうございます
渡辺:「はかめいで = あわてて」も合ってます。ただ、「ふと」は「ひと」です。「ふとさきげ = 人に聞け」です
ほり:標準語のイ段が津軽弁でウ段になるのはよくありますか?
渡辺:そうですね。例えば、津軽弁の「ちんず」(※実際には「つんず」に近い発音でした) には3つの可能性があります。知事(ちじ)、地図(ちず)、チーズ(ちーず)です。イ段がウ段になったり、伸ばし棒が「ん」になったりします
ほり:むずかしい…
イ段がウ段になるの、面白いなぁ。なんとなく他の方言でもありそうだと思ったのであとで調べてみたら裏日本方言というらしい。Wikipediaによれば、日本海側および東北地方で、イ段とウ段の母音が近い発音になり、特に、シとス、チとツ、ジ(ヂ)とズ(ヅ)の区別がなくなるそうだ。まさしく「ちんず」の例である。
続いても自信がある。交通標語から。
ほり:「あがしっこ = 明かり」ですよね?
渡辺:はい、その通りです
ほり:「はっけでけ」が完全にあてずっぽうなので教えてください
渡辺:「はっけでけ = 走ってください」です。「はっける = 走る」で、「け」や「けろ」は「~してください」です。ただ、自転車に対して「走る」と表現するのは津軽弁特有のコロケーション(※よく使われる単語の組み合わせ)です
ほり:確かに、標準語では自転車には「乗る」を使いますね
渡辺:そういう津軽弁独特のコロケーションってあるんですよ。「手袋を履く」って言うんですよ。靴下みたいに
へんなコロケーションも方言あるあるだ。ちなみに、筆者の地元では、机を運ぶことを「机をつる」という。愛知県や三重県北中部の方言。
石川:そういえば、「あがしっこ」のように、「~っこ」がつくのもよくあるんですか?さっきの現金の「じぇんこ」もそうですよね
渡辺:はい。じぇんこは「銭っ子(ぜにっこ)」からきています。親しみを感じている物に対して「~っこ」をつけます。しょうゆは「しょうゆっこ」になります。嫌われる物にはつけないです。ゴキブリとか
ほり:大阪で飴のことを「飴ちゃん」って言う感じですかね
渡辺:そうですね。津軽では「飴っこ」て言います。秋田や山形でも言うと思いますよ
続いて、津軽弁だじゃれの標語が2つ。
ほり:「まねー」に強い拒絶を感じました。「追い払え」ですか?
渡辺:「強い拒絶」まであってます。「まねー = ダメ」です
ほり:そっちか~。シンプルに考えればよかった
石川:そうすると「NO!」と「まねー」は同じ意味なんですね
同じ津軽弁だじゃれの標語が2つもあるので、青森県警はよっぽどこのだじゃれが気に入ってるんだろう。なんかいいな…。
続いて、3つの句に登場した「あずましい」について。
ほり:これ自信あるんですけど、どうでしょうか?
渡辺:ブー!
ほり:ダメか~。「まねー」か~
渡辺:「あずましい = 心地よい、安心できる、安全な」という意味です。温泉に入ったときに「あずましい~!」とか、友人の素敵な部屋におじゃましたときに「あずましい部屋」と言ったりします
ほり:ポジティブな意味ってことは合ってたのに、詰めが甘かった…
渡辺:他はだいたい合ってるんですけど、「わどなど = 私もあなたも」「けっぱって = 頑張って」です。
ほり:なるほど、「わどなど」の「な」は「な、だだば」の「な」と同じですね。ひょっとして「けっぱって」は「気を張る」ですか
渡辺:はい。震災後に「けっぱれ青森」というスローガンを見ました
続いて、たびたび見かける「~さ」について。
ほり:「~さ」をよく見かけるんですよ。「~は」「~を」「~に」「~へ」「~が」などいろんな意味が当てはまりそうなのですが、いかがでしょうか?
渡辺:これは「~に」と「~へ」だけですね
ほり:ええっ…。これはやばい
渡辺:逆に、津軽の人は「~さ」で「~に」と「~へ」の意味をカバーするので、標準語話すときに「~に」と「~へ」の使い分けが苦手なんですよ
渡辺:意味は1句目「ピカピカに目立てば、(夜道を歩いている時に)車にひかれない」、2句目「腹が立っても前の車に構うな」、3句目「どっさり屋根に積もった雪 片づけるときは命綱」です
ほり:え、「とろける = 片づける」なんですか?「雪が融ける」かと思いました。超引っかけ問題だ。
渡辺:そうなんですよ。昔、祖母に「部屋をとろけろ~!」と怒られたことがあって困惑しました。かなり古い表現です。そういえば、古語が津軽弁に残ってることってあるんですよ。古語の「うたてし」(「嘆かわしい」の意味)が、津軽弁の「うだで」として残っていて、「すさまじい」という意味に変わっています
ほり:なるほど。古語が津軽弁の中に残って、その中で派生しているんですね。面白い
続いて、わからなすぎる標語。推測のしようがない標語たちである。
ほり:「だびょん」って!なんですかこれは!!わからなすぎて、めちゃくちゃてきとうに予想しました。
渡辺:「だびょん」は「~だろう」です。「明日は雨だろう」は「明日は雨だびょん」と言います
ほり:へ~!なんだか、かわいいですね。「ごった」はなんですか?
渡辺:「ごった」は私も使わないので、調べますね…。どうやら、「ごった」は南部弁で「~そうだ」(様態)の意味のようです
ほり:あ、そういえば標語には複数の方言が混ざったものもあるのでした。ということは「『~だろう』『~そうだ』よりまず確認」 ってことですね。「だろう運転」より「かもしれない運転」的な
渡辺:津軽弁の私は「ごった」より「だびょん」派ですけどね
石川:どっちの方言も意識した標語なのかもしれませんね
ほり:「どさ? 署さ!」は何でしょうか?短すぎ。やば標語ですね
渡辺:「どこに行くの? 警察署へ!」ですね
渡辺:実はこれ、津軽弁のある冗談が基になっています。これ、見えますか?
ほり:あ、似てる!
渡辺:「どさ?湯さ!」は「どこ行くの?お風呂に行くの!」ですね。これがオリジナルです。「津軽は寒いから口をあまり開かずに話す」という津軽弁の面白さを広めている伊奈かっぺいさんという方がいます。「どさ?湯さ!」はたった四文字で文が成立するという極端な例で、彼が有名にした言葉です
ほり:恥ずかしながら存じ上げておりませんでした。青森のスターなんですね
渡辺:ちなみに、伊奈かっぺいさんがライブをしていた会場が「だびよん劇場」という名前です
ほり:だびょん!「~だろう」だ!「だろう劇場」
最後に、激むずの標語について解説してもらう。
ほり:「わんつか」が「わんさか」っぽいので「たくさん」にしました。あと、この標語が交通標語の中にあったので、飲酒運転防止の標語ということにして訳してみましたが、全く自信がありません。59個の標語の中で一番難しかったです。正直、何一つわからない
渡辺: ひとつずつ訳していきますね。まず、「わんつか = ちょっと」です
ほり:いきなり真逆の意味だった
石川:「わんさか」じゃなくて「わずか」でしたね
渡辺:続いて、「だはんで = だからといって」です。「けね = 大事(おおごと)じゃない」「でばな = ~だよね」なので、前半は「ちょっとだからといって大事じゃないよね」となります
渡辺:続いて、「んだなへ = そうかい?」「そいだば = それなら」「まね = ダメ」「でばな = ~だよね」
ほり:「まね」はさっき出てきた「まねー = ダメ」ですね。ここにも出ていたのか
渡辺:後半は、「そうかい?それならダメだよね」となります
ほり:つまり、飲酒運転の標語ですね。「お酒ちょっと飲むぐらいなら大丈夫と思っていてもダメですよ」という
筆者の予想は奇跡的に大意は外していなかったものの、細かなところは何一つ合っていなかった。特に、「んだなへそいだば」は「んだな ・へそいだば」だと思っていたが、実際には「んだなへ・そいだば」だったので、切るところすら間違っていたことになる。0点だ。
非常に得るものの多い解説だった。渡辺さん、ありがとうございました。解説でわかったことをまとめる。
そのほか、個別の単語の用例もユニークでおもしろかった。「とろける」は「とける」じゃなくて「かたづける」の意味だったし、「だびょん」は「~だろう」だった。
さて、渡辺さんの解説のおかげで津軽弁がわんつか(ちょっと)わかった気になったが、感心している場合ではない。当初のテーマは「津軽弁の標語を自力で解読する」だった。当初予想した59個の津軽弁、いったいどれくらい解読できていたのだろうか。
青森県警のWebサイトには、標語だけでなく、標語の意味も掲載されているので、それを用いて自己採点する。それぞれの標語に対して、次のルールで採点する。
採点ルール
どの語も完璧 → 3点
1つの言葉の意味が違っている → 2点
2つの言葉の意味が違っている → 1点
3つ以上の言葉の意味が違っている → 0点
採点結果はこちら。
結果は174点中、94点を獲得。得点率は54%である。ん~。まだまだ修行が足りないな。
言い訳をすると、そもそも、標語は5・7・5の型に当てはめられる場合が多く、そのために冗長な表現をそぎ落とすことが多い。解読する側からすると冗長な表現こそが文意をつかむチャンスだったりするので、なかなか厳しい戦いだった。その割には検討は見せたと思う。
最後に、津軽弁の聞き取りに挑戦した。当サイトでは過去に「津軽弁が分からない」という記事があり、木村さんのお父さんが津軽弁を話す動画がある。聞き取れるだろうか?
お、意外と聞き取れるようになってる!
進研ゼミ並みの伏線回収だ。渡辺さんに教えてもらった表現がどんどん出てくる。自分の成長を感じられてうれしい。
これまで津軽弁について全く馴染みが無かったが、津軽弁ネイティブに教えてもらうと少しわかった気になれた。これって、けっこう贅沢な時間だったのではないか。「事前に自力で考え、そのあと専門家に解説してもらう」という知的好奇心くすぐり体験を、方言という形で実現することができた。
そして、地方出身者の多くは、その方言の専門家なので、複数人でお互いの方言をまじめに学びあうというのも面白いかもしれない。
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