タピオカ麺こと"バインカン"という料理
ベトナムへ移って間もない8年前、近所にあった掘っ立て小屋に毛が生えた程度の簡素な建物に、プラスチック製のイスとテーブルを置いただけのお店。そこで食べたのが、バインカンとのファーストコンタクトだった。
当時はタピオカ自体食べ慣れていなかったし、「たまに見かけるココナッツミルクに入った小さな粒」くらいの認識だったので、それがいきなりうどんくらいの太めの麺としてまとまった形で食べる違和感は凄まじかった。ただそれは確かにツルツルモチモチとしてうまかった。
ツルツルとすべる麺を、舌の上で落ち着かせ、ゆっくりと咀嚼する。食感はタピオカですからモッチモチ、噛めば歯をほどよく押し返す。ダシは豚だったりカニだったり魚だったりとその土地によりさまざまで、海沿いの街なら魚の練り物がよく入っている(写真は豚骨)。つまり、日本のラーメンや味噌汁、なんにでも言えてしまえそうだが、同じバインカンでも食材には地域性が出る。
このバインカン、以前書いた「10種類のベトナム麺料理を食べてまわる」という記事でも紹介している。当時は10あるうちの1つだったのでサッと触れただけだったが、このたび(個人的には)かなり衝撃的な事実を仕入れることができたので話したい。それは最後の方にて。
バインカン屋はタピオカミルクティーをどう思ってんの
バインカンを取り上げるにあたってまず思ったのが、「バインカン屋はタピオカミルクティーのことをどう思ってるのか」ということだ。形こそ違うが主役はどちらもタピオカ、「同じタピオカ使ってるのにあっちは成功しやがって…」というライバル心を燃やしていないか。
片やベトナム料理、片やグローバルに広がったスイーツ・ドリンク、畑が違いすぎるし比べるものでもないんだが。気になるというか、ただ単に自分が「タピオカミルクティーがこんなに注目されるならバインカンだって同じく見てほしい」とい思っていたりして、当のバインカン屋の主人はどう思ってるのか気になっていた。
バインカン屋自身はどう思っているのか聞きたかった。聞きたかったが、「オーナーは不在」と言われたので潔く諦めた。すごく落胆したがどう考えてもアポイントを入れていなかった自分がわるいので、その場にいたアルバイトらしき高校生くらいの女性店員に話を聞いた。
水嶋「タピオカミルクティー好き?」
店員さん「好き!よく飲んでるよ」
水嶋「あれって、タピオカやんか」
店員さん「?」
水嶋「?」
店員さん「??」
水嶋「??バインカンと同じ原料だけど、どう思…」
店員さん「え、待って、タピオカミルクティーとバインカンって同じ材料なの?」
水嶋「お、同じだよ!?」
店員さん「あー!確かに食感似てるねー!」
マジか!そもそも原料が同じだと知らなかったんだ!
「いや、思いきり『タピオカミルクティー』って言ってるじゃねぇか」と突っ込まれる前に話しておくと、そこはベトナム語での会話なので『タピオカ』という言葉は使っていませんでした。つまりタピオカミルクティーとバインカンは呼び方自体が別物なので、そう考えると原料が同じタピオカだと知らないことも納得はいく。
でも、確かに、そうかも。今こういう切り口で取材しているからこそ知っているだけで、自分が10代の頃に食べ物の原材料なんて大して気にもしてないし、もっと言えばベトナム在住日本人でもバインカンがタピオカでできているということを知らない人もいるかもしれない。
バインカンのタピオカは地域色だったのか?
タピオカミルクティーとバインカンが同じものでできているということを知らなければそれ以上掘り下げようもない。さてどうしたもんかね、オーナーの連絡先聞いてみようか、なんて通訳のトゥさんと話していると、そこで!トゥさんからポロッと衝撃的な言葉が飛び出した。
トゥさん「私の地元ではバインカンにタピオカ入ってなかったんだけどな」
ネルソン「えっ?」
なんですと?
ネルソン「トゥさん地元どこ?」
トゥさん「ニャチャン」
ネルソン「バインカンってタピオカ麺じゃないの?」
トゥさん「地元じゃ昔はタピオカ入ってなかったよ」
ネルソン「え、じゃ、バインカンって何をもってバインカンなの?」
トゥさん「何をもって…え?」
ネルソン「ごめん、日本語的表現が過ぎた」
トゥさんからよくよく話を聞くとこうである。
地元のニャチャンではトゥさんが子どもの頃、バインカンは米粉だけでつくられたものしか見なかった。タピオカでできたバインカンを見たのは今から16年前、まだトゥさんが10代の頃、ダナンでがはじめ。その食感にかなりビックリしたというのだから記憶違いということもなさそうだ。それから徐々に地元でもタピオカ入りのバインカンを見かけるようになったのだという。
また、タピオカの原材料であるキャッサバはトゥさんの地元では多くの家庭でつくられ、人の食用である一方で養豚用の飼料、豚のエサとしてもつくられていたとのこと。つまり、あり余っているキャッサバは「節約メシ」の定番だった。そのイメージはしやすい。なぜなら南部にはクチトンネルという、ベトナム戦争時に南ベトナム解放戦線(「ベトコン」という呼称は聞いた人もいるだろう)が拠点にしていた地下トンネルがあり、そのツアーに行くと当時の食料としてキャッサバが出るからだ。
ネルソン「じゃあ…南部では、タピオカに良いイメージがないからバインカンには使われなかったのかな??」
トゥさん「うーん…いや、あ、分かった!」
トゥさんが両手をパンと叩いて話しはじめた。
台風とタピオカとバインカンの関係
トゥさん「中部って台風が来るでしょ!」
ネルソン「うんうん」
トゥさん「だから稲作が少ない、北部と南部が中心」
ネルソン「そうだね、それは知ってる」
トゥさん「つまり、中部は米粉が少ないから、バインカンの材料をタピオカで補った」
ネルソン「あー、なるほど!」
「南部がタピオカを使わなかった」のではなく、「中部がタピオカを使わざるを得なかった」ということか。
もともと中部では稲作が難しく、米の生産量が少ない。2009年と古いデータになってしまうが、中部と南部では3倍差がある(出典)。しかし、バインカンは食べたいのでその代用としてタピオカ粉を使った。それが16年前の時点ではニャチャンまで浸透しておらず(だからトゥさんはダナンではじめて食べて驚いた)、それからさらに時間が経過して、今はホーチミン市でもバインカンといえばタピオカ入りが定番化するようになった。
ガッツリ調べた訳ではないのでまだ仮説ではあるし、ベトナム語版のWikipediaを見てみると「バインカンの主成分はタピオカ粉、オプションで米粉」とある。ただもしかしたら、この「バインカン=タピオカ麺」という定義が必ずしも絶対でなかったと考えると(トゥさんによると今もニャチャンには100%米粉のバインカンがあるという)、陰謀論とかじゃないけど、すごく興奮する。
ベトナムでもかつて限定的タピオカブームが起きていた
タピオカミルクティーが流行るならバインカンだって知られてほしい、と思って取材してみた今回の話だったが、まさかバインカン史の中でタピオカブームの形跡を発見するとは思わなかった。これはベトナムの話だけど、こうした「節約のための工夫が結果的に食文化として定着する」という話は日本もそうだし、世界各地にあるのではないかと思う。そういえば韓国では雨の日にチヂミを食べる習慣があるらしいが、それもまた「雨の日は家のありもので料理をつくる」背景もあるとのこと。