夢は叶う
夢は叶えるものだ。そして、叶うものだ。将来の夢が赤道でもいいのだ。だってなれるのだから。割と本当に感動があった。地球の中心にいるんだ、という感動。赤い服を着て外を歩ける自分のメンタルは強い、という感動。小学生の自分に言いたい。20年後に赤い服を着て外を歩くんだよ、と。なんと思うだろうか。たぶん「はぁ?」って言うと思う。
赤道というものがある。地球の中心を通り、その線により、南半球と北半球が分かれる。北緯0度0分0秒だ。アジアではインドネシアに赤道が通っている。学校の授業で知ってはいるけれど、日本には通っていないので、実際に見たことはない。
そこで赤道を実際に見に行って、赤道になりたいと思う。しかも、せっかくの赤道なので、赤道の本場とも言える場所で赤道になる。赤道と名付けられた国があるのだ。それは「エクアドル」だ。
いつかは大きなことをやりたいと誰もが思う。国を動かすようなことや、宇宙遊泳、地図に残る仕事など大きなことに憧れる。小さなことも大切だけれど、誰もが知っているようなことをやってみたいのだ。
赤道、世界中の誰もが知っている。その一部になりたい、というのが私の夢だ。赤道という線により、地球は南半球と北半球に分かれる。世界地図を見れば必ず記されている。絶大な知名度がある。その一部になりたいのだ。
赤道の一部になるためにどうすればいいのか考えた。そこで「エクアドル」である。南米にある国だ。スペイン語で赤道を「エクアドル」と言う。つまりエクアドルという国は赤道そのものなのだ。赤道の一部になるためにはエクアドルに行かねばならないだろう。
自然の一部になりたい、地球を感じたい、と言ったりする。それを同じように、赤道になりたいのだ。そのために赤い服を持って私はエクアドルを目指した。片道24時間。全ては赤道になるためだ。大きなことやりたい、それが私にとっては赤道になるということなのだ。
赤道というくらいなので赤い道。その一部になるには赤くある必要があると考えた。そこで赤い服を持ってエクアドルを目指した。私の気持ちは高ぶっている。だって赤道になれるのだ。初めて赤道に憧れたのは、小学校の授業で赤道の存在を知った時だったかな。長年の夢が叶うのだ。
長い飛行機の旅を終えてキトに到着した時、私はすでに赤い服を着ていた。まだ赤道ではないけれど、赤道を意味する国「エクアドル」。もう赤い服でいいじゃない。またキトはキト族から来ているが、そのキト族のキトは「自由」という意味。赤くなるのは自由なのだ。
赤道に行く前に寝込むことになった。あんなにテンション高く「俺は自由だ」と言ってはしゃいでいたのに、キトのホテルのベッドで寝ている。高山病になったのだ。キトの標高は2800メートルほど。富士山の7合目くらいの高さということになる。
脳みそを握りつぶされている感じがすると同時に、頭蓋骨が破裂しそうにも感じる。さらに目玉が飛び出そう。それが高山病だ。本当にキツい。これが赤道になるということ。赤道になることの壁の高さを感じる。赤道とは本来、人がなれるものではないのだろう。
高山病克服に2日かかった。赤い服でひたすらベッドで寝ていた。しかし、私は夢をあきらめなかった。夢はあきらめなければ叶うのだ。ベッドから飛び出し、赤道が通る北緯0度0分0秒を目指す。街を歩き、バスに乗り、その場所へと歩みを進める。
赤道が通るサンアントニオ村に1時間半ほどかけて到着した。ここに赤道が通り、赤道記念碑も建っている。私が小学生の頃に憧れ、長年目指していた場所だ。そんな場所に到着したのだ。
赤道記念碑に入るためのチケットを買う。私の格好を見て現地の方が「ディアブロ?」と言っていた。悪魔という意味だ。いやいや赤道ですよ、と言ってはみたが、赤道はこちらの言葉で「エクアドル」なので、どこにも「赤」の要素がない。現地の方の頭の上に「?」が灯っていた。
スペイン語で考えると赤道になるには、エクアドル人になるしかないけれど、今回は日本語で考える。赤道という名前を聞いて赤道になりたいと思ったのだから、日本語で考えて問題ないだろう。小学生の頃からの夢。それが叶う瞬間だ。
赤道には線が引かれている。その線の上に寝転ぶ。赤道になった瞬間だ。赤道の線が赤ではなくオレンジなので、いつもオレンジの服を着ている私は普段着の方が線に馴染んだけれど、「いま俺は赤道なのだ、地球の中心なんだ」という喜びがある。
ちなみに赤道は暑いイメージがあるけれど、ここは標高が高いので、22度くらい。平均気温では14度くらいだそうだ。キトは常春と言われるほどで、全然暑くはないのだ。もっともこの赤い服はそこそこ暑いのだけれど。
赤道記念碑で北緯を確認すると0ではなかった。GPSの精度がよくなり、計り直すとここではないことがわかったそうだ。私のスマホは民生機なので、もちろん誤差があるけれど、正式にも赤道記念碑の場所は赤道ではないと今はわかっている。
赤道記念碑から5分ほど歩いた場所に「赤道博物館」がある。ここに本当の赤道とうたっている場所がある。いろいろ説があって、どれが本当の赤道なのかわからないけれど、ここまで来たのだから行っておこうと思う。
ここは赤道の線が赤かった。赤い服を着て来てよかった。なぜ赤いかはわからないけれど、赤道を意識してくれたのかもしれない。せっかくのなので売店で赤道バックも買った。5ドル。なかなかにオシャレだと思う。
さらにパスポートにハンコを押してあげる、と言っている気がしたので、パスポートを出すと赤道に来たことを示すハンコを押してくれた。これで赤道に来た証拠にはなるだろう。私は本当に赤道に来て、赤道になったのだ。
赤道博物館の赤道もスマホで確認すると少し違った。もうスマホで測って自分の赤道を探そうと思う。スマホを持って歩き回る。俺の赤道はどこにあるのだろう。ワクワクの探索。赤い服の男が赤道を探す。世界の童話にそういう話があるかもしれない。
歩道が舗装されていない場所でついに確認できる北緯全てが0の場所を見つけた。ここを俺の赤道とする。もちろん俺の赤道なのでなんの線も書かれてない。ここに私が線を描くのだ。本当の赤道となるのだ。おめでとう、私。赤道になれました。
夢は叶えるものだ。そして、叶うものだ。将来の夢が赤道でもいいのだ。だってなれるのだから。割と本当に感動があった。地球の中心にいるんだ、という感動。赤い服を着て外を歩ける自分のメンタルは強い、という感動。小学生の自分に言いたい。20年後に赤い服を着て外を歩くんだよ、と。なんと思うだろうか。たぶん「はぁ?」って言うと思う。
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