特集 2025年4月11日

銀座の無料高速道路KK線、廃止直前に走ってきた

1966年に開通してから60年近く銀座の町にあった東京高速道路、通称KK線が2025年4月5日の20時をもって廃止されました。

廃止される前に、このKK線を走ってきました。

鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

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KK線とはなんなのか

KK線と申しましても意味がわからない方も多いかと存じますので、ざっくり説明いたします。

東京の都心部には、首都高速都心環状線という高速道路が皇居から東京タワーあたりまでをぐるりと囲むように走っています。
その中の新橋と新京橋(銀座一丁目のあたり)の2キロメートルほどを銀座の町を迂回するように繋いでいるのが東京高速道路、KK線です。

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都心環状線(赤い部分)とKK線(青い部分)

首都高速株式会社が運営する首都高速都心環状線と一体となっているのであまり気づかないかもしれませんが、KK線は東京高速道路株式会社という別会社会社が運営する高速道路という扱いになっています。

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数寄屋橋交差点。赤矢印の部分がKK線の高架です

KK線は高架下に銀座ナイン、銀座コリドー街、銀座ファイブ、西銀座デパート、銀座インズといった商店街が入っており、それのテナント賃料の収入で高速道路の維持管理を行ってきました。そのため、KK線区間は無料で通行することができようになっています。

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銀座インズの下にあるKK線の路線図。聞いたことない地名や橋名があってワクワクしてしまう。「GINZAの架け橋T・K・D」の惹句がエモい

KK線は首都高から直接乗り入れることもできますが、無料区間だけを走る場合はKK線専用の入口と出口から出入りしなければいけません。
今回はKK線の新橋の入口から、新京橋の出口までをバイクで走ってみることにします。

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新橋入口、高架下にはドンキと肉のハナマサが入ってます。外国人観光客が多い
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新橋入口から入るとしばらく直線区間がありますが……
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すぐにほぼ直角に曲がることになる急カーブがあります。ちょうどカーブのところに、丹下健三の静岡新聞・静岡放送東京支社ビルが見えます。かっこいいぜ
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左手にみえるのが東京電力のビルとその奥に帝国ホテル。帝国ホテルは建て替え中
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中央区立泰明小学校。関東大震災の復興事業で立てられた小学校のひとつ。現在も小学校として使われています
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有楽町の数寄屋橋の上。左が有楽町マリオン、右が東急プラザ。右側に宝くじの発売日に人がどっちゃり並ぶチャンスセンターなどがあります
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右側が、丸の内TOEIが入っている東映会館。左側に有楽町の交通会館。丸の内TOEIのビルも建て替えされるらしい。東映の本社は会社員時代に特撮番組の資料を受取りによく通った思い出があります(なつかしい)
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八重洲線への入口。KK線から、東京駅八重洲口地下を走る首都高の連絡線に入るための入口がこちらです。この八重洲線連絡も2025年4月5日から10年間の長期通行止めになります。八重洲線について詳しくはこちらをごらんください
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新京橋出口です。無料区間はここまでとなります

以上、KK線は全線走破しても時間にしてわずか3分ほど、距離は2キロほどしかありません。
ですが、有楽町から銀座にかけての名所をちょっと高い位置から眺めることができて、なかなか景色がよいのです。
これが廃止になってしまうのはちょっと惜しい気もしますが、この眺めが見られなくなるというわけではないようです。

KK線は廃止後に高架は再整備され、ニューヨークのハイラインのような歩行者専用の遊歩道のある公園として整備されることが決まっています。
そうすれば、わざわざ車を運転して行かなくてもこの景色を楽しむことができることになります。

それがいつ頃それが完成するのかははっきり決まっていませんが、こちらを見ると「2020年代の一部供用を目指します」と書いてあるので、少なくともあと5年ほどでなんらかの施設が完成するようです。

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かつての河川上に建設された

KK線が建設される前、KK線があった場所は水路(河川)でした。 

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青い部分が水路だったところ。赤枠がKK線、緑枠が首都高/今昔マップ・1/25000「東京首部」昭和20年部修22年資修

数寄屋橋は橋と名乗っているものの河川にかかっている橋がありませんが、これはKK線を作るときに河川を埋め立てたため、橋が無くなったわけです。

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KK線ができる前の数寄屋橋のようす。川を埋め立てて高速道路を作った。左手のビルは朝日新聞の本社。現在は有楽町マリオンとなっています/『大東京寫眞帖』,[出版者不明],[1930]. 国立国会図書館デジタルコレクションより

なお、中央区と千代田区の区境となっている河川の上に商業施設を作ったため中央区と千代田区で境界争いが勃発し、現在、KK線の高架下の商業施設は店舗ごとに所属している区が違うということになっています。

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銀座インズ自体の住所は「中央区銀座西2-2先」という存在しない住所に「先(所属が決まってない場所などを指し示すときによく使われる住所の書き方)」をつけたものとなっています
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KK線下のようす。中央区と千代田区の駐輪禁止のパイロンが並んでおいてある。放置自転車の取り締まり範囲の区境は、だいたい真ん中へんということにしているようです
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KK線が閉鎖される瞬間の様子

というわけで、廃止直前にKK線を実際に走っておいたし、もういいか。と思ったのですが、4月5日20時の封鎖される瞬間も見届けたいという欲がむくむくとわいてきました……。

しかし、当日の夜は別件の所用があり、私自身が閉鎖の瞬間を見届けることができなかったので、家人にお願いして写真と動画を抑えてきてもらいました。

で、こちらが、新橋の出入り口の閉鎖当日の夜の様子です。

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7時20分ぐらいの新橋入口のようす。たぶん、記念に走っておきたいマニアの人が乗ったタクシーっぽいのが、何台か連続して入っていきました

20時になった瞬間に、入口を封鎖するための工事の人に混じって、最後の瞬間を見届けようとするマニアがちらほら見受けられます。 

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封鎖用の柵も用意され、準備万端です

19時59分。最後のギリギリに一般車両がスルッと入っていくと、けたたましいサイレンが鳴り、入口横に待機していた道路パトロールカーが入口を封鎖。

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封鎖直前、ギリギリに入っていった最後の通行車両
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柵を立てる用の穴がちゃんと準備されていた
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入口も手際よくフェンスで封鎖されてしまった

KK線の、高速道路としての歴史は、いまこの瞬間をもって終わったということになります。

なお、KK線を実際に走行した動画はこちらです。


10年かけて首都高を改修するらしい

首都高速は日本橋周辺が地下トンネル化されることが決定しており、今回のKK線の廃止と八重洲線の10年にわたる通行止めは、その工事のためとされています。

10年後の2035年、私西村は60歳になっていると思いますが、その時には新しく完成した首都高を走ってレポートしたいと思います。

よろしくお願いします!

編集部からのみどころを読む

編集部からのみどころ
道路自体の話も興味深いですが、余談の境界争いの話が写真付きで載ってるあたりはさすがの西村さんという感じですよね。
そしてもちろん、閉鎖当日の様子も貴重なレポートだったと思います。ただ、ここ西村さん自身は行ってないんですよ。それなのにまるで自分で見てきたみたいな、臨場感あるレポートだったのでスゲーと思いました。(石川)

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