本当の腕木は黒い
参考文献を読んでいると、腕木についてこう書かれていた。「材料は木でできていて、青空に映えるよう黒色に塗られていた」
たしかに冒頭に掲載した絵画では黒に見える。黒だったのかー! と気付いたときには、すでに腕木通信機が出来上がったあとであった。なのでこの記事に出てくるのは本来の色ではないのだけれど、今回は青空をバックにしていないのでこれで良かったと思うことにしたい。ドイツにあるレプリカも黒ではないので、いろんなバリエーションがあったのではと推測するものです。
1700年代後半から1800年代の中ごろにかけて、フランスを中心に利用された「腕木通信」という通信方法がある。木製の「腕」を人力で動かし、その角度で情報を伝えるという、手旗信号にも似た情報伝達の手段である。
見た目にも面白いこの腕木通信を、現代技術でよみがえらせてみた。実際に動いている様子を見ると、予想外なコミカルさがあって実に愛らしいのだ。どんな感じなのか、ぜひ見ていって下さいな。
腕木通信は、1793年にクロード・シャップによって発明された通信手段である。今でもよく知られているモールス信号(電信)が登場するよりも前の話だ。
どんな感じで情報を送るのか、自作の腕木通信機で試してみた。例として「我が輩は猫である、名前はまだない(WAGAHAI HA NEKO DEARU NAMAE HA MADA NAI)」というのを送ってみよう。
全文は動画でどうぞ
モールス信号はトン(・)とツー(-)の組み合わせで、旗振り通信は旗の動きで情報を伝えていた。それと同様に、腕木通信では腕木の角度で情報伝達を行うのだ。
ただ、これはあくまで電動化したミニチュアである(信号自体も本物とは異なる)。実際の腕木通信機は、こんなに軽快には動かない。なにせ人力で巨大な装置を操作するのだから……!
通信の手順はこうだ。
塔の中にいる通信手がハンドルを操作し、滑車とロープによって腕木を動かす。それを8~15km程度離れた次の塔にいる通信手が望遠鏡で観察し、自分の腕木を同じ形に動かす。それをまた次の塔にいる通信手が……というのを繰り返し、バケツリレー方式で情報を伝える。
これによって、数百キロ離れた場所にもわずか数分でひとつの信号を伝えることができたという。当時としては画期的な通信手段だったのだ。
特にナポレオンはこれに注目し、フランス全土に広大な腕木通信網を築いたという。いまで言うと、携帯の基地局を全国に設置して通信可能エリアを広げていくような感じだろうか。「お前の住んでるとこ、まだ腕木通信が圏外なのかよー」とか昔の人は話していたのかも。
とはいえ、あんな塔を大量に作ってメンテしないといけないのだ。ものすごい労力に思える。それが最盛期の1846年には、全長4081kmもあったというから驚きである。
そんな腕木通信はフランスを中心に、ヨーロッパ諸国、はては世界にまで広まっていったのであった。
――と、これが腕木通信の概要なんだけど、最初の動画を見て思わなかっただろうか。「か、かわいい……!」って。腕木というだけあって、なんだか人間の腕が動いている、もっと言うとロボットダンスを踊っているように見えるのだ。
話は前後するが、腕木通信機を作って動かしたら絶対ユカイな気分になれるはず! これはぜひ自分で動かしてみたい! そう思ったので、とりあえず何も考えずに作ってみることにしたのである。
腕木通信機のミニチュアを作りたい。とその前に、もう少し腕木の動き方について知っておきたい。
どの角度が何を表すかというのは、あらかじめ送信元と受信先で取り決めておく必要がある。このルールは時代によって変化してきたとのことだが、実際には単純にアルファベットを送るのではなく、もう少し符号化された複雑な信号が用いられた(なにせ腕木通信は外から丸見えなのだ)。
メッセージ以外にも制御信号(緊急度合い、15分休憩、霧のため一時停止など)や、エラー訂正のための信号もあったというのが面白い。これって現代のネットワーク通信と同じような考え方である。
この図を見ると、“J”の文字が抜けている。中世の頃までは“J”と“I”の区別がなかったらしいので、その名残だろうか? 今回は使用しない“&”の代わりに“J”を割り当てることにした。
動き方が理解できたところで、実際に製作していこう。
腕木というからには、木で作らないといけないだろう。まずはMDFという木の成形品をレーザーカッターで切り出す。
実際の腕木通信機を作るのに、どれだけ手間がかかったのか今となっては分からない。その頃の人たちから見れば、(サイズが違うとはいえ)現代の製作法はほとんどチート級の超技術だろう。なんか分からんけどレーザーが出て木を切ってくれるのだ。
こうして昔の人の気持ちになってみると、「十分に発達した科学は、魔法と見分けが付かない」(アーサー・C・クラーク)というのを肌身に実感できる。
ところで本家の腕木通信機は、かの時計職人ブレゲが機構部分を手がけたらしい。動力部を工夫することで、通信手が操作するハンドルの動きに合わせて、同じように腕木が動くという直感的な機構を完成させたのだとか。
今回はモータを使って作ったけど、実際の滑車とロープを使った手法もそのうち試さないといけない気になってきた。そういうオモチャがあったら確実に楽しいだろう。
モバイルバッテリ1個で動作するので、持ち運んで外で使うこともできる設計だ(これは後の展開への布石である)。
動くミニチュアができたところで、いよいよ腕の動きを堪能していきたい。
実用的な通信手段として使われていたものが、まさか200年あまりの時を経て好事家が愛でる対象になろうとは、ナポレオンもビックリであろう。でもこのキレッキレの動きがいいのだ。
3つの点があれば顔に見える「シミュラクラ現象」というのがあるけれど、この場合は2本の棒状の物があれば腕に見えるし、なんなら人間の体に見える。腕木通信機は関節の位置も絶妙に人間っぽいし、人間の腕の可動範囲との矛盾もない。そのうち擬人化キャラクタが登場しそうな勢いである。
この速度での動作は、原作にはないオリジナル要素といえる。人力では不可能な領域なので、まさに現代技術でよみがえった腕木通信2.0みたいな趣がある。
いろんな言葉を腕木通信で伝えてもらった。なぜかありがたい説法を聞いている気分になれるので、正座して見よう
余談だが、この腕木通信をTwitterに投稿したところ、なぜか海外の人にリツイートされて日本語以外のコメントをたくさんもらった。
なかでも目に付いたのはフランス語。推しキャラがスマブラに参戦したときのようなハイテンションのコメントが来て思わず笑顔になってしまった。やはりフランス人は、腕木通信に特別な思い入れがあるようだ。コロナが収まったらフランスに行って、腕木通信機を生で見たいな~という思いが高まったのであった。
さて、ここまでは腕木通信の「送信側」の話だった。通信というからには「受信側」もどうにかしないといけないのではないか。使命感におそわれたので作ってみることにした。
実際の腕木通信では、通信手が望遠鏡で確認して人力で解読していた。それを現代によみがえらせるとなると……やはりAIの力を借りるべきだろう。
これもモバイルバッテリで動作できるよう、AIの処理は「Jetson Nano」というGPU搭載の小型ボードを使うことにした。
さて、AIで腕木通信を解読させるにはどうするか。それには大量の画像を用意し、この形なら“A”ですよ、この形なら“G”ですよ……というのを一個ずつ教えていかなければならない。
これは「教師あり学習」と呼ばれる手法で、ひたすらAIに答えを教えてあげるのだ。それを何百回、何千回と繰り返していくうちAIが勝手に学習し、「ああ、この形なら“G”ですよね」っていうのを見分けられるようになる。
「AIで解読する」という結果だけ見るとスマートだが、大変なのはAIに教えるための答えを用意する部分なのである。
距離や角度を変えながら、アルファベット26字+数字10字の計36字に対して、それぞれ50枚ずつの写真を撮っていった。
この辛さをTwitterに書いたところ、「動画で撮影して、そこから写真を切り出せばいいのでは?」という意見をもらった。ごもっともである。
すったもんだの末に用意できた画像は約23,000枚。それに対して「データオーギュメンテーション」という手法を使って、画像を水増ししていく。
最終的にできあがった画像は約8万枚になった。これをひたすらAIに学習させて、腕木の特徴を覚えさせる。走れAI、うなれGPU!
(詳しい方のために書いておくと、モデルはEfficientNet-B0を使った)
後はひたすらAIに学習させる。実はここから先も一筋縄ではいかず、学習結果を確認しては足りてないと思われる画像を追加したり、試行錯誤の連続だった。
なんだかんだ2021年のゴールデンウィークをほぼすべて費やして、腕木通信の解読システムの開発に取り組むことになったのであった。こんなステイホームも悪くないなと思える。
結果として36字のうち、“P”, “S”, “T”の3文字が上手く認識できず。とはいえ、率で言うと92%は正解なので、まずまずの成果ではないだろうか。
認識できない文字を巧みに避け、“Hello world”を腕木通信で送受信してみた。上手くいった!
感動だ。200年の時を超えて、腕木通信が自動化された。これを当時のフランスに持って行ったらバカ売れだろう。そういう転生モノの物語があったら面白いかもしれない(すでにありそう)。
当時のフランスでは望遠鏡を使って、遠くの腕木通信機を認識していた。今回のシステムではそれがカメラのレンズに置き換わっているだけなので、レンズのズーム倍率を上げれば理論上は長距離伝送できるはずだ。やってみるしかない。
実はこの展開をゴールに置いて、モバイルバッテリで動作する(屋外で使える)システムを開発&焦点距離730mmの超望遠ビデオカメラを使っていたのだ。仕込みは完璧である。
認識率に若干の不安は残るが、はたして無事に通信できるだろうか。
はい、上手くいきませんでした……。いちおう最後の“graph”のあたりは惜しい感じなので、単に精度が不十分ということのようだ。
敗因としては、腕木の背景が変わったこと、蛍光灯から日光に変わったこと、超望遠になったことで圧縮効果があらわれたこと、などいろいろ考えられる。要はAIの学習がまだまだ上手くいってない(バリエーションが不足している)のである。
長距離伝送の結果は残念であったが、レンズの倍率をどんどん上げていけば理論上は数キロ離れていても受信できるはず。インターネットが発達した現代で何の意味があるのか?と問われれば「特にない」と答えるだろう。でも面白いからいいのだ。腕木通信とたわむれたGWは楽しかったよ!
最後に歴史の話に戻ろう。1800年代の中ごろまで隆盛を極めた腕木通信であったが、「電信」の登場によって一気にその地位がおびやかされる。
空間を目視して伝送する腕木通信の場合、霧の日や夜間の通信ができないという問題があった。その点、電気信号を使う電信なら解決できるというわけだ。
フランスは1846年、腕木通信を電信に置き換えることを決定。以降、腕木通信は徐々に姿を消していったという。
腕木通信は、他のどの通信とも違う独特なかわいらしさ、人間らしさが魅力的だと今回あらためて感じた。その存在はすでに歴史の彼方ではあるが、今ならこうして自作して愛でることもできる。どんどん愛でていこう。
参考文献を読んでいると、腕木についてこう書かれていた。「材料は木でできていて、青空に映えるよう黒色に塗られていた」
たしかに冒頭に掲載した絵画では黒に見える。黒だったのかー! と気付いたときには、すでに腕木通信機が出来上がったあとであった。なのでこの記事に出てくるのは本来の色ではないのだけれど、今回は青空をバックにしていないのでこれで良かったと思うことにしたい。ドイツにあるレプリカも黒ではないので、いろんなバリエーションがあったのではと推測するものです。
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