コンセントのような何か
カフェで記事を書くことが多いのだが、お店に入ってまず確認するのはコンセントの場所だ。
パソコンの充電が切れたら何も出来ない。いつでも充電できるという環境じゃないと、落ち着いて記事が書けないのだ。
いつものように記事を書き上げ、ふっと一息ついているときに、充電が残りわずかなことに気づいた。もう書き上げているから切れても問題ないが、一応充電しておくかと思い、コードを刺そうとしたら、全く刺さらなかった。
そう、コンセントじゃなかったのだ。
確実に何かのコードを刺すための形状だったが、充電コードは刺さらなかった。行き場のない充電コードを持ちながら、理解できずにそのコンセントのような何かをじっと見つめた。
そういえばこの店では一度も充電したことがなかった。でも、コンセントがあると思っていたから何度もこの店に来ていたのに……。
そうか、私が安心して記事を書き上げるのに必要なのは、コンセントではなかったのだ。コンセントがあるような「雰囲気」なのだ。
シールを作る
コンセントのシールを作って、それを近くに貼れば安心感が得られるのではないか。
ちょっと作りすぎたかもしれない。まぁいいか。
コンセントを大量に見ていると、何を切っているのか分からなくなる瞬間があった。クッキーとか、大きい絆創膏とか、大量にあってもおかしくないものに、脳が変換しようとしてくる。でも、コンセントも大量生産で作られているものだ。工場では、こういう景色が広がっているのだろう。
壁に貼る
コンセントがない壁に、シールを貼ってみよう。
急にそこに現れたコンセントにドキドキした。いつからそこに居たの……!?完全にコンセントである。
隣に座ってパソコンを開いてみよう。
すごい……!!隣から見守ってくれている、コンセントのあたたかい視線を感じる。これでいつでも充電できるようになった。いや、充電できるとか、できないとか、そんなことはもうどうでもいいんだ。だだそこにコンセントがある。静かな部屋の中、ひとりだけれど、ひとりぼっちではない。
壁以外にも貼ろう
シールでもかなり安心感を得ることができて驚いた。でも、壁にコンセントがあるのは割と普通なことである。他の場所だとどうだろうか。
安心感は全くなく、ただただ違和感だけがあった。なぜあそこにコンセントが……?不動産ミステリー……?
子どもの頃、天井のしみが顔に見えてきて怖い、とよく思ったが、それと同じタイプの嫌さがある。差し口の奥から、じっとこちらを見ている。すぐに剥がしておいた。
そもそも充電するには天井だと遠すぎる。距離があると安心感にならないのだ。
体に貼ると、完全に大判の絆創膏。守られているという、違う安心感に変わった。充電の安心感とはまた違う。
沢山のコンセント
コンセントが沢山あると、より安心感を得るのだろうか。
とりあえず壁に貼ってみた。
かなり異質な感じだが、囲まれて作業してみよう。
沢山あると、コンセントというより柄に見える。
こんな沢山あっても、充電されるのは一つ。充電される確率はかなり低くなり、ほとんど飾りのような状態だ。装飾としてのコンセントは、安心感というよりただの柄である。
コンセントは沢山あると柄になってしまう、ということが分かった。
シールがベタベタ
この後、イスからシールをはがすと粘着がついてベタベタになっていた。
え……!?気づかなかったけど、もしかして壁も……!?
脳裏に「敷金」という文字がよぎり、急いで確認しに行くも、壁の方は無事だった。
イスの方は長時間貼っていたので、粘着がついてしまったようだ。
……もうシールを貼るのはやめよう。
壁にシールを貼って安心感を得ていた頃が懐かしい。今はもう一刻も早く剥がしたい。安心感というより焦燥感である。