雨ニモマケズとわたし
前に働いていた職場でどうしようもなく忙しい時期があり、一日90分睡眠の生活を続けていた理事長がついに動けなくなってしまったことがある(なにもできない僕は普通に定時であがっていた)。
理事長は自宅で療養するほかなかったのだが、自律神経がおかしくなってまともに寝ることもできない。少しでも休息を取るため布団で横になっていると『雨ニモマケズ』の朗読がテレビから流れてきたそうだ。理事長はそれを聞いてボロボロ泣いた。
涙を流して回復した理事長は職場に復帰したあと、「デクノボーにならなきゃいけないんだよ!」と宣言し、雨ニモマケズの一部を紙に印刷して事務所の壁に掲示した。
理事長が体調を崩したところからして経緯を知らなかったので、デクノボー?この人は急になにを言ってるんだ?と思った。これが僕と雨ニモマケズとの出会いである。
サウイフモノに俺もなりたい
それからしばらくして何気なく雨ニモマケズの全文を読んでみると、いいフレーズがいくつもあった。
冒頭にあげた玄米4合もそうだし、他でいうと「北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ」や「南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ」あたりも気に入っている。
文中に書かれていることが実はすべて願望で、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と最後に締めくくられるのも好きだ。現状の自分がサウイフモノじゃないからアレコレ言ってるわけで、そのちっぽけさに共感できるから。(いまさらですが全文は青空文庫(リンク)で読めます)
そんな僕の目下の目標は、雨ニモマケズをフィールドビンゴにして「サウイフモノ」になることである。
以前記事のためどしゃぶりの雨に負けずに撮影したこともがあるので、今回の企画で玄米4合を食べられたらリーチだ。すみません、お先です。
前段が長くなってしまったが、実際に1日で玄米4合と味噌と少しの野菜を食べてみよう。
玄米4合と味噌と少しの野菜
企画のため、ふだんはまったく食べない玄米を買ってきた。アイガモ農法で作られたちゃんとした玄米だ。野菜は家にあったものをかき集めた。
お米は炊くと増えるとかいうけれど、4合はもう生の状態でも多く感じる。皿と一緒に抱えると小動物くらいの重さだ。
玄米4合は現代人の感覚だと非常に多く感じるが、戦前の労働者は米で腹を膨らませるのが一般的だったらしい。そういえば坂口安吾のエッセイ『二合五勺に関する愛国的考察』にも「農家は一升めしが普通」と書かれている。
宮沢賢治はからだが弱くて玄米が食べられなかった。そのうえ家が裕福だったので、贅沢品とされた白米を食べられたそうだ。
「玄米4合を食べる」というフレーズには、玄米4合を平気でたいらげる世間並みの労働者のようになりたいという思いが込められているのだと思う。